19話 悪い友
ルシエルは一人、外廊下の傍らに立ち尽くしていた。
蒼い月が冷たく照らす中、肩を落とし、血の滲んだ拳を握りしめたまま動かない。
「おい、ルシエル」
軽い、馴れ馴れしい声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのはマルコキアス――マルコ。
赤髪に赤銅色の瞳、いつも軽薄な笑みを浮かべる男。
彼も参内していた一人で、大広間の隅からルシエルの様子を苦しげに見つめていた。
マルコはルシエルよりやや低位の貴族だが、幼い頃からの付き合いだ。
彼は軽く肩をすくめて近づき、ルシエルの血まみれの手を見下ろす。
「またアスモデールにやられたな――マジでひどかった。あの野郎、今日めちゃくちゃ調子乗ってたぜ」
ルシエルは視線を逸らす。
マルコは大げさにため息をつき、友の肩に軽く手を置く。
「俺も参内してたけどさ、隅っこでしか見られなくてよ。何もできなくて……マジで申し訳ねえわ」
ルシエルは小さく息を吐く。
「ああ」
マルコは少し声を落としつつ、軽薄に続けた。
「ま、いつものことじゃん。今夜はもう、屋敷に籠もるのやめろよ。ぱーっと気晴らしに付き合えって」
ルシエルは冷たく返す。
「……気晴らしなど必要ない」
「嘘つけって。お前、今めっちゃ誰かを壊したくてウズウズしてる顔してるぞ、マジで」
マルコはにやりと笑った。
「知ってるか?【天界の悦楽】って社交場。
今、マジで流行ってるんだぜ。
中位貴族の連中が毎晩のように集まってさ、『天界の悦楽で一晩中堕ちてくる』って自慢しまくってる。
最近は上位の若手貴族もこっそり通い始めてて、入口の結界が混んでて入れない奴も出るくらいだよ。
媚薬の煙が濃すぎて、フロア入った瞬間に理性飛ぶって評判で、VIPルームは予約で埋まってるらしいぜ。
お前が行けば、みんな『あの公爵が来た!』ってざわつくし、俺もお前のおかげでいい席取れるから、一石二鳥だろ?」
ルシエルは小さく鼻を鳴らす。
「……くだらないな」
「くだらないって言うなら、行ってみろよ。お前みたいな完璧主義者が、あのヤバい霧の中でどうなるか……俺も見たいんだよ、マジで」
ルシエルは一瞬、拒絶の色を見せる。
だが、胸の奥で黒い炎が燃え上がるのを感じた。
淫魔の双子たちを人間界へ手放して、時間が経っているのもあった。
「…ふん。くだらないが…少しだけだ」
マルコは満足げに笑い、指を鳴らすと、闇の中から黒い馬車が音もなく現れる。
魔力で浮遊する車輪のない馬車、漆黒の馬が引く。扉には公爵家の紋章が薄く刻まれている。
マルコは扉を開け、ルシエルを先に押し込む。
「ほら、乗れ乗れ。お前の馬車なら専用入口の扱いも断然違うぜ。今日はお前の好きにしていいからな」
ルシエルは馬車に乗り込み、暗い窓の外を眺めた。
マルコは向かいの席に座り、軽く足を組む。
「【天界の悦楽】はガチでヤバいって。今マジで魔界の若手貴族の間でバズってるぜ。
俺、前にフロア行ったとき、入った瞬間媚薬の霧で頭、真っ白になって、気づいたら隣の女魔族に尻尾絡められて腰振ってたわ。
マジで理性が飛んで、朝まで抜け出せなかったもん。
みんなガンガン踊りまくって、密着して、胸押しつけ合って……もう完全に獣みたいになってたわ〜」
ルシエルは無言のままだ。
「VIPルームは俺まだ入ったことねえんだけど、噂じゃ黒いベッドが浮かんでて、鏡張りで360度丸見えらしいぜ。
めちゃエロの淫魔娼婦がいっぱい待ってて、翅で包み込んで、尻尾で縛り上げて、喉奥まで咥え込ませて……。
あそこじゃ一晩で何人堕とせるか、競い合ってるってよ、いやーマジで楽しみだわ」
マルコは興奮冷めやらない様子で笑い、馬車の窓から外を指す。
「ほら、もうすぐ着くぜ。準備しとけよ、ルシエル。
【天界の悦楽】で、ガンガン女を抱いて、そのくだらねえプライドもぶち壊して、ぜんぶ忘れちまえって」
馬車は魔界の夜道を滑るように進む。
ルシエルの瞳は、窓の外の蒼い月を映して、暗く、静かに光っていた。




