鮮烈な赫
神木守堂の近くまできた時、物見櫓から鋭い鼓の音が聞こえてきて、反射的にしめ縄の外側を見た。
なだらかな斜面。境界を隔てて下に向かうほど、暗く濁った空気の中から、一筋の赤が散る。
次の瞬間、鮮烈な赫が傾斜を疾走し、一瞬も止まらず境界内に踏み込んだ。
瞬く間に近づいてくる赤い獣。
喉から引き攣った息が漏れた。
「腐怪が来たぞぉお! シオンを守れぇぇッ!」
神木守たちが一斉にしめ縄の外に飛び出して行く。
すれ違いざまに、赤い獣がしめ縄の内側に突っ込んできた。
「エルド、エルドか!? その子どもは誰だ? 何があった!?」
赤い獣は、血にまみれた狼だった。背中の毛皮に子どもがしがみついてた。
狼は荒い呼吸を繰り返した後、すうっと赤い髪の人間へと姿を変え、倒れ込む。
腹部から血が。腐怪にやられたのかもっ。助けないと!
「追われたっ……情けねぇ……! ニナは……無事ッ」
「お前、大怪我じゃないか! 分かったから喋るな!!」
しめ縄の外から大きな存在が暴れる音と、神木守たちの怒号が響いてくる。
「すみません! どいて下さい!!」
しめ縄の外を気にする余裕もなく、僕は彼を助けるため、彼を囲む人々の中に割って入った。
「大丈夫ですか!?」
彼の近くに駆け寄り、屈み込んで声をかける。
エルドと呼ばれていた青年は、彼を介抱しようとしている神木守の手を借り、立ち上がろうと呻いていた。
「腐怪の……ゃろうッ……よくもッッ!」
「ちょっと大人しくしてて下さい!!」
神木守に視線で彼を押さえるよう促す。
「離せッ……俺はやつを……!」
破れた服の隙間から滴る血で、地面が紅く染まっていく。
傷が深いっ。でも、腹部だけなら、助けられる!
深く抉れた傷の周りは腐敗の胞子がまとわりつき、じりじりと黒く変色し始めていた。
彼の傷口に手を当てて、目を閉じようとした時、彼の手が腹部を覆い、動こうとしてきて苛立つ。
「手が邪魔です! 動かないで下さい!」
「お前はッ……、何をっ……俺はッ!」
彼の手を力一杯腹部から引き離しながら、息を吸う。
「動かないでって言いました! 死にたいんですか!?」
久しぶりに出した大声。少し喉が痛い。
周りが静まり、エルドの動きも止まった。
良く見えるようになった傷口に、今度こそ手を当て目を閉じる。
唇を噛み締め、故郷の神木に祈りを捧げる。
どうか、彼の腐敗を癒す力を!
脳裏にティエラ様の姿が、はっきりと浮かんだ気がした。
同時に、腹部から脇腹にかけて激しい痛みが襲ってきて、どっと冷や汗が浮かぶ。
目を閉じているのに、暗闇が白く滲んだ。
これは、まずい……僕は、また……っ。
「傷が……一瞬で消えた? 凄い」
「あんな深い怪我が!?」
周りから聞こえるぼやけた騒めきに、なぜか神経がささくれ立つ。
ぐらぐらと揺れる意識の中、苦戦しながら目を開ける。
「……あんた、何者なんだ……?」
エルドの腹部に当てていた手を、彼に掴まれ反射的に振り払う。
「触るな」
「……はっ? 」
口を押さえて、吐き気に耐えながら立ち上がろうとして、ぐらりと世界が揺れた。
「おいっ、大丈夫か!?」
周囲の声が遠ざかっていく。
エルドの腕が伸びてきて、支えられたのを感じる。
「あ! ……め様、姫様がいらっしゃった」
「良かったこれで──」
徐々に広がる暗闇の中、どこからか朝露の香りと共に、白い蝶が飛び交い、視界を埋め尽くして──。
ぷつりと意識が途絶えた。




