構成について
これまで5回に渡って、古墳時代後期の丁未の乱に至る世界観をご紹介してきました。縄文時代、弥生時代、古墳時代と時代の流れを俯瞰して、当時の気候の変化や、日本に伝播してきた稲作文化の違い、巫女が誕生した背景、またそのような環境の変化によって生まれてきた思想。まるで玉突きのように変化していく様子を、僕の主観でまとめてみました。ただ、これらの内容は教科書で語られているものとは違います。違いますが、僕の主張が荒唐無稽だとは考えていません。様々な事実を寄せ集めて吟味しつつ、古事記や日本書紀では表されなかったヤマト王権の姿を僕なりにイメージしました。その上で当時の特徴を一つ挙げます。
――ヤマト王権の国家統治は、巫女と大王の二頭政治だった。
万世一系の思想は、大王の血脈の正当性を問題にします。しかしこれは大王中心の律令国家を万民に知らしめるために作られた意図的な思想、またルールだと結論付けました。実際の政権運営は巫女と大王が行っており、血脈に関しては大王よりも巫女の方がよほど重要だったと考えます。
僕が歴史家ならこれらの考察を「~かもしれない」と表現するところですが、物語を書くのであれば曖昧なままには出来ません。これまで述べてきた内容は、人間でいうところの骨格に相当します。本当であろうがなかろうが、二階から飛び降りても激しいダンスを踊っても崩れない強固な骨格を用意する必要がありました。
今後は具体的に物語を考えていくのですが、これは肉付けに相当します。骨格はテーマや世界観になるのですが、見せてはいけません。見せてはいけませんが、読者にはそうした世界観を理解してもらう必要があります。これが難しいと感じています。
古事記や日本書紀それに学校の歴史を勉強してきた読者が、僕が創造した物語を読み始めたと仮定します。読者の常識は万世一系の天皇の歴史でした。僕と読者では、世界観にズレがあるのです。このズレを放置したまま物語を書き進めると、読者は理解に苦しみます。
今度はその理解のズレを埋めるために、僕が説明したとします。司馬遼太郎は、この手法を多用していまして、物語の間に作者の歴史観を挿入しました。それも一つの手ですが、僕はやりたくない。見えない骨格を説明する行為は、美しくないと考えるからです。理想は、読者が物語を読み進めるうちに、自然とその世界観を理解し始めて欲しい。
5年前、「逃げるしかないだろう」という僕の小説がネット小説大賞の最終選考に残ったことがあります。この頃の僕は、プロットらしいプロット作らずに、勢いだけで物語を創造していました。昭和時代のキャバレーが舞台なのですが、見たこともないキャバレーの資料を色々と集めつつ、情報をインプットしたそばから物語をアウトプットしていました。小説の書き方や作法なんて知りません。世界観を読者と共有なんて、考えてもいませんでした。今から振り返ると、良く書き上げたもんだと、我がことながら感心します。
聖徳太子の物語は、そんな無計画なことはしたくない。しっかりと計画を立てて、計算した物語づくりを目指しています。そんなことを考えていると、僕のスーパーカブでの旅とよく似ているなと思いました。
昨年の暮れに、スーパーカブで三泊四日の四国一周の旅をしました。僕の場合は、出発前に入念に計画を立てます。ルートや宿泊地、買い物やガソリンの給油地などを前もって決めておきます。ただ実際に走り始めると、計画通りにはいきません。三日目の佐田岬ではエンジンの焼け付を起こしてしまい、大幅な計画の変更を余儀なくされました。
――じゃ、計画なんて必要ないんじゃない?
いえいえ、計画をしていたからこそ、適切に対処が出来ました。これは、先月に行った厳冬期の雪山登山も一緒でした。雪山の登山は、無計画ならマジで死にます。聖徳太子の物語を計画しつつ、途中で変更するのは構いません。計画をしたからこそ、変更する必要性が見えてきたということですから、僕の聖徳太子の物語に対する理解が一段深くなったことを意味すると考えます。
偉そうなことを言っていますが、その計画はまだ立っていません。色々と情報を集めて吟味しているところですが、暗中模索。説明とか説教とかしたくない。ページをめくる手が止まらない。そんな面白い物語を創造したい。
現在、僕が考えていることをすこしご紹介します。物語は二部制にします。第一部は、丁未の乱を経て推古天皇が誕生するまで。第二部は、遣隋使や十七条憲法といった政治的な活躍と法隆寺のくだりまで。ただ、第二部に関しては勉強はまだ進めていません。後回しにします。
あと、物語の表現の仕方ですが、三人称限定視点を採用します。また、主人公は厩戸皇子ですが、厩戸皇子は語り部にはなりません。手塚治虫の名作に「火の鳥」がありますが、火の鳥的なポジションになります。厩戸皇子と関係する登場人物がそれぞれのエピソードの主人公として、物語を紡いでいきます。そうした小さな物語を積み上げていって、一つの聖徳太子としての物語を描く予定です。
まるでジグソーパズルを組み上げていくような作業になるので、計画は絶対に必要です。多くの登場人物が絡み合う群像劇になるので、適当に話を積み上げたら面白さが半減するでしょう。僕にどこまで出来るのかは分かりません。でもまー、結果は気にせずに、楽しみたいと思います。




