20話 天界の悦楽
馬車が【天界の悦楽】の裏口に滑り込むと、黒い結界が音もなく開いた。
ルシエルはマントを翻して降り立つ。
ドアマンが、「公爵閣下、こちらへ」と頭を下げ、黒いカーテンを開けてVIP専用エレベーターへ案内した。
セキュリティの魔族が半径数メートルに張り付き、他の客が近づけないように壁を作る。
マルコはニヤニヤしながら(ほらな、俺もVIP扱いだろ?)とばかり、自慢げに周囲を見回している。
最上階の扉が開くと、部屋全体が鏡張りの闇に包まれていた。
天井から垂れ下がる蒼い結晶がゆっくり回転し、光が無限に反射して、現実と幻覚の境目を溶かす。
空気は濃厚な媚薬の霧で満たされ、息を吸うだけで下腹部が熱く疼く。
マネージャーが即座に頭を下げ、
「ルシエル公爵閣下、お待ちしておりました。本日は特別に最奥の『堕天使の淫巣』をご用意しております。
媚薬の濃度はご希望に合わせて調整可能です。
鎖、玩具、娼婦……すべてお好きなようにお使いください」
ルシエルは無言で頷き、マルコを従えて部屋に入る。
ルシエルはVIPルームの重厚な扉を押し開けると、すぐに部屋の中央に腰を下ろした。
黒大理石の円形ベッドが微かに浮遊し、蒼い結晶の光が彼の黒髪と紫の瞳を妖しく照らす。
マントを脱ぎ捨て、胸元を大きく開いたシャツ姿で背もたれに凭れかかる。
マルコはシャンパンを開け、グラスをルシエルに渡した。
「まぁ、まずは一杯やろうぜ。今日のストレス、全部ぶちまけろよ」
ルシエルはグラスを受け取り、そのまま一気に泡をあおった。
喉が熱く焼ける感覚が、渇きを少しだけ紛らわせる。
「おーおー、フロア盛り上がってんなー」
マルコの声に、若き公爵の表情は冷たく、ただ無言でガラス張りの壁越しにフロアを見下ろす。
壁一面が一方向透視の魔力鏡になっており、下の一般フロアが丸見えだ。
ルシエルは動かず、ただ眺める。
その視線は獲物を値踏みする猛禽のように鋭かった。
フロアはすでに熱気に満ちている――
中級の——甘やかされた若手貴族の坊ちゃんお嬢ちゃんたちが、媚薬の霧に理性を溶かされて、乱痴気騒ぎの真っ最中だ。
鏡張りの床に映る姿が無限に増殖し、フロア全体が淫靡な鏡の迷宮と化す。
ルシエルはただ、紫の瞳でその光景を冷たく、じっと見下ろす。
フロアの喧騒が、VIPルームの結界越しに響いてくる。
喘ぎ声、肉のぶつかる音、魔性の尾がはげしく白い尻を叩く音……。
シャンパンを二杯空けた頃、ルシエルは立ち上がった。
マルコが「お、動く気になった?」と笑って付いてきた。
ルシエルはVIPルームの扉を押し開け、フロアへと降り立った。
ぐぁんっという大音量と共に、媚薬の甘い霧が肺を直撃し、一瞬、紫の瞳が揺れる。
だがすぐに冷たい微笑を浮かべ、ゆっくりとフロア中央へ歩を進める。
音楽が体に響く。
低く唸るベースが心臓を叩き、弦楽器の妖しい旋律が肌を這う。
照明は血のように赤く、蒼い月光が交互に点滅する。
彼の存在を認めた周囲の魔族たちが、一瞬息を呑む。
「嘘。マジで……やば!」
「ルシエル公爵きてるって……!」
ざわめきが広がり、彼の周りに自然と人だかりができる。
ルシエルは誰とも目を合わせず、ただ一人で踊り始める。
腰をゆっくり落とし、黒髪を振り乱し、シャツの胸元を大きく開いて鎖骨と腹筋を晒し、腹底へ響く大音量に身をゆだねている。
彼の周りに、女の魔性たちが次々と近づいてくる。
