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半血魔王のクロニクル<年代記> ~魔界で一番外道な貴公子~  作者: 古弥須 凱
第一部 黒き貴公子と贖われぬ花嫁
3/45

1話 十二夜の再会

挿絵(By みてみん)


運命のサバト、その数か月前の魔界の深部。


七十二柱の若き魔王であり、すでに隠居した父・ハデス公の爵位を継いだ貴公子ルシエル卿が治める、魔界でも最も暗い場所にある広大な領地。

 

その闇の向こうから、少女たちの呼び声がかすかに聞こえてきた。

 

ルシエルの愛玩動物(ペット)である双子の淫魔、リリアとソフィアは、小さなコウモリの翼で飛び回り、細かな霧雨の降る夜の森に怯えながら、主人の姿を探していた。

 

「ルシエル様! どこにいらっしゃいますか…! お返事してください――!」

 

「ルシエルさまぁ~!どこぉ~?」


空気は甘く湿り、媚薬のような匂いが漂う。


古い木々が空を覆い、葉から絶え間なく細かな雨が滴るこの暗い森は、どこまでも続くルシエルの領地だった。


「ねぇリリア……もうお屋敷に帰ろ。こんな真っ暗で広い森の中で、どうやってルシエルさまを探せばいいのよぉ」


道半ば、そんなに飛行しないうちからすっかり疲れてしまったソフィアは、もう帰りたくてたまらない様子だった。


「そんなこと言ったって、ルシエルさまが念話(テレパシー)を飛ばして私を呼んだんだもの。いちばん北の東屋ガゼボまで、すぐ来いって」


「東屋なんてちっとも見えないじゃん。もうずーっと、森の端っこまでぐるぐる飛び回って来たのにぃ」


すっかりやる気を失って、大きな古い木の下に座り込んだソフィアは、ぷいっとそっぽを向いて不貞腐れてしまう。


もう一歩も動きたくない妹の姿を見て、リリアは深いため息をついた。


とにかく、この森のどこかにいる主人を探さなければ。


暗い森の中を彷徨い続け、文句ばかりのソフィアを追い立てながら、リリアはやっと求める相手を視界に捉えた。


「ルシエルさま……!」


喜びと安堵から駆け寄ろうとして、リリアは歩みを止めた。


――ルシエルは、霧雨の降る森の木影から、ひとりの少女を眺めていた。


黒いマントを長身に纏ったこの若き魔界の公爵は、彼の左右に散らした短い黒髪と共に、ほぼ周囲の闇と同化している。


ただ、その美貌を象徴する美しい(アメジスト)の瞳だけが、冷たく彼の”獲物”を捉えていた。


「あの娘……にんげん?! 一体どうやってルシエルさまの領地に入ってきたのぉ……?!」


驚いて素っ頓狂な声を上げるソフィアに気づき、ルシエルは人差し指を立てて静かに、という合図を送った。


双子は顔を見合わせて、そろそろと主人に近づき、影のようにぴったりと寄り添った。


「何か空気がおかしいと思った。今宵は十二夜のせいで、魔界と人間界を遮る(とばり)が淡くなっている。ほら、見てみろ」


ルシエルが足元を示すと、少女のいる東屋の周りだけ、ぼうっと真珠色の霞が漂っていた。


「あの光の向こうは、この少女の“夢の中”だ。足を踏み入れれば、気づかれてしまう」


「気づかれないように、ここでずっと彼女をご覧になっていたのですね」

と、リリア。


「そう――ずっと見ていた。だが、俺の姿は見られたくない。だからお前たちを念話で呼んだ」


「悔しいけどぉ……あの子、とっても美人さん~。手も足もすらっとして、お肌もとっても白くて……きれい。」

 

いつも他人の悪口しか言わないソフィアが、思わず素直にそう漏らすのも無理はなかった。

 

その少女の姿は、暗い霧雨の中に際立って、光輝いて見えた。


白いナイトガウンは雨に濡れ、金色の髪が頬に張りついていた。


儚げなその姿は、霧雨の森の中で幻想のように見えた。


その少女――リーザは、蔦の絡まる古ぼけた東屋のベンチに腰掛け、ただ寂しげに、雨音に耳を傾けていた。


「俺は一度、あの夢の中に入り込んで、彼女……リーザに出逢ってる」


どこか寂しげな声で、美しい貴公子は呟いた。


「――彼女の記憶には残っていないはずだ」


「ルシエルさま、何だか悲しいお顔……」


ソフィアが顎の下から顔をのぞかせ、甘ったるい声で囁く。


そのまま雨に冷えきった体で、ルシエルにぴったりとくっついた。


「でも、お体はすっごく熱い♡ ……ここからあの子をのぞき見ながら、めちゃくちゃ魔性の本能めざめちゃってるぅ」

 

