9話 待ち人
十二夜の月光が薄く差し込む東屋は、夜霧の昏い香りに満ちていた。
もうすぐ明け方だ。
空はまだ深い藍色だが、東の空にわずかな白みが差している。
ルシエルは人気のない東屋の柱に寄りかかり、ただ漠然とリーザの夢が開くのを待っていた。
傍らに控えるレジナルドは、静かに主人の横に膝をついている。
黒いマントの下で固く握り潰されたルシエルの指先。
その苛立ちが剥き出しになった美しい顔を見るだけで、レジナルドの息が詰まる。
十二夜の夢は開かず、リーザは現れない――
第一従者は、淡い灰色の瞳を上げ、静かに口を開く。
「閣下……リーザ姫は、前回の十二夜で、貴方をあまりにも強く拒絶しました。
こうして今宵も現れないということは――
おそらく、“十二夜”という時空の隙間に自らの夢を繋ぐことを拒み、意図的に眠りを拒んでいるのでしょう」
「眠りを拒む……だと?」
ルシエルが低く唸る。
「そんな単純なことで俺を閉め出せるとでも?」
「人間の体は脆いものです。魔族のような魔力も持たない。
十二夜の夢は、睡眠の狭間を抉って侵入するもの。
リーザ姫があえて十二夜の夜、自ら目を閉じなければ……その扉は、永遠に開かないかと」
ルシエルは一瞬、目を細めた。
そして、ゆっくりと、毒を孕んだような笑みを零す。
「は……賢い女だ。
俺がどれだけ吠えようが喚こうが、所詮は道化に過ぎなかったわけか」
霧に濡れた黒髪を乱暴にかき上げながら、彼は吐き捨てるように続けた。
「出し抜かれた、なんて甘い言葉は似合わないな。
俺があまりにも馬鹿正直で愚かなだけだ。あれほどまでに拒絶されたのに……
また十二夜が来ればリーザの夢が開き、この手で彼女に触れられるものだと、呑気に思い込んでいた」
(たしかに、賢い姫さんや)と、内心レジナルドは呟いた。
彼女が持ちうる最小限の手段のうちで、十二夜の魔界との接点を断つには「眠らない」ことがいちばん確実なのは間違いない。
東の空に滲む朝焼けを、ルシエルは虚ろに見上げた。
そしてぽつりと、珍しく本音を吐露した。
「お前の報告書を、あれから何度も読み返した」
あの朝、執務椅子の奥深くに沈み込んだまま、ルシエルが淡々と告げた言葉。
「この報告書は、よくまとまっている」
短い一言だが、レジナルドにとっては最大限の賛辞だった。
「彼女の本名を、ルイーゼと知れて嬉しかった。彼女に相応しい美しい名前だと思った。
初めて会った時、ただリーザとだけ名乗ったあの子は、まだ本当に幼かったんだな」
若き公爵の横顔は、深い疲労と渇望で暗く翳っていた。
「……リーザは、俺と同じだ」
声は低く静かだが、その一言には底なしの渇きと、わずかな痛みが混じっていた。
「叔父王に、政略結婚の生き餌として利用され、王宮では孤立し、誰にも甘えられず――。リーザは、ひとりぼっちで生きてきたのだろう」
「リーザ姫は、心がお強い方です」
ルシエルは、ゆっくりと息を吐いた。
「そうだな、そして彼女は頑固だ。決して心を折らない。受けた屈辱も、決して甘んじて受け入れない。
女に顔を打たれたなんて、ニ百年を生きてきて初めてだ。
姉上は、母代わりに俺を愛してくれたが、わがままな俺に手をあげたことなど一度もなかった」
「閣下、魔界では古くより"女の怒りは竜より恐ろし"と、申します」
「魔界の古諺を、人間のお前から教わるのも滑稽な話だな」
第一従者は、ただ、静かに傍らに控えていた。
竜よりも恐ろしい女の怒りに、俺は焼き尽くされているのだと、ルシエルは遠い夜明けの空を眺めた。




