ルミアの地
ルミアの地は、柵すらまだ作られていない。
所々の地面に木の杭が突き立てられているのが、申し訳程度の目印みたいだった。
境界に踏み入れても、腐敗の空気と澄んだ空気が、入れ替わり立ち替わりして、目が回りそうになる。
地面もまだ浄化され切らず、明るさと草木の匂いだけが腐敗の地との違いに思えた。
さほど歩かないうちに、ぽつぽつと家が見えてきて、その中央にルミアの神木が、風に揺れて立っていた。
花は咲いていない。けれど、緑の葉が光を受けて燦然と輝いていた。
「おわっ!? エルッ……エルド??」
「よお」
「……っ、た、大変だ! エルドが生きて? 腐怪ッ!?」
目を見開いて、声が聞こえた方を見ると、小さな堂から出てきたらしい男性が、堂の中に引っ込んで行く姿があった。
「えっ、腐怪!?」
とっさに後ろを見る。
「んな訳ねーだろ! ふざけんなッ」
けれど、腐怪らしき姿はなく、胸を撫で下ろして前に向き直ると、エルドが小さな堂に入って行く姿が見えた。
何度か瞬きして、慌ててエルドの後を追い、小さな堂に向かった。
◆◆◆
堂に入った後、村人に囲まれてるエルドの近くに行くと、僕に気づいた彼らが飛び上がって後退りしたり、逆に恐る恐る近づかれて、少し傷ついた。
エルドが彼らの誤解を解いて、なんだかんだ落ち着いた頃には、外はすっかり夕暮れ時になっていた。
村の神木守たちがエルドを連れて、篝火を焚きに行ってしまい、手持ち無沙汰だったから、外に出てみた。
すると神木の側、祈堂の近くの広場で、村人たちが肉の下処理をしているのを見つけた。
「あの……お手伝いします」
「あら。旅人さんは座っててくださいな」
「そうですよ。あっちで子どもたちに、旅の話でも聞かせてくれたら、私たちも助かります」
彼女たちに声をかけると、神木の方を指し示された。
その指先を辿ると、神木の根元で子どもたちが輪になって遊んでいた。
──あの中に入ってもいいのかな。突然声を掛けたら怖がらせちゃうんじゃ……。でも、頼まれたし。そっと声を掛けてみよう。
子どもたちを驚かせないように、ゆっくり歩いて神木の根元に近付く。
「誰かきた……」
「えっ……だれ?」
「私知ってる! 旅人さんだよ!」
「エルド兄ちゃんと一緒に来たんだって!」
「本当に!? すごーい!」
あっという間に囲まれてしまい、目を丸くする。
戸惑いながらも、ぎこちない微笑を浮かべて口を開く。
「邪魔してごめんね。初めまして」
「初めまして! ねぇねぇ、旅人さんのお名前は?」
「ロランといいます。よろしくね」
下から見上げてくる子どもたちの目線に合わせて屈み込む。
「どこから来たの? シオンの神木を見たことある?」
「一番近くにあるんでしょ? とーっても広い地だってお母さんが言ってた!」
答えようとすると、他の子に手を引かれて、その子に視線を合わせる。
「ニナちゃんに会った? エルドお兄ちゃんがシオンに置いてきたって……」
「でっかい腐怪が村に来たんだよ。それで、ニナがはぐれたんだ……。エルド兄ちゃんが助けたって聞いたけど、本当……?」
女の子と男の子が真剣な表情で聞いてきて、他の子たちも暗い表情になり、僕の顔を見てくる。
子ども……ニナ。
エルドがシオンのしめ縄に突っ込んできた時を思い出す。
そう言えば、子どもが一人、背中にしがみついていたような……。あの子のことかな。
「小さな女の子なら、うん。エルドの背中にしがみついてたよ」
子どもたちの表情が明るくなった。
ニナちゃんが無事だって分かって安心したのかな……。役に立てて良かった。
「それって、狼姿で!?」
「えっ? いいなぁ! 私も乗せて貰いたいのに!」
「僕、旅の話が聞きたい」
「私も私も!」
「ねぇ、ずっとしゃがんでたら疲れない? あそこで聞きたい!」
一人の子の言葉を皮切りに、僕は神木の根元に座ることになった。
◆◆◆
子どもたちに聞かれるまま、父と旅してた頃の記憶を語った。
「だから僕は、海を探しているんだよ」
「私、なんかそれ、聞いたことある」
海の説明をしたとき、一人の女の子が難しい表情で呟いた。
「えっ?!」
心臓が早鐘を打ち、無意識に前のめりになる。
「おばあちゃんが、歌ってたの」
「どんな、歌?」
「うーんとね」
女の子は目を閉じて、たどたどしく歌い始める。
「月は青きみなものかなたから
ツキカの大地を照らしだす
されどみなもはここにない
代わりに大地を捧げましょう
青い大地に映る月
ツキカの大地をゆりかごに
朝まで踊り明かしましょう
月がみなもに沈むまで」
歌い終えた女の子が、深呼吸して目を開ける。
その後、僕に向かって満足げに笑いかけてきた。
「歌ってくれてありがとう。上手だったよ」
女の子の笑顔を見ながらお礼を言うと、少女はぱっと立ち上がって、くるりと回った。
「でしょー。何回も聞いてたから覚えてるんだー。意味はよく分かんないけど。青きみなもって、青い水のことなんでしょ?」
歌の意味を考えながら女の子に頷きを返す。
「そうだね」
「だから私、ロランお兄ちゃんの話聞いて、海だ! って思ったの。青い大地に映る月ー。見てみたいなぁ」
風が女の子の髪を巻き上げ、神木の葉が一枚、その髪に絡み付く。
少女は驚いたように髪に手を当て、神木を見上げた。
──青き水面の彼方から……か。ツキカ……。その地に行けば、海がどこにあるのか、分かるかもしれない。
神木の根元が脈打ち、目を見開く。
神木を見上げると、緑の葉に所々白や桃色の小さな蕾が塊となって芽吹き始めて──。
僕は息を呑んだ。




