4話 子供のしたこと
「………………」
淫魔の仔によって強制的に与えられた絶頂の後、リーザは唇を強く噛みしめ、涙を堪えて耐えていた。
ソフィアは甘く微笑みながら、ゆっくりと立ち上がる。
リーザの脚を優しく閉じさせ、破れたドレスの残骸を軽くかけ直す仕草で、まるで何事もなかったかのように振る舞う。
「さーて。ルシエルさま――いつまで隠れてるんですかぁ――出てきてくださーい――」
ソフィアの声は、いつものように甘く、からかうように響いた。
月光の下で凍りついた空気が、森のどこかで静かに揺らいだ。
闇の奥から、微かな衣擦れの音がする。
重く確かな足音。
そして、静寂を破るように、長い外套を翻して、若き魔王ルシエルが姿を現した。
月光に照らされた彼の姿――黒髪が夜風に揺れ、瞳は氷のように冷たく、しかしどこか熱を帯びている。
マントの裾が優雅に広がり、銀の留め具が微かに光る。
それは、魔界の古い血筋を証明する――ただの装飾ではなく、彼の絶対的な地位の象徴だ。
ルシエルは一歩、また一歩と、東屋に近づく。
表情は冷静そのものだ――まるでこれまでの性の供宴を、何も見ていなかったかのように。
彼はリーザの前に立ち、その影を落とす。
姫は体を震わせながら顔を上げ、涙で濡れた瞳で彼を捉えた。
「……あ、貴方は……」
姫の声はかすれ、震えていた。
「リーザ……俺のことを覚えているのか? あの頃はまだ、二人とも子供だった」
「あの時の男の子……あなただったのね、ルーク」
ルシエルは再び、かつての獲物——可憐な姫君の前に静かに立ちはだかった。
「名前まで覚えていたのか。お前の記憶は、消したつもりだった」
幼い頃、二人が夢の中で出会ったあの夜。
リーザの身体を強引に抱き寄せ、戸惑う吐息を耳に感じながら、初めて唇を重ねた瞬間――
小さな胸が震え、背中に食い込む細い指。
あれは、罪深いほどに純粋で、だからこそたまらなく淫らな思い出だった。
折れるほど強く、抱きしめ、重なり合った――。
その瞬間が、急に愛おしく蘇り、ルシエルはゆっくりと身をかがめた。
72柱の魔王の一人であり、若き公爵でもある彼は静かに手を差し伸べ、リーザ姫に触れようとした——まるで古の騎士が、美しい姫君に永遠の忠誠を誓うように。
リーザ、と彼女の名を呼んだ。
またこうして巡り合った、成長した男と女となって――。
今度こそ、あの幼い日の記憶を、より熱く、深く、淫らなものに塗り替えるのだ――
その瞬間——
バチンッ!!
乾いた鋭い音が、夢の空間を切り裂く。
ルシエルは凍りついた。
「……!」
片手で頬に触れ、目を見開いたまま動けない。
「ええっ……?」
「うそでしょ…」
リリアとソフィアが息を呑む。
リーザが生まれつきに身に着けた、気高い心。
その胸を貫く激しい怒り――
姫君は唇を震わせ、なおも手を挙げたまま立ち尽くしていた。白い指先には、まだ熱が残っている。
「ルーク――よくも私の前に現れたわね。」
声は低く、しかし凍てつくほど鋭い。
「ルシエル――、それがあなたの本名なのね。覚えているかですって?…貴方みたいな卑劣な男を、忘れるはずがないわ。
幼かった私に、あんな無体な真似をした貴方の汚らわしい名前がそれよ……悪魔!」
彼女は、若き魔王を真正面から射抜いた。
ルシエルが初めて味わう痛みと屈辱――ただ呆然と立ち尽くす。
「あの記憶」は、消したはずだった。
リーザの震える赤い唇を見つめながら、ルシエルは呟く。
「……すべてを、覚えているのか」
「どうして今さら現れたの?
