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第四話 教科書は正しい。……イベント多すぎだが

これは、織田信長生誕から徳川家康没までの82年間を、なんとか生き延びた男の物語である。


挿絵(By みてみん)

 木下藤吉郎の部隊は、目の前の光景に息を呑んだ。


 今川義元の本陣だ。


 ようやく見つけた。見つけたのだが……。


「信長様の言った通りでしたね。でも……あんなの相手にできるわけない……」


 隣で毛利新介が呆然と呟いた。


 まったくだ。


 周囲には今川の兵が大勢いる。旗指物がいくつも立ち並び、どこを見ても敵、敵、敵。


 こちらの人数とは比べものにならない。


 見つけたのはいいが、これでは近づくことすら難しい。


 敵に気づかれれば、たちまち囲まれて終わりだろう。


 俺だって、死にたくはない。


 できることなら、今すぐ引き返したい。


 そもそも、俺たちの役目は偵察だ。今川義元の本陣を見つけたのだから、信長様には「お言葉どおりの場所で本陣を見つけました」と報告すればいい。


 これ以上、危険を冒す必要はない。


 そう考え、引き返そうとした、そのときだった。


 頬に冷たいものが当たった。


 ぽつり。


「……雨?」


 もう一滴。


 さらに一滴。


 次の瞬間、雨粒が一気に増えた。


 ざああああっ!


 叩きつけるような雨が、あたりを包み込む。


 視界が白く霞んだ。


 人影も、旗も、敵の動きも、雨の向こうにぼやけていく。


 ――すごい雨が降る。


 信長様の言葉が、頭の中によみがえった。


 あの日、空は晴れ渡っていた。


 雨雲など、どこにもなかった。


 それなのに。


 ――すごい雨が降る。


 ――すごい雨が降る。


 ――すごい雨が降る。


 雷鳴のように、その言葉が頭の中で繰り返される。


 ……本当に、降った。


 どうして、あの方には分かったのだろう。


 偶然なのか。それとも、俺たちには分からない何かを見ているのか。


 考えても、答えは出ない。


 ただ、ひとつだけ分かった。


 信長様は、自分の想像が及ばないお方なのかもしれない。


 そのとき、俺は走り出していた。


「藤吉郎様!?」


 毛利新介の声が聞こえた。


 自分でも、なぜ走り出したのか分からなかった。


 勝てると思ったわけではない。


 ただ、信長様の言葉が頭から離れなかった。


「推して参る!」


 俺は叫びながら雨の中を駆け抜ける。


 部隊も俺の気に押され、突撃する。


 足元はぬかるみ、雨が顔を叩く。


 敵の声が聞こえる。


 何かを叫んでいるが、雨音にかき消されてよく分からない。


 前へ。


 ただ前へ。


 目の前にいた敵兵を押しのけ、さらに奥へ進む。


 ここで止まれば、全員が飲み込まれる。


 何より、俺たち自身が生き残れない。


 雨の向こうに、ひときわ目立つ一団が見えた。


 今川の旗。


 その中心にいるのは――。


「今川義元!」


 毛利新介が叫んだ。


 敵兵がこちらを振り返る。


 遅い。


 もう、目の前だ。


 乱戦になった。


 刀がぶつかり、怒号が飛び交う。


 何が起きているのか、すべてを把握する余裕などなかった。


 ただ、目の前の敵を押しのけ、進む。


 そして――。


 今川義元が、倒れた。


 雨の音が、耳を覆い尽くす。


 その瞬間だけ、時間が止まったように感じた。


 ……本当に、討ち取ったのか?


 俺たちが?


 あの今川義元を?


 信じられなかった。


 けれど、目の前の光景は消えない。


 俺は、返り血と雨に濡れた顔を拭うことも忘れて、ただ立ち尽くしていた。


     *


 織田信長は、城の中で窓の外を眺めていた。


 雨が降ってきた。


 いや、降ってきたどころじゃない。


 ものすごい雨だ。


 ……ゲームの記憶は、正しかったらしい。


 俺は無意識に膝の上で固く固く握っていた拳を開いた。


 頼む。


 勝ってくれ。


 俺を死なせないでくれ。


 しばらくすると、外が騒がしくなった。


 廊下を走る足音。


 慌ただしい声。


 そして、勢いよく開く襖。


「信長様!」


 家臣が息を切らして駆け込んできた。


「今川義元、討ち取ったとのこと!」


 その報せに、家臣たちが沸き立った。


 勝った。


 本当に勝ったのだ。


 俺は、ようやく息を吐いた。


 よかった。


 これで死なずに済んだ。


 ……いや、待て。


「義元を討ち取ったのは、誰だ?」


「木下藤吉郎の隊、毛利新介とのこと!」


 ……ヨッシー?


 俺は目を瞬かせた。


 ヨッシーは、俺のあいまいな発言を信じてくれたのか。


 いや、あいつがどう考えて動いたのか、俺には分からない。


 けれど、結果として今川義元は討ち取られた。


 教科書は正しかった。


 ……正しかったんだけど。


 イベント、多すぎないか?


 俺は、ようやく一つの危機を乗り越えたばかりだ。


 この先も、教科書に書かれている出来事が次々と起きるのだろうか。


 考えただけで、気が重くなる。


 そのとき、家臣たちの話し声が耳に入った。


「今川を退けたとなれば、次は美濃との関係も考えねばなりませぬな」


「斎藤家か……」


 俺は思わず呟いた。


 義父を討った男。美濃の斎藤義龍。


 そして、次に家督を継ぐ斎藤龍興。


 ……そうだった。


 桶狭間を乗り越えたからといって、安心する暇もない。


 俺が長生きするためには、まだまだ乗り越えなければならない問題がある。


 どうしてこう、次から次へと面倒ごとがやってくるんだ。


 せっかく生き延びたのに。


 一難去って、また一難。


 ……頼むから、もう少し平和に生きさせてくれ。

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