岩壁
翌日、祈堂で旅の支度をして外に出ると、先に外に居たエルドが、村人たちに囲まれていた。
「腐敗の地だと、美味い物が食べられないだろ? これを持っていけ!」
「いや、いらねーよ……食い物とか言いながら酒じゃねーか!」
エルドは口ではそう言いながらも、村人たちから渡された物を、袋に入れたり、腰に下げたりしていた。
彼らの方に歩いていくと、僕まで村人たちに囲まれた。
「昨日は子どもたちと遊んでくれて助かったよ! それでなんだけどね──」
僕とエルドは、村人たちに促されるまま、神木の根元まで連れられた。
そこには、村の子どもたちが集まって、こちらを見上げていた。
「ロラン兄ちゃん、エルド兄ちゃん」
「旅のお話聞かせてくれてありがとう!」
「僕たちと遊んでくれてありがとう」
「私たちのこと、忘れないでね……」
子どもたちは、泣き笑いのような表情をしながら、僕とエルドに小さな紙を渡してくれた。
紙には、昨日の焚き火での踊りの絵が描かれていた。
「ありがとう……。大切にするね」
「……これじゃ、破れちまうだろーが」
エルドが紙を空に透かす。
子どもたちの表情が曇ったのを見て、エルドに向かって声をかけようとした時。
「破れねーように、仕舞っといてやるよ」
彼は子どもたちからの贈り物を、丁寧に畳んで懐に仕舞い込んだ。
子どもたちの声と、大人たちの静かな声に後ろ髪を引かれながら、腐敗の地に向かって歩き出す。
ルミアの境界の近くまで歩き、ふと首を傾げた。
──そういえば、サラサさんはどこから来て、どこに向かって旅してるんだろう……。
彼女は村人に紛れて、とても明るく別れの挨拶をしてきてた。
もう、会うこともないかもしれないのに、やたらと元気だった。
──不思議な人だったな。
◆◆◆
ルミアにきた時とは逆方向に歩いて、半日ほど経つと、道が岩壁に塞がれた。
エルドが立ち止まった。
「あの、聞いてもいいですか?」
岩壁に手を掛けようとした姿勢のまま、彼がこちらを向く。
「もう聞かねーで、普通に聞けよ……まどろっこしい!」
「あ、はい。どこに向かってるのかなって。目的地でもあるんですか?」
「んなもん、ねーけど」
「ねーけど……?」
何度か瞬きして、首を傾げて、頭が真っ白になる。
この人は何を言ってるんだろう。どこも目指してないのに、腐敗の地を移動してるの? 何のために……? っえ、僕、やばい人に着いてきたのかな。
「それって、どういうことですか……?」
「あー? 行ったことねー地に行く。それが俺の生き方だ」
エルドは岩壁の頂上を見上げた。
「そしてその地に、俺の──」
濁った風に耳を塞がれ、彼の言葉は聞こえなかった。
それでも、彼の赤髪が風に翻り、見えた眼差しは鋭く真っ直ぐだった。
なんだ……。別にやばい人じゃなかった。
少しほっとして、はっと閃く。
「それなら、僕と一緒に海まで行きませんか?」
「はっ?」
エルドが目を見開いてこちらを上から下まで眺めてきた。
「……いや、無理」
「えっ、なんで? だって」
「マジ無理、本気で無理だっつーの!」
僕の言葉を遮って、エルドは岩壁を登り始めた。
唖然とする。
──待って、なんで断られたんだろ……。いや、それもあるけど、僕にこの岩壁を登れと……?
「ちょっと、エルド! エルドさーん! 僕、ここ登れると思いますか!? 途中まで登れたとしても、絶対落ちると思うんです! 違う道行きませんかー!」
暗闇の中に声が響いた。
胞子の空気が騒めいた気がして、腕をさすりながら周囲を見回した。
「……っ、叫ぶんじゃねーよ!」
岩壁から赤い狼が降りてきて、飛び上がる。
炎が真横を通り過ぎて行ったかと思うと、体が浮き上がって目を見開く。
体の下に毛皮の熱を感じ、そのまま世界が半回転して、風圧を感じて無我夢中で毛皮にしがみついた。
岩壁が上から下に流れて、口から小さな悲鳴が漏れる。
「な、なんで、崖、登ってるんですかー!」
目を瞑って、唇を震わせながら、全力で毛皮にしがみついた。
◆◆◆
しばらくすると、揺れが収まり、ゆっくりと目を開けた。
震える足で、狼の背中から降りる。
狼の姿がかすみ、次の瞬間にはエルドが人の姿で、こちらを見ていた。
「し、死ぬかと思ったんですけど……」
「……下にいたら、多分死んでたぞ」
やっぱりさっき大声出しちゃったせいで、何か来たのかな……。
「何が居たんですか?」
「あー、でっけー兎らしき、腐怪じゃね?」
父と旅してたときに、腐臭を撒き散らして、集団で追ってきた、溶けかけの姿を思い出し、青ざめる。
「ありがとうございました。死ぬとこでした……」
「で、自力で崖登れねーし、死にかけてっけど、それで、海? まで行けると思ってんの? 俺が居たとしても……無理だろ」
崖の下を覗き込みながら、横目でエルドを睨む。
「無理、無理言わないでくれませんか? これでも、何年も旅してたんです。道ですらない場所を通らなければ、充分旅、できるんですから!」
勢いで返してから、少し俯く。
旅、してたけど、それは父さんが居たからできてたことなの、分かってる。今も、エルドに置いて行かれたら、生き残ることすら……難しい。
僕は海に辿り着くまで死ねない。
「エルド。僕は、戦うことはできなくても、腐怪から逃げることはできます。……さっきは、無理だったけど」
顔を上げてじっとエルドを見詰めた。
「だから、置いて行くのだけはやめてください」
彼は僕を渋い表情で見てから、深いため息をついた。
「……全力で逃げろよ。見てる余裕ねーから」
「はい。逃げます!」
そして、エルドが怪我するようなことがあったら、治そう。それが、僕のできることだから。
まだ治りきってない、腹部の痣が頭を過ぎる。
でもやっぱり、なるべく大怪我はしないで欲しいな……。
「それで、エルドはなんで崖登ったの? エルドが登らなければ、僕が大声出すこともなかったんだけど」
「高い場所の方が、見渡せるだろーが」
彼は一瞬、こちらをじっと見たあと、岩場に座って空を見上げた。
──本当に、それだけ……? 今の視線何? 気になるんだけど。




