36話 好きだから
狂気の"花嫁狩り"は、ライブ中継が始まる予定時間よりも、遥かに早く前倒しで開始していた。
襲撃開始は、リーザの花嫁行列が森に入ったら瞬間から始まるというルール。
しかしそんな”お約束”は、欲望に迅る下級悪魔たちのちっぽけな自制心には、なんの役にも立たなかった。
リリアとソフィアの翅に引き上げられて、レジナルドも森の高い木の上から状況を見下ろす。
花嫁行列の様相は、悲惨を極めていた。
馬車の車輪が泥濘んだ獣道を激しく噛み、土煙が黒く舞い上がる。
馬の蹄が地面を蹴るたび、湿った土が飛び散り、車軸の軋みが耳障りに響く。
走り抜ける都度、ばらばらと枝が屋根を叩き、乾いた音が連続して鳴り、森全体が馬車の逃走に呼応するようにざわめく。
「早く……! こっちだ!」
リーザを乗せた馬車を囲む、護衛兵の上ずる声、あちこちから聞こえる絶叫、断末魔。
リーザ姫の花嫁行列を護衛する兵士たちの数は、明らかに激減していた。
当初は百を超える精鋭が馬車を囲んでいたはずだったが、今や生き残ったのはわずか二十人ほど。
他の馬車——輿を護るための囮馬車や荷馬車——はすでに壊滅していた。
一本の道を外れ、森の奥で炎上するもの、悪魔の群れに引き裂かれたもの、離脱して闇に消えたもの。
リーザの馬車だけが、孤立無援の状態で逃げ続けている。
御者が鞭を振り上げ、馬を叱咤する。
馬の息が荒く、泡を吹きながら全力で駆ける。
だが、森の地形は味方しない。
根が張り出した木々が道を塞ぎ、馬車は度々減速を余儀なくされる。
御者の額から汗が飛び散り、手綱を握る手が血まみれ——先ほど、飛びかかってきたドローンの針で切られた傷が、痛みを増幅させる。
後方から、無数の黒い影が迫ってくる。
下級悪魔たちの翼が月光を切り裂き、赤い目が闇の中で無数に光る。
だが、それ以上に恐ろしいのは、森の上空を埋め尽くす魔界ドローンの群れだった。
黒く艶やかな甲殻に赤い単眼を輝かせた、無数の小型飛行魔獣。
一つ一つが拳大だが、群れになると空を覆い尽くすほどの数——数百、いや千を超えるかもしれない。
鋭い針のような脚、毒針のような尾、カメラのように回転する赤い眼——それらがリーザの馬車を執拗に追尾し、魔界中継用の映像をリアルタイムで送り続けている。
一匹のドローン魔獣が低く降下し、馬の尻を針で刺す。
馬が悲鳴を上げ、暴れ出す。
車体が大きく揺れ、リーザの身体が壁に叩きつけられた。
御者が必死に手綱を引くが、馬の動きが乱れる。
車輪が根に引っかかり、馬車が一瞬浮き上がるように跳ねる。
護衛の兵士たちが、馬車を守ろうと剣を振るう。
一人がドローン魔獣を叩き落とすが、次の瞬間、数匹の群れが彼を包み込み、毒針を刺し続ける。
兵士の顔が青ざめ、血反吐を吐きながら倒れる。
「ぐ……あぁ……!」
命の焔が、ぷつりと消える。
リーザの視界の端で、兵士たちの体が次々と倒れていく。
一人、また一人。
それぞれの胸に宿っていた小さな炎のようなものが、闇に吸い込まれるように消えていく。
護衛の叫び声、馬の悲鳴、ドローンの羽音——すべてが混じり合い、森を震わせる。
ドローンの群れは容赦なく追ってくる。
一匹が御者の背中に針を刺し、彼の動きが鈍る。馬車が蛇行し、木の幹に激突しかける。
スクリーンに映る映像は、魔界中継の最高潮を迎えていた。コメント欄が異常な速度で流れ、歓声が古城を揺るがす。
実況中継の声が、興奮を帯びて響く。
「さぁさぁ皆様!ここからが本番です!オルヴェス王女、ルイーゼ・ディノクタス・オルヴェスを、まずは馬車から引き出さなければ始まりません!
