Tiger's Past
「っぷはぁ!」
「ヴァーラさん!?」
セネの協力もあって、ヴァーラは狼の頭から解放された。頬はやや赤く腫れ、髪も乱れている。
「危なかったぁ……おれ、狼になるところだったぜ」
「何があったんですか?」
「いやよ、被った直後はマスクもブカブカだったんだ。脱ごうと耳を引っ張ったら、急にマスクが抵抗したのか?何だろ、顔から剥がれなくなったんだよ」
「顔を食うマスクっすね」
「だな。マスクの内側が皮膚に貼り付いてさ。多分、残りの毛皮も似たようなもんだろうな」
長谷川が床に脱ぎ捨てた毛皮を爪先でつつきながら、ヴァーラは考察する。
「怖いですね」
「ああ、危険だな」
「そうなんすね。でも、内側は何の変哲もない毛皮っすよ?」
ペタペタと、狼頭の内部を触るジェイド。ヴァーラが言うような、恐ろしい粘着性の構造はしていないようだ。
「ん?ますます妙だな。おれが脱いだら、普通のマスクになったのか?」
「被る人間を選ぶ、ってことですかね?」
「じゃあ、おれは選ばれそうになった?」
「ええ。しかし、脱げたということは選ばれなかったんでしょう」
「じゃあ、こいつは選ばれて今までヴォルフだったってわけか」
ヴァーラは長谷川を顎で差す。
「その理屈だとそういうことになりますね」
「しかし、こんな臭いマスクをずっと被ってたんだな」
「どんな臭いだったんすか?」
「被った瞬間から、獣の臭いと男の臭いだな」
「あー、分かるっす。獣でマスクを作ったばっかりのときって、獣臭が半端ないっすから」
「んで、マスクとか防具って使ってると汗で臭うだろ?」
「私もスピアーズナイト時代に着ていた鎧もそんな感じでしたね」
「今でこそ小綺麗な見た目だけど、中身は男だから分かるよな」
「……恥ずかしながら、現役時代は他の男性と見た目を揃えていましたから。鎧の下に着る厚手のキルトと薄手の肌着ですぐ暑くなりましたね」
「アクスナイトの軽装ですら防具から臭ってくるんだから、スピアーズの重装は尚更だろ。そういや、おれが訓練や実戦終わりでシャワー浴びてる間に、何回か肌着を盗まれたことがあったな」
「物好きもいるんすね」
「てめ、殺すぞ?」
「冗談っすよ」
「まあ、盗んだのはアホステンなんだけどな」
「今の総帥が?信じられないっす」
「盗んだ肌着を何に使うんでしょうかね」
「おれには女のファンは多かったけど、野郎のファンはいなかったからな。アホステンはおれに恨みを持ってるから、多分、肌着を隠して困らせようとしたんじゃねえの?」
「そうっすね。ヴァーラさんの使用済み肌着じゃ……」
「ジェイド、それ以上言ったら虎頭を剥いでこいつを被せるぞ?」
ヴァーラは狼頭を掴んでジェイドにちらつかせる。空洞の眼窩と緩く開かれた口がジェイドを狙っているようだ。
「むしろ、願ったり叶ったりっす」
「何の願いだか。で、マスクの臭いは強烈ってことさ」
「マスクの獣臭対策だったらおれに任せてくださいっす」
「問題はそこじゃねえよ」
「被ったら脱げなくなるマスクが脱げたことも気になりますね」
「だよな。何の力が働いたんだか」
「力、おれ、それも知ってるかもしれないっす」
「超絶にニッチなことまで網羅してんのな、お前」
「おう、聞かしてみい」
「ガモット、久々に会話に入ってきたな」
常に持ち歩いているのだろうか、ガモットは手のひらサイズのボールを握ったり緩めたりを繰り返していた。
「お前も何やってんだよ」
「握力鍛えてんねや」
「会話の場から急に消えたかと思えば、握力ってよ」
「あん?わえはハセガワの通訳役に徹しててんよー。何な、おまんらはマスクできゃいきゃい遊んどるし、わえが入る間もあれへん思てな」
「遊んでねえよ。おれは人間を辞めるとこだったんだからな」
「ほいで、ジェイド。その力て何な?言うてみ」