「――お前はバカだが、目ざといな」


ルシエルは低く笑い、ソフィアの頭を軽く撫でる。


だがその手は、どこか苛立っているようにも見えた。


ソフィアは嬉しそうに目を細め、さらに追い討ちをかける。


「ルシエルさま♡。 あのきれいな女の子は恋人ガールフレンド

昔なにかひどいことして、泣かせちゃったのかな♡

だから、こそこそ木の陰に隠れてんだぁ……?」


「ソフィア、いい加減になさい!」

 

リリアが慌てて妹の口を押さえようとするが、ルシエルは片手でそれを制した。


「リーザには、ほんのちょっと触れただけだ。俺も少年ガキだったから、幼くとも高貴な御身レディには多少無作法だったかもしれないがな。まぁ……嫌われていても仕方がない」


はぐらかすような言い回し。


リリアは心の中でため息をついた。


ルシエルの言う「ほんのちょっと」なんて、信用できるわけがない。


この美しい貴公子の欲望が、「ちょっと」だけで済ますはずがないのだから。


ソフィアはくすくす笑いながら、ペット特有の馴れ馴れしさで、主人であるルシエルの胸に遠慮なく頰を寄せる。


「ふーん……♡ルシエルさま、嫌われるようなコトした自覚はあるんだ♡」

 

「いずれにせよ、彼女が眠りから覚めれば、この森と人間界との帳が降りてしまう。俺はもうしばらく彼女の姿を見ていたい。ただし“俺の姿は見られたくない”。わかるな?」

 

双子の淫魔は、お互いの顔を見合わせた。


「お前が行って来い、リリア。リーザはいま、悲しんでいるのだろう。あの時もそうだった。行って彼女を”なぐさめて”来るんだ。お前の可愛い温もりを使ってな」


「ええっ……わたしが、ですか?――そもそも、なんてお声がけすればいいのか」


「ときどき、お前は賢いのかバカなのかわからんな。まぁサキュバスとしては賢いほうだが……。俺は、とにかくリーザを”じっくり”と見たいんだ」

 

人間界の時間と魔界の時の流れはまったく違う。

 

リーザの夢の中に踏み込み、強引に抱き寄せた華奢な体……そのあまりの軽さに驚いたことを、今もはっきりと覚えている。

 

小さな赤い唇の温かさ、細い彼女の首筋の震えも、何もかも。

 

(――もうずいぶんと大人になっているはずだ。)

 

――もしかしたら、まだ俺のことを覚えているだろうか。


しかし、十二夜の月はすでに傾き始めていた。


時間がない。


リーザの夢の扉が、夜明けとともに閉ざされる――。


「おいリリア、何をしてる、早く行け!」


強い口調で叱られ、リリアはびくんっと肩を震わせた。


おずおずと、何度も不安そうに振り返りながら、リーザのいる東屋へ歩いていく。


(――ルシエル様は、前からずっとあの子のことが好きなんだわ……)


リリアの“声”が不意に聞こえてきて、ルシエルは苦く笑った。


悪魔(ディアブロ)が人間の女に向ける欲望は二つしかない。


貪ってから殺すか、殺してから貪るか。

 

あの時、リーザを殺そうとしなかったのは、ただの少年だった自分の未熟さだと、己に言い聞かせてきた。


だが今、十二夜の月あかりに垣間見た、美しいリーザの姿に、あの日の記憶が猛り狂う。


淫魔の仔……ソフィアが彼の欲望に反応したかのように、伸ばした白い手で彼の黒髪ごと引き寄せた。


甘えるように唇を重ね、念話でルシエルに囁きかけた。


(ねーねー♡ルシエルさま♡)


(馬鹿め。俺は昂っていても、お前の相手をしている暇はないぞ)


しかし、この若き魔王は目線だけはリーザ姫から動かさなかった。


唇を離し、すがりつく淫魔の仔を冷たく押しのけた。

  

「――熱い」


霧の中でじっとりと汗をかいている襟元を開いて、ルシエルは東屋の少女たちを見た。


今まさに――彼の支配下淫魔であるリリアが、そっと麗しのリーザの肩に触れようとしている。


そう、十二夜が終わる前に――少女はゆっくりと振り返った。

▼次話

2話 高貴な御身の姫君を…

挿絵(By みてみん) 

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