40話 饗宴<サバト> 上
広大な儀式広場は、星のない闇に覆われていた。
赤い魔力の燭台がゆらゆらと無数に浮かび、人間界の寂れた古城を包む闇の中に、不吉な血のような光を降らせている。
司会者の甲高い声が響き渡る。
「眠れる美女・プリンセス・ルイーゼが、いよいよ祭壇に捧げられております!!
なんという白い肌! その美しさ! まさに清らかな乙女そのもの、真珠のような気品!
彼女が今夜、サバトの供物として捧げられるのです!!」
数千の悪魔が広場を埋め尽くし、興奮と欲望が赤黒い熱波となって渦巻く。
巨大スクリーンにリーザの裸体が映し出され、歓声と口笛が爆発的に沸き起こった。
「そして、この特別な饗宴の我らが主をご紹介いたします!!……アスモデール殿下の登場です!!」
黒いローブを纏った、サタン帝王の嫡子たる、アスモデールが壇に上がる。
赤い瞳が冷たく輝き、唇に薄い笑みを浮かべていた。
会場がさらに大きな歓声に包まれる。
群衆にとって、それは上級悪魔であれば誰でもよかった。今すぐ目の前の生贄たる美女たちを欲望のままに屠り、引き裂く――その血塗られた司祭としての役割を、彼に求めていた。
中央の黒い大理石生贄台に、リーザが横たえられている。
意識を失ったまま、浅い呼吸だけがその胸を上下させる。
手足は鎖で固定され、金色の髪が乱れて顔にかかっていた。
アスモデールは冷たい笑みを浮かべながら、まずは祭壇のリーザをじっと見下ろした。
その顎を掴んで顔を上げさせる。
「う……」と、小さく姫君は呻いた。
気を失っているリーザの唇を、そっと親指でなぞり、ゆっくりと囁くように声を落とす。
「さぁ、はじめようか……美しい姫君。お前はただ、己が運命を受け入れればいい」
残酷な睦言を、気を失っているサバトの花嫁に投げかけたアスモデールは、もう一度、芝居掛かった動作で観衆の方に向き直った。
絶叫、怒号、歓喜――彼らは生贄を殺せ、汚せと口々に叫び、もみくちゃになっている。まさに恍惚錯乱状態にあった。
アスモデールは、大衆の熱気を前にして、奇妙な冷静さを己に感じていた。
「姫君、お前はまだ、深く眠ったままでいい――。夜は長いからな」
黒いローブを脱ぎ捨て、筋肉質な若々しい肉体を露わにする。
「我、サタン帝王の嫡子にして、色欲と契約の王、快楽を法とする君主たるアスモデールは、このサバトの主として、ここにある女、ルイーゼ・オルヴェスを、今宵の血塗られた花嫁とすることを、いまここに宣言する」
アスモデールの朗々とした低い声が響き、魔性の者たちは一斉に、しんと静まり返った。
眠りの深さを確かめるように、アスモデールは身をかがめ、リーザの顔のすぐ横に肘をついた。
アスモデールの白く散らかった、ばさばさと長い髪が、リーザの頬にかかる。
「ふん……確かに、お前は美しい。あの半血公爵が執着するのもわかる」
リーザの顔に触れようと手を伸ばすと、彼の長い爪が彼女の柔肌をまるでカミソリが滑ったかのように傷つけた。
さっと赤く細い糸のように、リーザの頬を鮮血が流れた。
「ああ……お前がまず流すべき血は、別のところからだよ、ルイーゼ姫」
まるで彼女を慰めるかのように、青ざめた姫君の唇に触れ、自分のそれを重ねた。
*
夥しい汗にまみれたアスモデールは、リーザの体を抱きしめたまま、息を荒げていた。
このサバトの主である彼が満たされるまで、この残酷な宴は終わらない。
どれほど時間が経っても、この姫君に対してまだ満たされない渇望が湧き上がってくる。
「……まだ……終わらん」と、アスモデールは、かすかに震える声で呟いた。
今手に入れたばかりの、この美しい姫君、サバトの花嫁を手放す気にはなれなかった。
「何時間か――何十時間か――俺はお前に注ぎ続ける。……せいぜい耐えることだ。目覚めたとき、お前はまったく違う女に生まれ変わっていることを知るだろう」
突然――
ぶつん、ぶつんと……麻紐が自ら切れるときのような、乾いた音が連続して響いた。
リーザの手首を固定していた太い鎖が、一瞬で切断される。
鎖の断面は綺麗に溶けたように熱を持ち、赤熱した金属が地面に落ちてジュッと音を立てる。
アスモデールの動きが、ぴたりと止まる。
赤い瞳がわずかに見開く。
「……なんだと?」
次の瞬間。
空気が歪み、紫黒い魔力の奔流が爆発的に噴き出した。
瞬間転移の陣を切り裂いて、血潮にまみれたルシエルが、アスモデールのすぐ目の前に現れる。
彼の紫の瞳は燃えるように輝き、彼のすべてがレジナルドの血で赤く染まっていた。
瞬間転移の余波で周囲の空気が震え、観衆の歓声が一瞬で凍りつく。
アスモデールが口を開きかける。
「卿……いったい何の――」
ルシエルは、その言葉を最後まで言わせなかった。
紫黒い念波が、目に見えない衝撃波となって直撃する。
アスモデールの体が、一瞬で後方へ吹き飛ばされた。
壇の端まで転がり、地面に叩きつけられて土煙が上がる。
観衆の歓声が一瞬で静まり返り、代わりに驚愕のざわめきが広がる。
ルシエル公爵が突然現れ、身じろぎひとつせず、念波ひとつで帝王の嫡子を吹き飛ばした――。
ルシエルはリーザの鎖をすべて念波で切り裂き、彼女の体を抱き上げる。
リーザの白い肌に自分の血が滴り落ち、赤く染まった。
「アスモデール殿下……」
低い、抑えきれない怒りを帯びた声で、彼は告げた。
「この女は、私の所有物です。」
紫の瞳が、アスモデールを冷たく見据える。
「この女を連れ帰るために参じました。
それが、私がこの場に現れた、唯一の理由でございます」
ルシエルは憎悪に燃える眼で、帝王の嫡子を睨みつけた。
「この女を傷つける者を、私は許さない」
この先に待つすべての結果を、ただ自分自身として引き受けるしかないことがわかっていた。
そしてもう、ルシエルは心を決めていた。