一人目が背後から抱きつき、胸を押しつけながら腰を合わせる。
ルシエルは無表情のまま、片手で相手の腰を抱き寄せ、ゆっくり回す。
女魔族は甘く喘ぎ、黒くしなやかな翅を広げて、ルシエルを包み込む。
二人目が正面から密着し、尻尾でルシエルの首を締めつけ、唇を重ねて舌を絡める。
ルシエルは相手の唇を甘く吸い、腰を深く沈めて押し込む。
女魔族の体が震え、「あぁ……ルシエルさま……」と悲鳴を上げる。
三人目が横から絡みつき、胸をルシエルの背中に押しつけ、ルシエルの股間を撫で上げる。
ルシエルは低く唸り、三人を同時に引き寄せ、体を密着させて踊る。
鏡に映る無数のルシエルが、同時に女魔族たちを抱き寄せ、腰を振り、唇を奪い、フロア全体を支配する。
絡まりあう女たちの中心で、ルシエルは変わらず、ただ一人で踊っている。
「え、ちょっと公爵さまの腹筋みえてて、やばいんだけど♡」
「だめ……あの腰つき見てるだけでエロすぎぃ♡わたし、ぜったい排卵はじまってるよぉ♡」
女たちの視線が、公爵の腰つきにねっとりと絡みつき、汗で透けた彼の引き締まった肉体に惹きつけられる。
「やばぁ♡マジで公爵さまに抱いてほしいんだけど……」
ルシエルは無表情のまま、しかし瞳の奥でただ、黒い炎が燃え上がるのを感じていた。
「るしえる様……抱いてぇ♡VIPへ連れてってぇ♡」
女魔族たちは甘く悲鳴を上げ、体を震わせる。
フロアはルシエルの支配下にあり、誰もが彼のリズムに合わせて体を揺らし、快楽に溺れていく。
ルシエルは「踊らない」と言い張りながら、誰よりも激しく、誰よりも深く、体を動かし続けていた。
*
一曲踊り終えて、ルシエルは女魔族の手を引いてVIPルームに戻った。
ドアが閉まる音が響くと同時に、彼は女をベッドに押し倒す。
シャツを完全に脱ぎ捨て、引き締まった上半身を露わにしたルシエルは、紫の瞳を細めて彼女を見下ろした。
そして用が済めば、女をベッドに残したままで、再びフロアへと降りていった。
彼は、このループを、夜通し繰り返した。
フロアには媚薬の霧が濃く立ち込め、息を吸うたびに心臓が熱く脈打った。
どの女もルシエルに抱かれたがってわななき、哀願し、縋りついてくる。
ルシエルはフロアの中央で踊り続けていた。
紫の瞳を細め、黒髪を振り乱し、腰を低く落として激しく円を描く。
その動きは、まるで獲物を誘う獣のようで、周囲の女魔族たちが息を呑む。
一回転するたび、シャツの裾がはだけ、引き締まった腹筋が露わになる。
ルシエルは無表情のまま、ただリズムに身を任せて踊り、女たちのエロティックな視線を一身に浴びる。
「あぁ……ルシエルさまの腰……やばぁ……♡」
「だめ…やばすぎぃ♡もう見てられないっ」
と、甘いため息を漏らす。
一曲が終わり、ルシエルは近くにいた女魔族二人を両手にを引いて、VIPルームへ戻る。
どの女を抱いているのかもわからない。
快感だけがルシエルを支配し、感情はどこにもない。
ただ、「もっと……もっと……」という魔性の本能だけが、彼を突き動かす。
VIPで抱き、フロアで踊り、またVIPに戻って抱く……。
彼に縋りついてくる女たちの手を引き、ルシエルはただ、この終わりのない快楽の階段を昇降しつづけた。
部屋全体が、甘い喘ぎと魔力の脈動で満たされていた。
そして、決して満たされることのない彼自身の欲望を果たそうと、ただ激しく女たちを抱き続ける。
激しい渇きを、ただひたすらに癒したかった。




