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半血魔王のクロニクル<年代記> ~魔界で一番外道な貴公子~  作者: 古弥須 凱
第一部 黒き貴公子と贖われぬ花嫁
24/44

22話 つながる

挿絵(By みてみん)



自室のランプが、淡いオレンジの光を投げかけている。


リーザは椅子に深く腰を沈め、膝の上の古い詩集に目を落としていた。


ページをめくる指はゆっくりで、時折止まる。


次の十二夜に備え、リーザは少しずつ眠る時間をずらしながら、慎重に生活リズムを整えていた。


彼女が眠らないことで、十二夜の夢の中に侵入しようとするルシエルを拒む。


それが唯一、リーザに取れる防衛手段だった。


今日は少し頭が重い……ふわふわと落ち着かない。


うっかり眠ってしまわないように、少し刺激の強いハーブティーを口に運ぼうとカップに手を伸ばして……驚きのあまり、それを取り落とした。


カップが床に転がり、熱い液体が広がる。


そこに立っていたのは、黒い髪の少年だった。


「ルーク……」


ルシエルの少年時代――、ルークはあの時と同じように、どこか壊れそうな脆さを持つ瞳をしていた。


悲しみをたたえた紫の瞳。


リーザの心臓が大きく跳ねた。


ルークは言葉を発さず、リーザの手を強く掴んだ。


「リーザ、あいつが来る。……逃げよう」


声は震えていた。


リーザは驚きで目を見開いたが、抵抗する間もなく引き起こされ、二人はリーザの部屋を飛び出した。


彼の手は冷たい。


長い回廊を駆け抜け、誰もいない王宮の石畳に、二人の足音だけが響く。


燭台の炎が揺れて、影が追うように伸びる。


王立図書館の一角。古い書架の奥、埃っぽい隠し扉の裏に、ルークはリーザを押し込んだ。


「ここならまだ見つからない。あいつは怒っている。リーザがあいつを愛さないから――」


扉を閉めると、暗闇が二人を包む。


息が荒く、互いの鼓動が聞こえるほど近い。


ルークは壁に背を預け、震える声で言った。


「お前はあいつに狙われている。あいつは化け物だ。


自分の悲しみのために、自分で自分を壊そうとしていて、そこにお前を巻き込もうとしているんだ」


「……なぜ助けてくれるの」


ルークは顔を伏せ、唇を強く噛んだ。涙が一筋、頰を伝う。


「これ以上お前に嫌われたくなかった。お前に……本当は謝りたかったんだ」


声は途切れ途切れで、泣き虫の少年がそのままそこにいた。


リーザはそっと手を伸ばし、泣きじゃくるルークの頰に触れた。


大人の女性として、静かに、しかし確かな声で言った。


「もういいのよ。あなたは私を傷つけたけど、そのことであなたも苦しんでいた。……私はそれを赦すわ」


ルークは顔を上げ、涙に濡れた瞳でリーザを見つめた。


リーザは微笑み、幼い頃の記憶をそっと呼び起こした。


「覚えてる?あなたが私にプロポーズした時、私はこう言ったわ。『立派な殿方になったら、結婚してあげる』って」


ルークの目が見開かれた。


「リーザは約束してくれた」


優しく頷いた。


「ええ、約束したわ。だからあなたも忘れないで。」


その瞬間、図書館の空気が微かに震えた。


遠くから、誰かが夢の扉をこじ開ける音がする。


リーザはルークの手を握りしめ、囁いた。


「夢でも、現実でも……あなたが立派な殿方になるのを、私は待ってるわ」


ルークは涙を堪えきれず、リーザの肩に顔を埋めた。小さな嗚咽が漏れる。


「リーザ、ごめん」

 

彼女はそっと彼を抱きしめ、背中を撫でた。


「わたしは大丈夫。ルシエルのことは、彼と私の問題よ。もう、貴方とは関係ないわ。


ルーク、またいつか……私たち、お友達になれるわ」


泣きじゃくる少年を抱きしめながら、そっと彼の額に口づけした。


リーザは彼の髪を優しく撫で続ける。


外では、王宮の時計がゆっくりと時を刻み始める――





公爵邸の執務室の午前。


朝帰りのルシエルは、政務机に突っ伏したまま、微動だにしない。


黒髪が乱れ、シャツの襟元は昨夜のまま開け放たれ、首筋に赤い痕がいくつも残っている。


扉の外から、執事のトーマスと女中頭(ハウスキーパー)のミス・アルマが、中を覗き込んでいる。


「……起きていらっしゃるんだろうか。――ぴくりともされないが」


「さっき、水をがぶ飲みされていたわ。なんとか目の前の書類だけは裁こうという、意思の力を感じるわね」


彼女の視線は、ルシエルの背中に注がれている。


「あんなにひどく酔って帰られたのは初めてだと、門番もビックリしていたわ。


馬車から抱き起そうとした従僕を、二人も念波で吹き飛ばして」


その後ろ姿は、普段の冷徹な貴公子とは別人のように無防備で、どこか壊れそうに見える姿に、胸が締めつけられる。


「きっと何かご事情があったのだろうが、酒場から届く請求書のことを思うと、……こちらも頭が痛いな」


トーマスが、ため息混じりに言う。


「こんな時、レジナルドがいてくれたら…」


ミス・アルマも、小さく頷く。


「アルフレッド様も、もうほとんどお目覚めにならない日が増えてるわ。


でもレジナルドには使いをやってあるの。家令(アルフレッド)様は、どうしても彼に伝えたいことがあるとおっしゃって」


老いた家令の部屋は静かで、最近は息をしているかどうか確かめるために、毎日見回りが必要なほどだ。


二人はしばらく黙って、主人(ルシエル)の姿を見つめていた。


ルシエルは微動だにしない。


が、意識ははっきりしている。


今確かに、……かすかに頭をよぎった夢のことを思い出していた。


城の中で、彼はリーザを見つける。


彼女は本を読んでいた。


ルシエルを見て驚く――。


しかし、嫌悪の表情はうかべなかった。


彼女の手を引き、誰もいない長い廊下を二人で走り出す。


何かに追われている不安に駆られて、彼女を守りたくてただ、走る。


彼女の手は温かい。


リーザが何か言う――


言葉は聞こえない。


必死でつたえたくて、ルシエルは口を動かすが言葉にならない。


なぜ伝わらないのかが悔しく、涙が止まらなくなる。


リーザが優しく微笑む。


彼をやさしく抱きしめ――


ルシエルの額にそっと口づけた。


額に触れたリーザの唇の柔らかさ、そのぬくもりが、まだかすかに残っていた。


ルシエルは、机に額を押しつけたまま、じっと虚空を見つめていた。


夢だったはずの感触が、現実の冷たい机に重なり、胸を締めつける。


王宮でのレジナルドの計画が、確実に動き始めた。


そしてついに、リーザと自分の夢が今、十二夜と同じようにつながったのだと、ルシエルは確かに悟った。

▼次話

23話 征服者

挿絵(By みてみん) 

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