3話 悪魔の接吻
悪魔の接吻――
それこそが吸精淫魔の最大の武器だ。
ソフィアは、自分のコウモリの翅から漂う甘い芳香で人間を酔わせ、すばやく間合いを詰めて唇に触れる。
最初は強引になる必要はない。
まだ催淫の霧が効いているうちならば。
「……! や……め……!」
ソフィアは甘く微笑み、意識を取り戻そうと首を振る健気な姫君に、再び夢魔の接吻を落とした。
唇が重なるたび、白い霧が波紋のように揺れる。
東屋も、森も、月明かりさえも、ゆっくりと輪郭を失っていく。
夢が、さらに深い夢へ沈み始めた。
「ルシエルさまぁ♡ これで姫様はもう夢の深層ですぅ。」
「夢の接吻は、ただ惑わせるための術じゃありません。相手の心を、夢のさらに奥へ導くための鍵なんですよぉ♡」
ソフィアは楽しそうにリーザの髪を撫でた。
「この先はもう、現実の夢じゃありません。」
「姫様自身も知らない、心の一番奥。」
「夢の中の夢です♡」
徐々に力が抜けていく。
「ソフィア、本当にすごい……!」
同じ淫魔の姉妹であるリリアが、手際の良さに感心した声を上げる。
(もーお、リリア!ボケっとしてないで、リーザ姫の後ろに回って体を支えてっ!あと数秒で足から力が抜けて倒れるわ。夢の中とは言え、怪我なんてさせられないでしょっ)
唇がふさがっているソフィアは、念話で指示を飛ばす。
「ご、ごめんなさい!」
がくがくと意識を失いかけた姫君が倒れ込むのを、双子は支えてそっと東屋の古い木のベンチに座らせた。
「力が抜けちゃってる…そっと寝かせてあげようか?」
長い接吻を終え、口周りの唾液を舐め取りながら、ソフィアがてきぱきと指示を出す。
「バカね~座らせておかないとあの方によく見えないじゃない!もー、役たたずなんだから、リリアは後ろから姫君の体を支えてて!」
「わ、わかった!」
(ルシエルさま、こんな感じでよろしいでしょうか――♡)
木陰に潜む彼女らの飼い主――若き魔王もまた、夢魔の秘術における淫魔ソフィアの腕前を認めざるを得なかった。
部外者から見れば、ただの覗き魔にしか見えないが、ここは彼の領地であるのだから、非難される謂れはない。
(上首尾だ、いや上首尾すぎるほどだ、ソフィア。お前に頼って正解だった)
決して、音を立てぬよう唇を固く結んでいた。
それでも、吐息が白く細く漏れるたび、冷たい夜気に溶ける前に熱を帯びているのがわかる。
また昂っている――。
興奮を抑えきれないのに、冷静を装うルシエルの念話には答えず、ソフィアは選手兼監督として、主人から姫君が最もよく見える位置を微調整する。
「…あ…ぅ……」
リーザの意識が戻り始めていた。
しかし視界は霞み、頭の中は濃い霧で満たされている。
「さーて、もう夢魔の術は十分効いてるから♡――動けないし力も入らないから、リリアはお姫様をそのまま支えててよっ」
指示待ちのリリアは、不安そうにこちらを見つめるだけで、ここからはソフィアの独壇場だ。
その瞳には甘い残酷さが宿っていた。
「じゃ、リーザ姫……ごめんね♡もう 時間がないから、そのドレスは脱いじゃおっか♡」
「……い……いや……」
ソフィアの舌に触れた瞬間から、姫君に残された抵抗の力はほとんどなかった。
「嫌だよね~♡ごめんね~」
言葉は優しくとも、ソフィアの指は白いドレスに掛かり、両手で生地を強く掴む。
霧に濡れた薄絹がビッと音を立てて抵抗するも、一気に引き裂かれた。
ビリビリッ……!
鋭い音とともに薄絹地が左右に弾け飛び、リーザの白くふっくらとした胸が露わになる。
破れたドレスの残骸が肩から滑り落ち、腰までずり下がった。
微かに上下する胸を、冷たい夜霧が優しく撫でる。
ソフィアは甘く微笑み、意識を取り戻そうと首を振る健気な姫君に、再び夢魔の接吻を落とした。
(ルシエルさま~、じゃあ――始めていきまっす♡)
(――続けろ)
ソフィアは楽しげに声を弾ませる。
木陰から見守るルシエルは拳を握り締めた。
目の前で行われているのは、夢魔の秘術。
姫君を夢の深層へ導くために代々受け継がれてきた、夢魔だけが扱える秘術だった。
(ここから先だ……。)
(俺が知りたいのは、お前の身体ではない。)
(お前が心の底へ隠した、あの日の記憶だ。)
そう言い聞かせても、視線は姫君から離れない。
自分でも止められない渇望が、胸の奥で静かに膨れ上がっていた。
ソフィアは主人の嗜好を熟知している。
ルシエルがいる方向からの、その視界を遮らない角度を保ちながら、この姫君の夢のなかへ静かに潜り始める。
触れるたび、リーザの夢はさらに深く沈んでいく。
「……あっ!…や、…やめ……て……」
その侵入を拒むように、リーザの体がびくんと震える。
甘い電流が全身を駆け巡り、意識もうろうとしながらも体をよじろうとするが、指先が震えるだけだ。
ソフィアの術が神経を甘く溶かし、抵抗の意思だけが残っているのに、体はふわふわと浮くように軽くなり、リリアに寄りかかる姿勢になってしまう。
「えーっと、ルシエルさま、反応薄いんですけどぉ~?」
(――――――――ああ)
ルシエルの返事は短く、息が混じったように掠れていた。
「て、沈黙ながっ!じゃあ~どんどん深ーく潜っていきましょうね♡」
淫魔の仔の細い指先が滑っていく。
「いや…ぁ………」
淫魔らしい本性を瞳に宿して、ソフィアが残酷に微笑んだ。
(ルシエルさま、もうお姫さま出来上がりですけど♡……やっぱりご自分でお味見、されますぅ~?)
木陰からの返事は、完全に途絶えていた。
ただ、静寂の中で響く、熱く乱れた鼓動だけが、答えの代わりだった。
ふうん、とソフィアは内心でほくそ笑んでいた。
(ルシエルさまってば、肝心なところでは臆病なんだから♡)
リーザの声が抗いながら、どこか甘く上ずっていく。
「だめっ……やぁ……あ……許して……!あッ——だめ、駄目——!!!」
姫君の切ない悲鳴が、どこまでも続く暗闇のなかに溶けて行った。




