28話 女性のあしらい
エドマンド・グレイは、王太子アレクシスの私室に呼び出された。
アレクシスは顔を赤らめ、興奮気味に早口でまくし立てる。
「リーザが図書館で本を探している。お前が王宮の古文書や書籍に詳しいと知って、手助けしてほしいそうだ。
彼女から、なにか願い事をされるなんてはじめてだ!それが終わったら、彼女と遠乗りに行くから用意を」
エドマンドは無表情で頭を下げ、内心で舌打ちした。
(王太子はすっかりリーザにのぼせ上がっている。
政略結婚の道具としてしか見ていなかったはずが、今では彼女の影を追うように……。これはまずい)
とはいえ、リーザとじかに接する機会を得たことは、好都合だった。
姫の目的を掴むことは出来なくとも、女性のあしらいには”多少”自信があった。
信頼させ、まずはちょっとした本音を聞き出す――彼の数ある得意分野の一つだ。
王立図書館に到着すると、リーザはすでに古い書架の前に立っていた。
深い青のドレスを纏い、金色の髪をゆるく編み込んだ姿は、月光のように儚く美しい。
彼女はエドマンドに気づくと、穏やかに微笑んだ。
「リーザ姫。私は王太子の召使、エドマンド・グレイです。お手伝いに参りました」
「ありがとう、エドマンド。貴方は王宮の書物や古文書にとても造詣が深いそうね。力を借りたいことがあって、アレクシスに我儘を言いました」
初めて直接、姫と言葉を交わす瞬間だった。
エドマンドは丁寧に頭を下げ、彼女の視線を受け止めた。
姫君は書架の棚を指さしながら、静かに尋ねた。
「私が知りたいのは、――悪魔や魔界に関する書物なの。……棚には見当たらないけれど、閉架図書としてならあるかしら?」
エドマンドは一瞬、どきりとして息を止めた。
(……なぜ今、魔界の書を?)
動揺を顔に出さず、彼は淡々と答えた。
「王宮の蔵書には、魔界の伝承や占星学、オカルト的な魔術書も一部ございます。ただし、多くは禁書扱いで、許可が必要です。
どのような内容をお探しか、お聞かせいただけますか?」
リーザは少し考え、微笑んだ。
「星の配置と人間の運命……それに、命の焔について。古い魔術書に、そうした記述があると聞きました」
エドマンドは内心で警鐘を鳴らした。
(命の焔……それは魔族の領域だ。なぜ人間の姫が、そんなものを知りたがる?)
良いように取れば、リーザは真剣にルシエルとの結婚を受け入れ、魔界に嫁ぐ決意を固めたのかもしれなかった。
読書好きで、知的好奇心豊かな姫君が、移り住む魔界について”事前勉強”しようとしたとしても不自然ではない。ただ――
彼は冷静に棚から数冊を引き出し、簡単な説明を始めた。
占星術の古典、魔界の古伝承書、禁断の呪術書……。
リーザは真剣に聞き、時折鋭い質問を投げかけた。
その知識の広さ、みがかれた教養の深さに、エドマンドは内心で舌を巻いた。
彼女をただの政略の道具としか見ていない、オルヴェス王とアレクシスの愚かさに呆れたくなるほどだった。
リーザを得れば、それは単にルシエルに必要な女性というだけでなく、公爵家にとって掛け替えのない存在になるだろう。
図書館を出て、私室への帰り道――。
リーザはふと足を止め、エドマンドに静かに語り始めた。
「エドマンド、私がおかしな本を読みたがるのを、貴方は不思議に思ったわね?」
ぴんと来て、エドマンドは警戒の針を立てた。
さりげない口調で、丁寧に答える。
「姫君は、あまねくすべての世界のことに、ご興味がおありなのですね」
「……先ほどの本で、命の焔について少し触れていましたね。――私には、それに関連した、不思議な力があります」
彼女は淡々と、しかしどこか遠い記憶を辿るように続けた。
「幼い頃、夢の中で出逢った男の子と……キスをしたとき、目が覚めたら、私の目には人の命の焔がかすかに見えるようになりました。