使い魔に私を弄ばせて、森の陰からこそこそと覗き見して……私の恥ずかしい姿を、嘲り楽しんでいたんでしょう――
その穢れた手で私に触ろうだなんて――恥を知りなさい」
リーザは一歩後ずさり、両腕で裸身を抱きしめた。
瞳の奥で、幼い日の憎しみと今夜の屈辱が燃えている。業火となって揺らめく――
ルシエルは咄嗟に言葉を探すが、出てこない。
仮にも魔王である自分が――たとえ未熟な少年だったとはいえ、人間相手に”忘却の術”を掛け損なうはずがない——それなのに。
リーザはルシエルのことを覚えていた。
いまも消えぬ、強い憎しみを持って…。
「……なにを見ているの。貴方は、私の知る限り最も救いようのない、下劣で浅ましい男よ。あなたに一秒だって見つめられたくない」
「お前が、あまりに美しい女になっていたから――ちょっと戯けただけだ――」
もっと気の利いた言い訳はいくらでもあったはずなのに、ひとつも思いつかなかった。
「わたしは汚されたわ。――悪魔のあなたに。2回もね」
その瞳の強い憎しみの光――。
「ぜったいに許さない――吐き気がするわ。」
「たかが、子供のしたことだ、――そんなに怒らなくていい。今夜、俺の使い魔たちに弄ばれて、何度も達するお前は美しかった。
その姿に……俺はたまらなく興奮した。
しかし、夢から覚めれば、お前の体はもとのとおり清いままで、何も変わらない。
夢の中でなら、魔性の者との逢瀬に誰もとやかく言いはしない。
また会いに来い。
次の十二夜、俺がお前を存分に抱いてやる。
もう二人とも“大人”だ。
お前も人間の姫の立場を捨てて、淫らな女として俺に尽くせばいい。
――果てしない快楽を、貪り合おう」
「最低ね……。
二度とその醜い姿を私の前に晒さないで。
貴方の外見はとても美しいけれど、その内面には卑しい欲望しか存在しない。
悪魔だからじゃない、貴方の存在そのものが大嫌いなの。私の夢に入ってくることさえ許したくないわ」
まさに竜の逆鱗。
リーザ姫の拒絶は、全身から迸るオーラのようだった。
「……そこまで嫌われているとはな。――俺は、またお前に会いたいと思っていた」
「ルシエルさま、行きましょう」気圧されたリリアが、そっと袖を引く。
「もう彼女の夢が終わってしまいます」
「貴方なんて大嫌いよ、……ルーク。二度と会いたくないって、あの時もはっきり言ったはずでしょう?」
嫌悪をむき出しにした瞳で、リーザは若き魔王を射抜いた。
ルシエルには、あの時の彼女の声も表情も思い出せなかった。
いや——思い出したくなかった。
あの時、小さな涙を頬に光らせた少女は、確かに彼にむかって叫んだのだ。
「あなたなんてだいきらい。二度とわたしにさわらないで」と。
記憶を消していたのは、リーザではなく、自分自身だった。
己の未熟さ、恥辱そのものを。
ルシエルは全身が粟立つような不快感に襲われた。
喉元までせり上がる苦い後悔――少年のころの愚かな振る舞いが招いた、この結末の味そのものだ。
「…だが俺には関係ない」
吐き捨てるように言った。
「お前がいくら嫌おうと、魔王の俺はいつでも犯したい時にお前を犯す。次に会う時、お前は俺の与える悦楽に狂い泣きするだろう。リーザ、次の十二夜を楽しみにしておけ」
「本当に……貴方って、可哀そうな人ね」
「ルシエル様…!早く、はやく夢から出てください!」ソフィアの声は半分悲鳴だった。
姫君はもう、軽蔑の視線すら惜しむように、ルシエルを見もしなかった。
朝の光が差し込むように、夢の地面が白く溶け始めていく。
リーザが目覚める——
遠ざかっていく白い背中が、淡くかき消えていく。
「嫌うなら嫌えばいい」
まるで負け犬の遠吠えだと、自分でもわかっていた。
「……ええ、大嫌い。二度と私に触れないで」
ぶつん、と糸が切れるように。夢と魔界の接ぎ目が閉じた。
次の十二夜。
月が満ちてから十二日目の夜が来れば、また彼女の夢は開く。
ルシエルの腹の底で、怒りとも復讐ともつかない黒い欲望が渦を巻いていた。
あの尊大な姫をもう一度丸裸に剥き、自分の手で組み伏せて犯してやろう。
泣き叫び、許しを乞うリーザの涙を拭い、永遠に俺を愛すると誓わせてやる。
星のない魔界の夜を見上げたルシエルは、自分の領地であるはずの森で、完全に方角を見失っていた。
*
「怖かった……」
リリアが、ようやく息を吐いた。
「あのきれいな姫様、怒ったらあんなに怖いなんて――ビックリすぎて声も出なかったぁ。ねえルシエルさま、コレどうするんですかぁ〜!って……あれ? ルシエルさま消えてる!?」
魔界で最も若く、気高く誇り高い”黒い貴公子”と謳われるルシエルが、音もなく闇の中へ姿を消していた。
「……いつも冷静なルシエルさまが、あんなに悲しそうなお顔をするの、初めてみた」
「てか――ルシエル様、かなり可愛かったよね?いっつも完璧な俺様って感じでめちゃめちゃクールなのに、か弱いお姫様にぶッ叩かれて負け惜しみ言ってるの、ギャップ萌えすぎるでしょお〜♡」
「ソフィア! そういう失礼なことを平気で言うから、ご主人様も一人で帰っちゃったのよ!」
「だってぇ〜! 魔界中の女が追いかけ回してる“黒い貴公子ルシエルさま”が、人間の女の子にばちこん平手打ちされて、夢から追い出されたなんて……!これ知られたら魔界のタイムライン、大炎上確定じゃん♡ 沸騰ワードでトレンド独占間違いなし〜♡」
「ばかっ! 絶対に誰にも言わないで。もちろんルシエルさまの前でもよ。あの方を本気で怒らせたら、私たちのちっぽけな魂なんて一瞬で焼き尽くされるんだから!」
「えーっ、語りたすぎるぅ……だってさ、あれって……」
ソフィアが胸の前で指のハートを作り、パカッと割ってみせる。
「どー考えてもルシエルさまの失恋……だよね♡」
ソフィアの口調には、妙になまめかしい熱がこもっている。
淫魔の本能はむしろ、今のルシエルのような男を甘く慰め、誘惑するほうに能力を発揮するのかもしれなかった。
「それも……ルシエル様の前では言わないでっ!」
サキュバスの少女たちは、それぞれ熱っぽい想いを抱えながら、小さなコウモリの翅で冥い夜空へ飛び立った。
(これからしばらく、リリアには内緒で、毎晩ルシエルさまのご寝所に忍び込んじゃお♡)
(ルシエル様は、またあの姫君の夢に入り込むとおっしゃったけれど、あの方があんなに執着するなんて…)
次の十二夜が来るのが、なぜか少し怖い——
リリアはそんな予感を抱えながら、闇夜を羽ばたく。
次の十二夜が、どんな結末を招くのか――誰も、まだ知らなかった。




