At dusk
夕暮れ時、軍の演習場。沈みかけた太陽の残光で薄暗く、球体の灯りが白く点りだしていた。事務方は執務時間の終了間際だし、戦闘員たちも会議や研修で実技訓練はしていない。昼下がりとは打って変わって、演習場は人気が全くなかった。
「………………」
演習場の隅に植わっている樹木の下に、黒い影が静かに佇んでいた。
「……居たっす。やっぱり、そこに居たんすね」
唐突に現れたのは虎頭だった。虎頭のジェイドは黒い影に対峙する。
「ベドセリ、久しぶりだね」
黒い影は木の下から動かずに、ジェイドに口を開く。
「おれの昔……故郷の名前を知ってるのは、グルヅァテ」
「ここに来て初めて本名を呼ばれました」
「出てこいっす」
黒い影はゆっくりと暗がりから歩み出る。
「せっかく、ぼんやりとしてたのに」
「木の下でそんなことをしているのも変わらないっすね。面影があって懐かしいっすよ」
「そうかな?ベドセリは変わったね」
グルヅァテという名の人物が人工の薄明かりに照らされた。鈍い銀色の鉄で頭部を覆った、小柄な人物だ。
「ベドセリって名前は捨てたっす」
「せっかくの対面なんだから、堅苦しい話し方はなしにしよ?」
「そうっす……そだね」
「うんうん。ベドセリはこっちの習慣とかを覚えたんだね」
「まあな」
「村を出て行ってから長いこと経つもんね」
「ところで。お前っしょ、ヴォルフさんに仮面外しをやったの?」
「バレた?」
「バレてるよ」
「何で私だと思ったの?」
「仮面外しをできるのは故郷の人間だけ。それで、こっちの言葉を難なく理解できるのは昔からお前だけだったからな」
「名推理だね」
「うるせえよ」
開けた土地と建物にジェイドの怒声が反響する。
「あれ?怒ってる?」
「怒ってるよ。こっちは隊長がいなくなったんだ」
「でも、ヴォルフさんは本来の姿に戻れたんだよ?」
「知ったこっちゃねえよ」
「ベドセリ、ヴォルフさんのことが好きだったんだね」
「……殺す」
勢い良く土を蹴り飛ばすと、ジェイドはグルヅァテの間合いを詰める。目にも止まらぬ早さで腕を引き、体重を乗せた拳をグルヅァテの仮面に食らわせた。体勢を崩したまま、衝撃でグルヅァテは吹き飛ばされる。
「……痛いなぁ」
「鉄仮面は流石にぶち壊せねえか」
土を叩きながら立ち上がるグルヅァテ。仮面の口から、一筋の血が零れ落ちていた。
「口の中を切っちゃったよ」
「相変わらずの防御力だこと」
「鉄の仮面は重いんだからね?首は鍛えられてるよ」
「そうか。じゃあ、こっちはどうだ?」
グルヅァテが立ち上がったや否や、今度は爪先を腹に食らわせる。
「……っぶぁ」
先ほど殴り付けたときよりグルヅァテの体は吹き飛び、衝撃も殺されないまま地面を舐めた。
「腹は鍛えてねえだろ」
地に伏したまま動かないグルヅァテ。
「死んだか。さて、侵入者は……」
ジェイドはポケットから手錠を取り出し、グルヅァテに装着しようとした。
「……痛いなぁ、本当に」
「う、嘘……!」
その場から転がり、グルヅァテはジェイドから距離を取る。
「幼馴染にこんなことするなんて」
「現役を退いたとはいえ、おれの蹴りは大の男が沈むくらいだぞ……無事でいられるわけが……」
「もう、仮面の下は血だらけだよ」
一筋だけだった流血は、仮面の半分を赤く染めていた。
「……脱げばいいじゃん?」
「知ってるくせに」
「そうだよな、脱げねえんだもんな」
ジェイドは後ろ足に土を蹴ると、グルヅァテの胸に自らの頭をぶつけた。しかし、この攻撃でグルヅァテの体は宙を舞わない。
「……え?」
「駄目だよ、私に頭を預けちゃ」
ジェイドの虎頭をしっかりと抱き止めるグルヅァテ。華奢で小さな体のどこにそんな力があるのか、ジェイドの頭を抱えたままびくともしない。
「はっ、離せっ!」
「嫌だよ」
左脇でジェイドの頭を抱えるように押さえ込むと、グルヅァテは右手をジェイドの後頭部に伸ばした。ジェイドの後頭部、本物の虎の頭部を用いたマスクだ。紐で編み上げて、顔に塗った接着剤でマスクを固定している。グルヅァテはマスクと肌の隙間に指を入れると、海老の殻を剥くようにマスクを引き剥がした。
「……ぎゃあああああ!!!!」
顔の皮膚ごと剥がされ、ジェイドは耐え難い苦痛のあまり、地面に崩れ落ちる。
「お返しだよ」
「か……おが……」
筆舌に尽くしがたいほどに損傷した顔面を手で押さえ、激痛で声も声にならないジェイド。
「動物の仮面は興味ないから、返すね」
グルヅァテは鮮血が滴る虎マスクをジェイドに投げて寄越す。
「さてと、私は行こう」
血と土埃で汚れたローブを纏い、グルヅァテは軍の施設内に消えていった。