さぁ、どちらの名家に仕える強者が、生きた姫君を引きずり、こちらの生贄台に捧げることが出来るでしょうかぁ〜」
「行けいけー!勢い余って殺すなよー!!」
「半殺しで加減しろー!!」
「はやく引きずり出せー!!乳首見せろーーー!!」
森の中には、人間の絶叫、断末魔に加え、悪魔同士の罵倒と殺意と憎悪が渦巻いている。
レジナルドの武者震いが止まらない――いや、武者震いではなく、それは人間が極限で感じる"恐怖"から生まれる震えだった。
ぎゅっと、老いた家令から授けられた魔法護符を握りしめる。
(やるしかない。いや、なるようにしか、ならん。)
レジナルドはぐっと口を結び、心を落ち着かせた。
最終的な作戦手順を告げようとして、リリアの細い指先に止められた。
――その精神は、ルシエルだ。
「お前の作戦は、今もう読み取った。ソフィアが淫魔の霧で撹乱し、俺が隙を見て馬車の中に飛び込み、ドローン魔獣からリーザを守る。
お前は御者として馬車を走らせ、森からそのまま逃走する――無力な俺たちに、出来ることの全てだな。このままでは、お前は確実に死ぬ。レジナルド」
「閣下、私にはアルフレッド様の護符があります。彼はこの護符が私を守ってくれるとおっしゃいました。私はそれを信じます。」
「その護符は古い。だが魔力のないお前にも使えるよう、よく調整されている。
そして、この護符は巧妙に眠らされている――その本当の力を隠すためにな」
リリアが、レジナルドの首に下げた護符を手に取り、何事かを念じる。
――それは公爵家のみに伝わる、古代詠唱だった。
レジナルドの目の前で、ぱちんと音を立てて、古い魔法護符の表面が弾けた。
その瞬間、激しい焔を吹き上げて、巨大な火喰鳥の親子が姿を表した。
めらめらと燃える翼が、むうっという熱気をもって羽ばたく。
「これは……」
「古代魔法の圧縮技術だな。ラッキーだ。お前は生きた火喰鳥を森に"ルール通り"持ち込めた」
ルシエルは、冷たく澄んだ紫の瞳でレジナルドに向き合った。
「俺も、この森にルール通りに持ち込んだ"私物"がある。それはリリアとソフィアの肉体だ。」
「閣下のおっしゃる意味が良くわかりません」
見ていろ、とリリアの姿をした魔王は……
レジナルドの見ている前でソフィアを抱き寄せると、甘く彼女に口づけをし、そのまま木の上で激しくもつれ合い始めた。
「え、あの……閣下――」
「あー♡るしえる様ぁーこんな高いとこでやばー♡……あっ♡」
「閣下……急ぎませんと、リーザ様の馬車がもう――」
レジナルドの声にも、双子の淫魔たちはお構いなしの様子だった。
「あっ♡だめっ♡リーザちゃん助けなきゃ……♡」
(うそやろ……なんやねんこの状況)
さすがのレジナルドも、現実逃避したくなり、おもわず顔を背ける。
と、彼らの傍らでじっと滞空している火喰鳥の親鳥と目があった。
召喚されたものの、今の状況をみて
(……あほらし)
とでも言いたげに、火喰鳥がこちらを見つめてくる。
「好き好き♡あーん、ルシエル様だいすきー♡」
リリアの紫の瞳が冷たく光り、淫魔の仔の姿のままで、彼女の瞳をじっと見やった。
そして低い声で、彼より他に知る者のない古代詠唱を呟き始めた。
「……ソフィア。いままでお前に与え、注いできた魔力は俺のものだ。いま……返してもらうぞ。俺のためだ。わかってくれ」
ソフィアは、微かな不安げな表情を浮かべる。
「え……」
しかし最後には、にっこりと笑って、嬉しそうに彼にすり寄った。
「……いーよぉ♡ソフィアも、ルシエル様が大好きだから♡……えーよぉ♡」
ソフィアの体がきつく抱きしめられ、歪む――。
「あ……ルシエルさま……大好き♡」
その異変に気付いて、レジナルドがあっと声を立てた。
「待ってください!閣下……!!」
その刹那、ほんの一瞬で。
レジナルドの目の前で、ソフィアの肉体が、水玉のようにぱちんと弾けた。
水蒸気となってリリアの周りを漂い、名残も残さずに、静かに消えていく。
ソフィアに蓄えられていた魔力を、ルシエルがその命もろとも吸い尽くした――。
「なんてことを……!」
レジナルドは目の前の光景が信じられなかった。
いや、認められなかった。
甘えん坊で、わがままなソフィア……可愛らしい声で、いつも彼の訛りを真似した淫魔の仔。
感情よりも先に、涙が溢れた。
「……双子は、もともと俺のこぼした魔精から生まれた突然変異だ。
俺の怒りや悲しみを吸い上げ、俺の与える痛みを受け入れた。俺の心を癒そうとし、俺を愛してくれていた。
彼女たちは普通の淫魔じゃない。
俺の中に留めておくことの出来ない、凄まじい量の魔力の捌け口だった。
……だがもう、ここで終わらせる」
リリアの瞳からも、涙が一筋こぼれおちる。
ルシエルではなく、リリアが泣いていた。
「リリアの心が泣いている……だが、彼女もわかってくれている。」
「閣下……!でも、なんで!……なんで今なんですか!それほんまに、今せなあかんかったんですか!!!」
レジナルドが涙を流して、絶叫した。
それは彼が仕官してから初めて、ルシエルに見せる本音の激情だった。
「当たり前だ、レジナルド。今しかない。お前を死なせない為にも、今この場で、俺がやったことは完全に正しかった。
俺はソフィアに預けていた魔力を、リリアの肉体の中に取り戻した。
火喰鳥と俺とで、この有象無象の雑魚どもを焼き払う」
リーザ姫を護衛していた騎兵はもはや死に絶え、一人の姿も残っていなかった。
ひたすらに逃げ回る花嫁馬車を巡って、すでに下級悪魔同士が凄惨な同士討ちを始めている。
殺戮、殺戮、殺戮。
そして面白がるように飛び群れるドローン魔獣。
梢に掴まり、かろうじて立っている自分の第一従者に、ルシエルは冷たく背を向ける。
「レジナルド忘れるな、お前はその肉体が滅ぶまで、俺の所有物だ。
俺の命令に従い、いまここでリーザを奪取する事が、お前のなすべき責務だ」
か弱い淫魔の仔であるリリアの白い背中から、めらめらと燃え上がるような巨大な魔力のオーラが見えた。
レジナルドは、ルシエルの纏うその覚悟に……思わずぞっと怖気だった。




