Became a beast
「ごめんくださーい」
事務室のドアをノックする者があった。
「ごめんくださーい?」
中から反応がなく、二回目の呼び掛けは尻上がり調子になる。
「ごめんくださーい」
三回目を言い切る前に、来訪者は扉を開けた。勝手を知っていて、事務室によく出入りしている者だろう。ごく自然に入室した。
「セネさーん、集荷でーす。連合郵便でーす」
来訪者は郵便物の配達人だった。
「変だな、いつもなら駆け寄ってくるのに。集荷の郵便物もないし。しかも、何か臭うし……」
ドアを開けて直ぐ目に入るカウンターに、発送する郵便物がまとめてあるのがいつもの手筈だった。しかし、カウンターに郵便物もなく、事務室に漂う異臭に配達人は鼻をひくつかせた。
「セネさー……って、うわっ!?」
配達人は床に転がる光景を目の当たりにして後退りをする。
「ヴォ、ヴォルフさん!?」
床に、全裸の狼人間が倒れていたのだ。倒れていた人物を把握すると、配達人は狼人間に駆け寄った。
「ヴォルフさん!?どうしたんですか!素っ裸で倒れて!しっかりしてください!」
「あ……ヨゼフさん。集荷ですか……すみません、まだまとめてなかったんです」
「集荷なんかより、どうしたんですか、ヴォルフさん!?」
「……はい?」
「裸で倒れてたんですよ!?というより、何でヴォルフさんが僕の名前を知ってるんですか?」
「え、え……ちょっと待ってください、ヴォルフさん?」
「あなた、ヴォルフさんでしょ!?」
「いえ、ヨゼフさん……何を。私はセネですが」
「記憶が混乱しているんですか?えっ、狼隊長のヴォルフさんですよね?セネさんだなんて、違いますでしょ?」
「セネですよ。ちょっと、私も分からなくなってきました……」
「僕なんか全然分からないですよ!ヴォルフさんが裸で倒れていたんです、誰かに襲われたんですか?」
「ヴォルフさんが?それは大変……」
よろよろと立ち上がる狼人間。しかし、キャビネットの硝子に写る姿を目にした瞬間、狼人間は特大の咆哮を上げた。
「…………っいやあああああああああ!!!!!!」
「うわっ!」
仰け反る配達人、ヨゼフ。
「ヨゼフさん、私、狼になってます!」
「へっ?」
「狼に!私、セネです!」
「い、いやぁ、僕も状況が飲み込めませんけど……ええと、僕の目の前にいるのはヴォルフさんじゃなくて、セネさん?」
「はい!」
狼人間もとい、セネは硝子の前で自らの立ち耳を引っ張る。
「とっ、取れない!」
「それは、自分の頭じゃなくて?」
「マスクです!」
耳をひっ掴み、狼の頭を脱ごうと格闘するセネ。
「痛たたた!マスクのはずなのに取れない……」
「いえ、そんな表情がバッチリなのにマスクなんですか?」
「マスクなんです!ヨゼフさん、ナイフを貸してください!」
「あっ」
セネはヨゼフのポケットから、郵便物の開封用のナイフを引ったくる。刃を起こすと、それを自らの首に押し当てた。
「何かの間違いでマスクが脱げなくなったんです。マスクは勿体ないですが、この下に私の顔があるはずです」
「ちょ、馬鹿な真似はやめてください!ナイフで首を切ったら死んでしまいます!」
慌てて、セネの手からナイフを奪い返すヨゼフ。
「マスクにしては口がちゃんと動いてますし、首どころか体も狼の毛だらけですよ?」
「体が狼の毛、だらけ?」
硝子に写る自身の、首から下に目を移すセネ。そこには、元の体より鍛えられて隆々になった肉体と、逞しい男根が露になっていた。
「ひゃっ!?」
瞬時に羞恥心が頂点に達し、股間を隠すセネ。
「そんな立派な体を……目の遣り場に困るので、早いとこ服着てください」
「は、はいっ!」
ヨゼフは床に置いてあった衣服を手渡すと、セネはそそくさと着替えを始めた。
「あ、あれ?」
「どうしました?」
「サイズが合わないんです……」
狼人間に変身したセネの体型は元より大きくなったようだ。元の華奢な体つきから大きくなったとはいえ、シャツにはゆとりがある分、なんとか収まりはつくようだ。しかし、問題は下半身だった。
「ファスナーが……閉まりません」
スラックスが太くなった腿ではち切れそうになっていた。腿以上に、元の体から巨大化した男根が窮屈にしている。
「布地に擦れて痛いような、気持ち良いような……」
「世の男性陣からしたら羨ましい限りですけど……って、そんなこと言っている場合じゃないですね。セネさん、代えの服は持ってないんですか?」
「あることにはありますが……似たようなサイズの服しか持ってません。あ、でも……」