「勝手に会話の主導権まで取りやがって」
「仮面外しの力だと思うっす」
「仮面外し?何なそえ?」
「おれの村に伝わる術っす」
「そういや、ジェイドの出身地っての聞いたことなかったな」
「わえも。何な、田舎の出身て聞いたことはあってんけど」
「田舎は正解っすね。かなり僻地にあるっす」
「何つーとこなんだ?」
「パーゾンナってところっす」
「パーゾンナ?聞いたことあれへんわ」
「王国の領土にあったっけ?」
「私も人事資料を扱って長いですが、初めて聞く名前です」
「無理もないっす。領土の端っこで、隣の国からしても領土の端で僻地になる場所っすから」
「どこらへんになんねや?」
「まず、サンニキウスじゃないっす。カルデラール領に属してるっす、一応」
「カルデラールって、人が全くいない領土の?火山と高山しかないような、あのカルデラール?」
「そうっすね。そのカルデラールの首都から隣のトラエステ国の国境付近まで行くっす」
「えらい遠いわな。カルデラールもこっから3日かかるとこやで」
「首都から村まで2日かかるっす。しかも、馬が通れないような場所っすし、街道からも外れてるっす」
ジェイドは壁に掲げられている王国の版図に歩み寄り、指を差しながら位置を示す。
「待てよ、火山の近くやんけ」
「溶岩は村まで流れて来ないんで大丈夫っす」
「お前の村、火山の反対側は大昔の噴火で甚大な被害があった場所だな」
「そうっすね。噴火で、火山を挟んで反対側の村は全滅したらしいっす」
「気軽にお前の実家なんて行けないな」
「行けないっすね。おれも村に帰ってないっす」
「そない辺鄙な場所にあんねやろ?王国の役人はどうやって見っけたんやろ」
「あー、おばあちゃんから聞いたんすけど、昔、山菜採りに行ったまま行方不明になったカルデラール住民が村に迷い込んだそうっす。その住民の捜索隊が偶然に村を見つけたのがきっかけらしいっすね」
「火山の噴火が今から150年前だとか聞いたな。ばあちゃん、いくつのときだ?」
「40歳のときらしいっす。ばあちゃん、今年で75歳っす」
「つーことは、35年前でおれが生まれる5年前か」
「私が5歳のときですね」
「わえが生まれる8年前やご」
「ガモットって意外と若いよな」
「言うても、おまんと3つしか違わんわ」
「それでは、噴火から発見まで115年もの間……」
「そうっすね、孤立した集落っす」
「しかも、発見されて35年しか経ってないのかよ」
「そやから知らんわけや」
「入隊の書類もパーゾンナって書いて怒られたから、仕方なくカルデラールって書いたっす。ぶっちゃけ、カルデラールどころか王国の住民って感覚も未だに薄いっすよ」
「そらそやわ。ジェイドは今年で27やろ?発見されて10年も裁たんうちに生まれて、いきなし王国の住民です言われても感覚も湧かんやろ」
「湧かないっすね。入隊して長いっすけど」
「100年以上も外界と接触していないとなると、ジェイドさんの村は私たちの故郷とは随分と違うでしょうね」
「全くの異世界っすよ。言葉も文字も違うっす」
「それでも、ジェイドは難なく言葉も喋れてるけどな」
「最初は物凄い苦労したっす。入隊する前に、子どもと一緒に教会で勉強してたっすね」
「教会の読み書き教室だけで今のように言葉が分かるようになったんですね」
「村の言葉と似てたりするものもあったんで、喋るのは早かったっす」
「言われてみれば、地下闘技場時代にネグロスは全く喋らなかったな。なるほど、そういうことか」
「闘技場のときは、周りが話していることもまだ分かんなかったっすね」
「まんま異邦人やな」
「今でも読み書きは苦手っす。軍の通達や書類も辞書を片手に読んでるっす」
「ジェイドも苦労してんだな」
ヴァーラは虎頭を優しく撫でた。




