エルド
神木守堂に向かう道すがら、数人の子どもたちが、木の枝やおもちゃの弓を持って、夕暮れ色に染まった草原の方へと走って行くのが見えた。
「今日こそは僕が勝つんだ!」
「絶対エルド兄ちゃんの方が強いって」
「私は神木守ごっこしたいなぁ」
すれ違いざまに、子どもたちの明るい声が聞こえ、無意識に口元が緩んだ。
元気だなぁ。でも、エルドって僕が怪我を治した、神木守だよね……。二日しか経ってないのに、体調は大丈夫なのかな。
夕陽の眩しさに手を額に翳して、目を細める。
しめ縄の内側の草原は、稲穂が光を浴びているかのように輝いていた。
視界を巡らせると、草原の中で子どもたちが集まって、囲いこんでいる岩があった。
その上には、飴色に光る赤い毛並みの──。
エルドだ……。
悠然と子どもたちを見下ろしている狼がいた。
狼の黒い目が、スッとこちらを射抜いてきて、息を呑む。
彼はしなやかな動きで、子どもたちの上を飛び越え、草原に降り立つまでに、人の姿へと変化した。
「エルド兄ちゃん、どこ行くの?」
こちらに向かってくるエルドの後を、子どもたちが追う。
「用事ができた。お前ら、暗くなる前に帰れよ。しめ縄の外には出るんじゃねーぞ」
彼が立ち止まり、子どもたちに声をかけると、子どもたちは、残念そうな声を発しながら、その場で子ども同士の話し合いを始めたようだった。
エルドはそんな子どもたちを置いて、僕の目の前まで歩いてきた。
「あの──」
「あんた──」
体調は大丈夫なのかと、尋ねようとして、彼の声と被り、視線が揺れる。
彼の意志の強そうな目が、軽く細まったように見えた。
夕方の少し冷たい風が、草原を撫でていく。
「もう、体は大丈夫なのか? 俺を治すのに力、使い過ぎたんだろ。姫さんが、祭祀場に連れて行くって、いってたから、相当不味かったんじゃねーのか?」
「姫さんって……」
「あー? なんつったか……あれだほら、祭祀長? とかゆー、姫様だよ」
エルドが前髪を掻き上げて、首を捻ったあと、こちらに視線を向けてきた。
「エルドさんは、シオンの人じゃないんですか……?」
あの時、周りの人たちが彼のことを良く知ってるみたいだったから、てっきりシオンの人だと思ってたんだけど。
「俺? ここの人間じゃねーよ。……つーか、お前、何歳? その話し方、丁寧過ぎて気持ちわりぃ」
目を見開く。腕を摩っている彼を見た。
……気持ち悪い? いや、え? なんで? 今までそんなこと、言われたことないんだけど。
「僕は、二十五歳ですが……。エルドさんも同じくらいですよね。話し方は気にしないでください。これが僕なんで」
そもそも、初対面に近い相手と、敬語以外でどうやって接したらいいか、分からないし。
彼から視線を逸らして、胸元の小瓶を軽く握り締める。
「……まあ、いーか。そういや、あん時は、助かった。感謝してる。無理させて悪かったな」
はっとして顔を上げる。
エルドは、真っ直ぐにこちらを見ていた。
けれど、僕と目線が合うと、片手を首に当てて僕から視線を逸らした。
「……まあ、そーいうことで、じゃーな。もう、無茶すんなよ」
あっさりと背を向けて、しめ縄の方へ向かい出す彼の姿に、慌てて手を伸ばす。
「ちょっと待ってください! 外に行くんですか!? こんな夕方から、一人で?」
声を掛けても立ち止まらないエルドの後を追う。
「ここでの用事は終わったからな。行かねーといけねー場所があるんだ」
彼は腐敗の地で、一人でも生きていける強さがあるんだ……。彼を逃したら、護衛なんて一生見つからないかもしれない……それなら。
「僕も外に行きたいんです。目的地まででもいいので、同行させてくれませんか?」
エルドが急に立ち止まったせいで、彼の背中にぶつかりかける。
「……いや、無理だろ。旅人だっつーのは知ってるけどな。自分の身を一人で守れねえやつを、一緒に連れて行く気はねえ。わりーけど、他当たってくれ」
彼が横目で僕を見たあと、片手で顔を覆って、もう片方の手で、こちらを制止してきた。
「他の人がいないから、貴方に頼んでるんですけど……。あと、そりゃ、自分の身は守れないかもしれないけど、治癒ならできます。全くの役立ずという訳じゃないですから……」
言ってて自信が無くなってきた。
声が段々と尻すぼみになるが、それでもエルドから視線を逸らすことはしなかった。
彼が顔を覆ったまま、上を向く。
「いや、倒れただろーが……。自分の力を過信すんなよ……」
独り言のような呟きに、言い返そうとして、言葉に詰まる。
「自分の限界はちゃんと分かってるんです。だから、なるべく大怪我はしないで貰えると……」
今回は別に死にそうだった訳じゃなくて、何ヶ月か無理しなければ治る程度の怪我だったから、力を使っただけで……。無理な場合は、諦めるし……。父さんにも、祭祀長にも言われてるから、分かってる。
「あー! 何でそう食い下がるんだ? そもそも、あんたは俺が、どこに向かおうとしてるかも知らねーだろ? あんたの目的地と全く違う場所だったらどーすんだ」
エルドが盛大なため息をついて、上を向いたまま視線だけで、こちらを射抜いてきた。
「どこに行くんですか?」
行ったことがない場所なら、そこに海を知っている人がいるかもしれない。
「……あー、分かった。もー知らねぇ! 着いて来たければ勝手にしろ!」
彼は大きく首を振り、こちらを見ることなく歩き出してしまう。
「あ、はい! ありがとうございます!」
顔に満面の笑みが浮かぶ。
弾む声で返事をした後、彼の後を着いて行こうとして、ふと、シオンの地を振り返った。
夕陽に照らされた、神木と遠くに建ち並ぶ露店。
首に下げた小瓶を、両手で隠しながら取り出し、父にもこの風景が見えるよう、捧げ持った。
もしまた、この地に戻ってくることがあれば、ゲンヤさんやシュンさん、祭祀長、色んな人に海の話ができたらいいな。……ねえ、父さん。父さんはどう思う……?
目を閉じてゆっくりと呼吸する。
この地を忘れないよう記憶に刻んで、小瓶をそっと服の内側へと戻す。
エルドの方に向きを変えると、彼は少し遠くの方で僕を待ってるかのように立ち止まっていた。
だけど、彼はすぐにこちらから背を向けて歩き始めてしまった。
慌てて僕はエルドの方へと小走りで向かった。