青白い、揺らめく炎のような……」
エドマンドの瞳がわずかに揺れた。
「父を喪うとき、その命の焔が消えるのを、私はこの目で見たのです。
その後、その不思議な能力はすぐに消えてしまいました。
そしてずっと、――その事を私は忘れていました」
魔性の者と触れ合った人間に、その残り火のように魔力が燃え移ることは、ままあると伝えられている。
幼い日に初めてルシエルと出会い、彼から受けた魔力が、一時的に”命の焔が見える能力”として出現していたとしても不思議ではない。
「でも……最近、また目覚めたのです」
彼女がルシエルと、十二夜の夢の中で契ったことによって、ふたたびその能力に目覚めたのは明らかだった。
彼女はエドマンドをまっすぐ見つめた。
「今、私の目には、アレクシス王太子の命の焔が……弱く見えます。このままでは、彼はいずれ命を落とすでしょう」
リーザを追いかけ回しながら、アレクシスは夜ごと、エドマンドの唆す双子の淫魔たちとの淫らな性愛に耽っていた。
吸精淫魔は本能のままに、アレクシスの命をかじり、舐め啜り、吸い上げ続ける。
日を追うごとに王太子の疲労は濃くなり、げっそりと痩せ始めているのはエドマンドにも判っていた。
「食事の量も減っているわ。私とほとんど変わらないー彼はあんなに大きいのに」
エドマンドは無言だった。
下手な一言を発せば、彼女は見抜く。
「貴方の命の焔も、わたしには見えます。――とても穏やかで、優しい焔だわ。貴方は優しい心の人ね、エドマンド」
「恐れ入ります」
リーザは優しく微笑み、歩き出す。そして、付け加えた。
「あなたの中に”命の焔”が見えるということは――あなたは人間だわ」
「リーザ様の仰ることがわかりません」
「でも、あの双子たち。貴方の姪という二コラとルルには、その命の焔が見えない。つまり……彼女たちは人間ではないということね。
――二コラもルルも、とても純粋で、可愛らしい。濁りのない魂のようだわ。彼女たちといると癒される。……彼女たちが好きだわ」
リーザは一気に畳みかけた。
「私が知りたいのは、この王宮に人間の命をもたない双子、を連れてきた”人間の男”の真の目的よ」
姫君の言葉が、ぴしゃりとエドマンドに叩きつけられた。
「エドマンド・グレイ。貴方は何者なの」
万事これまで、だった。
エドマンドは静かに一歩下がり、ゆっくりと右膝をついて頭を深く垂れた。
銀縁の眼鏡がわずかに光を反射し、淡い灰色の瞳は床に伏せたまま。
静かに召使エドマンド・グレイの仮面を外し――礼に則って、簡潔に、しかし正しく名乗った。
「恐れ多くも、殿下の御前にて名を申し上げます。
私は魔界七十二柱の魔王の一柱、ルシエル公爵閣下の第一従者、レジナルド・チェンバースにございます。
このような下賤な身の者が姫君の御前に参じること、まことに畏れ多い限りでございます。何卒、御容赦くださいませ。」
リーザは静かに息を吐き、茶色がかった瞳を細めてエドマンドを見下ろした。
声は穏やかだが、氷のように冷たく、品位を保ちながらも鋭く響いた。
「……レジナルド・チェンバース。貴方の主、ルシエル公爵に伝えなさい。
私はオルヴェス王国の王女、ルイーゼ・ディノクタス・オルヴェスです。
私が国の領地に欺瞞と謀略を以て侵入し、信頼を弄び、周囲を操ろうとした行為に対し、厳重に抗議いたします。
魔界の七十二柱の一柱たる閣下が、これを許容しているのであれば、その品位を疑わざるを得ません。
次の十二夜の夢の中で、この件について礼節を持って、私と直接話し合うことを求めます。これで以上です。」
リーザは冷静だった。
ひざまずいたままの第一従者を見下ろしたまま、静かに言った。
「私は、侍女のアンナに暇を出しました。それは、彼女が身ごもっていたからよ。
彼女の中に、もうひとつの小さな命の焔が見えたわ」