セネは何かを思い出し、事務室の隅にある小さなクローゼットに向かう。
「大昔、私が着ていたものなら或いは……」
そう言い、クローゼットから取り出した物は戦闘に用いる衣類だった。
「それ、セネさんの?」
「はい。私、昔はスピアーズナイトでした」
「え、そうなんですか?」
「自ら引退しましたけどね。あの頃から痩せまして、これなら着れるんじゃないかと」
取り出した衣類は、丈夫そうな濃緑の生地で一般的な戦闘員に誂われたサイズのものだった。華奢な体躯のセネが着ていたとは、俄に信じがたいものだ。
「僕も10年近くポーターをやってますけど、セネさんが戦場に出ていたのは知りませんでした」
「現役を退いたのは20年前ですね。ヨゼフさんが子供のときです」
「え、そうしたら……セネさん、おいくつなんですか?」
「今年で40歳になりました」
20年ぶりとはいえ、装束を纏う手に淀みはなかった。程なくして、狼人間のセネを緑の戦闘着が包んだ。
「良かった、着れました。ああ、当時を思い出しますね」
「そうなんですか?僕が子供のときに、セネさんは戦場を駆け回っていたなんて信じられないですけど」
「引退後の私しか見てないので無理もないですよ。折角なんで、これも」
セネはクローゼットに残った防具も身に纏う。防具は革製で、肩や腹部を中心に覆うものだった。
「あの頃の肩幅が戻りましたね、ちょうど良いサイズです」
「本格的じゃないですか」
「本隊で一等兵までなりましたからね」
「まだ、何か残っているみたいですよ?」
「あ、それは」
クローゼットに、頭部を守る兜が残っていた。頭頂部や側頭部のみならず、額から鉄板が鼻の上まで延びているものだ。
「それは流石に……入らなそうですね」
人間の顔ならともかく、狼の長く伸びたマズルには兜も合わない。
「こんな厳ついものを被ってたんですね」
「はい。事務員の私しか知らない方には想像がつかないですよね」
「正直、そうですね……ちなみに、当時の写真とかあったりしますか?」
「あったりします……確か」
恥ずかしそうに、クローゼットの中から古ぼけた封筒を取り出すセネ。封筒を傾けると、中から大量の写真が出てきた。
「うわ、怖っ!これがセネさん……?」
「……はい」
兜から金髪が零れ、無慈悲な青い目が覗いてカメラを睨んでいた。他にも、敵兵の喉笛を槍で貫く瞬間、返り血で真っ黒になった姿、血塗れで朋友と談笑する一面が写真に収められていた。
「こんなんが一等兵だったんですか!?もう、隊長レベルの風格じゃないですか!」
「隊長はもっと怖かったですね。私も怖くて、コソコソしてました」
「おっかないセネさんが更に怖がる隊長って、どんな人だったんですか!」
「槍の名手だったんですが、5人を一突きで串刺しにしてましたね。私は3人が限界でしたが」
「想像するだけで怖いですね」
「いつも血の臭いを漂わせていたので、お酒とタバコの臭いで誤魔化している人でした。そんな隊長も、私の最後の出撃で命を落としましたが……」
「そ、そうだったんですか……」
「はい。止せば良いもの、魔導士に槍で挑んでヘルファイアの一撃で沈みました。骨も残さずに、呆気なかったのを覚えてます」
「僕は軍属なんで戦闘のことは分からないですけど、壮絶だったんですね」
「ええ。今は平和になったものですよ」
「写真と一緒に入ってる、それは?」
写真を全て吐き出しても、封筒にはまだ蓄えがあった。封筒を傾けると、中から夥しい量の紙の束が現れた。
「……ファンレターです」
「ファン?セネさんの?」
「はい。しかも、男性から」
「え?」
「その……私を女性だと思っていた方がいたようで。中には男性と知って送ってくる男性もいましたが」
「ええと……うわ!敵国の上官からも来てるじゃないですか!」
「一時期、本当に困ってました」
獣毛で覆われているせいで定かではないが、人間の皮膚ならば紅潮しているであろう。セネは困っていたと言いつつも、身をくねらせて恥じらう様を見せていた。
「私自身、求められるのは嫌いじゃないんです。ただ、立場というものもありますし、葛藤していましたね」
「そんな、男前な狼の面でそんなこと言わないでくださいよ」
「あ、そうでした。私、狼になったんですよね」
「声もかなり低音になってますよ」
「あら、そうしましたら、私だと分からないですね」
「……セネさん、狼になって喜んでません?」
「分かりますか?」
仮に戦闘着のズボンに収められた尻尾がもがいていた。




