31話 花嫁狩り
帝王サタンの王宮内、黒曜石と赤い炎で飾られた巨大なホール――。
天井は遥か高く、星のない闇が広がり、壁には魔界の歴史を刻んだ浮き彫りが、血のような赤い光を放っている。
アスモデールは玉座の横に設けられた黒い長椅子に腰掛け、片手で葡萄酒の杯を傾けながら、苛立たしげに舌打ちした。
「これか?これの醜いヒキガエルと子豚の群れが、お前らが『人間界の最高級』と胸を張る女たちの顔ぶれか?」
テーブルの上に広げられた羊皮紙のリスト。
そこには人間界の王族・貴族の令嬢たち、ありとあらゆる乙女たちの肖像が、魔術で描き出されていた。
だが、アスモデールの瞳には退屈しか映っていない。
「清楚で可憐で、それでいて……めちゃめちゃに汚したくなるような、そういう女はおらんのか?
父上に捧げる供物だぞ?ただの肉の塊じゃ意味がない」
配下の悪魔たちが縮こまる。
一人が恐る恐る口を開く。
「殿下……これ以上の美女は……人間界ではもう……」
アスモデールは杯をテーブルに叩きつけた。
葡萄酒が黒い血のように飛び散る。
「言い訳はいい。もっと探せ。年内のうちに、サタン帝王を招いて魔界最大の饗宴を俺は開催する。そこらへんのショボい貴族どもが身内でやるような、退屈な供物などいらん!
俺がこれは!と唸るような、最高の供物を探してこい。そうでなければ、お前ら全員、辺獄の果て送りだ、バカどもめ」
怒り狂って葡萄酒をあおるアスモデールに、腹心のアギーレがそっと別の羊皮紙を差し出した。
「殿下……多少ルールから外れますが――面白い一品を見つけました。
こちらはいかがでしょう。
来月、フォルネウス男爵が申請しているサバトの余興、”花嫁狩り”の対象者に含まれていた姫です」
アスモデールは興味なさげに紙を手に取る。
肖像画に描かれた少女は、金色の髪をゆるく編み込み、茶色がかった瞳で静かにこちらを見ていた。
清楚で、穏やかで、それでいて、どこか触れてはいけない禁忌のような気品をまとっている。
オルヴェス王国の王女……ルイーゼ・ディノクタス・オルヴェス。
「……ほう」
アスモデールの唇が、ゆっくりと吊り上がった。
「清楚で可憐で、それでいて……めちゃめちゃに汚したくなる。
哀れに泣き叫ぶ顔が見たいな。まさに父上に捧げるにふさわしい逸品だ。
こんな上物が、だれにも横取りされずに、まだ人間界にいたとはな」
「これまで、この娘については殆ど情報がありませんでした。
最近になって、近国の王子との政略結婚がまとまり、まもなく婚礼のために国を出るようです。
この花嫁行列を襲って略奪し、可憐な姫君をそのままサバトの場に連れ込んで生贄として提供する……。
好色で知られるフォルネウス男爵らしい、そそられるイベントになるとかで」
唇がゆっくりと吊り上がる。
「すぐ、こちらに献じろと言え」
「ところがです、殿下。ご存じのとおり魔界の掟、規則は規則です。この姫君については、すでにフォルネウス男爵のサバトの生贄として紐づいてしまっている」
アスモデールの性格をよく熟知している腹心は、噛んで含めるように説明する。
「ではどうしろというのだ。サバトの生贄は使い捨てだ。この姫はフォルネウス男爵のサバトで供物とされてしまえば、その死体さえ魔物どもの餌となる。ただ、指をくわえてみていろと?」
アギーレは声をさらに落とし、耳を寄せるようにしてささやいた。
「それが――面白い話があります。ちょっとした噂ではありますが」
アスモデールの瞳が、危険な光を帯びた。
「なんだと?あの半血の小僧公爵が?」
アギーレは慎重に続ける。
「少し前に、ルシエル卿の従者と使い魔の仔が、この姫の住むオルヴェス王宮に入り込んでいたようです。
もしかしたら、彼が主催するサバトで、この姫君を”使う”つもりだったのかもしれません。
とはいえ彼もフォルネウス男爵に先を越された形ですから、いまごろ焦っているでしょう」
「しかし、奴がサバトを開くなどという話は聞いたことがない。――いつも屋敷に引きこもってる陰気な奴だ」
「彼の身分ですから、四大公爵どころか、貴方のお父君、サタン様まで招く規模のサバトを開くことが出来るでしょう。
彼の家門はいま不安定です。
彼は公爵としてまだ若く、領地を返上してからは、その懐具合も厳しい。
……有利な婚約や点数稼ぎのために、魔界の実力者のためにサバトを開催し、そのための美姫を集めようとしていてもおかしくありません。
少し前から私邸の一部を改修しているとの話もありますし、何かを計画していることは間違いないでしょう」
アスモデールは杯を回しながら、くすくすと笑った。
「ふふっ……かつての大公爵家も落ちぶれたものだな。
このまま奴の惨めな宴を”笑いもの”にしてやってもいいが――。
俺が先に主菜を横取りして、あいつが実力者に媚びを売る計画を、まったく台無しにしてやるほうが面白い。」
彼は、心底ルシエルを憎んでいた。
「この話、内密に進めておけ」
*
魔界のルシエル公爵邸は、静寂に包まれていた。
黒い石造りの廊下を、レジナルドは無音で歩く。
家令アルフレッドの死後、人間界から戻ったレジナルドは、執事長補佐に昇格した。
そして以来、彼の仕事量は倍以上に増えていた。
ルシエル公爵のスケジュール管理、来客対応、領地からの報告書整理、魔界貴族からの招待状処理……。
