私、皆んなに何にも返せてないね
意識が浮上する。
視界に映ったのは見慣れた天井。ここは…リビングか…。
「お姉ちゃん…?」
「碧流…。おはよう」
不安そうに顔を覗き込んでくる碧流の頭を撫でる。
そして、ばっと体を勢いよく起こす。
「千春は!?」
掛けられていた布団が、反動でソファーから落ちた。
碧流は少し顔を伏せて、ついと階段を指差す。
「お姉ちゃんの部屋…借りて、寝てる」
私は急いで階段を駆け上がった。
「千春!!」
「しーっ! 姉貴、しーっ!」
無気力さんが慌てて私の口元を押さえる。
口を噤んで無気力さんの肩越しに千春を覗いた。
私のベッドの上で、すうすうと規則正しい寝息を立てている千春。
ほっとして足の力が抜ける。
「おっと」
「あぁ…ごめん…。あはは…、良かった…っ」
何ともないみたいで、本当に。
支えてくれた無気力さんの服を掴み、歪む視界を戻そうと俯く。
「姉御、大丈夫か」
「うん。…私は何ともないよ。平気」
ベッドの側に座っていた烈が顔をこちらに向ける。
直後、碧流がとてとてと部屋にやって来た。
「ちはる、大丈夫…?」
「まあ、起きないと大丈夫だとは言えねーが大丈夫だろ。太腿がさっくり斬られてた。浅いとは言えねーが深くもねえ。…大丈夫、だろ」
最後の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
千春はすうすう眠っている。
今すぐにでも起きて「お姉様!!」と叫びそうなのに。
「…ご飯、作るね。烈は千春見てて。出来たら持ってくる。ここで食べよう」
もし千春が起きて、一人だと可哀想だから。きっと、お腹空いたって言うと思うから、千春の分も作ろう。
「て、手伝う!」
「んじゃ、俺も手伝おーっと」
頼む、と背を向けたままの烈が呟いた。
「結構きてるね」
「まあ…そう、だろうね」
見えてたんだ。烈も私と一緒で。
人形が動いたのも、千春に剣先が向けられていたのも、刺されたのも。
全てがゆっくりと、頭の中で再生される。
「…姉貴、千春なら大丈夫だよ」
「…うん」
わかってる。でも。
あの時、助けられたはずなんだ。
「…私、皆んなに何も返せてないね」
とんとんと野菜を切りながら呟く。
何も返せてない。私は、お姉様なのに。
家族の一人を守ることすらできなかった。
「そんな事ない」
無気力さんが、力強く否定する。
オレンジ色の瞳が、私を映した。
「…姉貴は、俺たちに居場所を与えてくれた。美味しいご飯も作ってくれる。何より…、俺たちは、姉貴が梓っていう存在だけで救われてるんだよ」
初めて、無気力さんに名前を呼ばれた。
…知ってたんだ。
「前にも、姉貴みたいな存在はいたんだ。前のリーダー」
私の足元で黙々とはんぺんを潰していた碧流が、びくりと体を震わす。
「…まあ酷い奴だったよ。ほら、俺たちって能力あるじゃない? 一般人とは違って。…前の奴は、なんの能力も持たない、平凡な男だったんだ」
碧流は、彼がリーダーに就任してから、千春が連れて来た。
その頃碧流は、能力の制御が出来なくてよく泣き叫んではジャミングしていたらしい。
そんな折、Lancelotがとれじゃーずの襲撃を受けた。
その時リーダーは…逃げたらしい。真っ先に。Lancelotを置いて。
自分は平凡だから、と叫んで。
「…何とか俺たちは逃げて、あの廃校に身を寄せたんだ。…だから最初、俺たちは姉貴に反発した。ごめんね」