すべてを淡々と、機械のようにこなす。表情は常に無表情。
銀縁眼鏡の奥の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
今日も朝から書類の山に埋もれていた。ルシエルは執務室に籠もり、政務に没頭している。
最近は特に、魔界のそうそうたる名家の令嬢たちからの夜会・お茶会・舞踏会の招待状が殺到していた。
どれも「ぜひお越しくださいませ」「お会いしたくてなりません」といった熱烈な文面で、裏には明らかに婚約の意図が透けて見える。
「貴方の冷たい、紫の美しい瞳が、わたくしの心を今も苛みます……」
ルシエルは毎回、「面倒だ……」と一言呟いて、令嬢たちからの恋文をそこら中に放り投げる。
それでも、社交の義務として、嫌々ながらそれらに参加する日々が続いていた。
しかし、夜会や舞踏会が終わると、ルシエルは決まって早々に屋敷へ戻り、十二夜の夢の扉を開く。
レジナルドは知っている。ルシエルはそこで、リーザ姫に縋りついているのだ。甘く、切なく、そして決して現実には届かない、夢の中だけの愛に。
(それも、むなしい愛やなあ……)
レジナルドは一瞬、動きを止めた。胸の奥で、何かが疼く。
リーザ姫の侍女だったアンナ――。そして、まだ見ぬ子どもの顔。
愛などない、謀略のためだけの交わりから生まれた、永遠に会えない、自分の血を引く子。
一瞬だけ、銀縁眼鏡の奥の視界が揺れた。
(――俺も変わらんな)
レジナルドは人間であっても、もう人間として生きることを諦めた者だった。
彼はすぐに表情を戻し、郵便物の整理を再開する。
今日届いた招待状の束。
魔界の令嬢たちからの熱烈なラブレター。甘い香水の匂いがする封筒。
「閣下に会いたい」「お傍に置いてくださいませ」
どれも同じような文面。ルシエルはどれも読まずに捨てるだろう。
その中に、一通だけ異質な封筒があった。黒い封蝋に、赤い薔薇の紋章。
差出人は――フォルネウス男爵。
成り上がりの中級悪魔だ。
金に飽かせて趣味の悪い歌劇のパトロンをやっている――あまり評判の良くない、貴族とは名ばかりの男。
中には、華美な招待状と、一枚のリストが同封されていた。
『人間界サバト 花嫁狩りへのご招待』
社交の場を好まないルシエルは、人間界で開催される騒がしいサバトに招待されても、過去殆ど参加したことがない。
レジナルドは魔界の情報収集と、いつものように断り状を作成するために封を開けた。
招待状の内容は、ごく簡潔だった。
来月、彼が人間界の某所で開催するサバトの余興として、美しい乙女だけを狙った”略奪・拉致イベント”を開催するというものだった。
”花嫁狩り”イベントの参加者は、一定の魔力以下の下級悪魔のみ。
主催者たる男爵が提供する、「人間界の美女・美姫リスト」から対象者を拉致し、サバト会場まで連れ去るという、いわば魔界の”借り物競争”だ。
対象の美女を生贄台に載せることで点数を獲得するが、基本的にルールは無用。
下級悪魔たちは、女たちを奪い合うため、魔術、武器、毒物、秘術を尽くして戦い、潰し合い、殺し合う。
ありとあらゆる卑怯な手段が許される、血みどろの死闘だ。
悪魔たちの戦いに巻き込まれ、供物にするはずの美女たちの肢体が千切れ、脳漿が噴き出すハプニングすら発生する。
下級悪魔たちが恩賞目当てに”リストの姫君”たちを奪い合う、「血で血を争う殲滅戦」を楽しみ、上級悪魔が衆目の前で「美しい供物を貪る」のを楽しめる。
いかにも魔性の者たちが好む、魔界のエンタテインメントの総てがそこに詰まっていた。
その全てを、イベントとして、完全実況生中継付きで”魔界全土に配信”する、とある。
そして、伝統ある公爵家当主であるルシエル閣下には、最上級の賓客としてご参加いただきたいと、へりくだった文面が続いていた。
そして、添えられている、花嫁狩り対象者リストがある。
1.プリンセス・エレナ・フォン・グランツ(グランツ王国第一王女)
年齢:21歳
冷たい表情が崩れる瞬間が見もの。
2.侯爵令嬢・ヴィオラ・ド・ルミエール(ルミエール侯爵家長女)
年齢:18歳
勝気な令嬢がどこまで耐えられるかに注目大。
3.伯爵令嬢・セレナ・アルディート(アルディート伯爵家次女)
年齢:19歳
気丈な仮面が崩れる瞬間を見届けたい。
わざわざご丁寧に、令嬢たちがどのように取り乱すのかを想定した、下卑たコメントまでついている。
そして、リストの最後に、レジナルドが良く知る名前があった。
20.王女ルイーゼ・ディノクタス・オルヴェス(オルヴェス王国第一王女)
年齢:18歳(推定)
清楚な表情が崩れて泣き叫ぶ姿に期待大。
魔界の者なら誰でも垂涎もの、最高級の逸品。
レジナルドの手が、わずかに震える。
そこに書かれているのは、彼の主であるルシエル公爵の最愛の女性の名前だった。
(……リーザさま……)
リストはまだ更新前だった。
他の名前は、すでに「(確保)」や「(済)」の印が押されているものもあった。
しかし、”ルイーゼ姫”の名前は、まだ「未」だった。
サバトの開催は、他国へ嫁ぐために故郷を出るリーザのスケジュールとほぼ一致している。
リーザの花嫁行列は、すでに魔界の手に狙われている――レジナルドは怖気立った。




