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穢れた巫女

 前回は、巫女の成り立ちについて僕なりの考察を述べました。後半で日本海側で残されている山岳信仰から、山の上には女神が住んでいる……という太古の伝承を紹介したのですが、実例を一つ紹介します。越の国、現在の金沢県を見下ろす霊峰白山に登ったことがありました。夜中の12時に登山口を出発して日の出を拝んだのですが、それはそれは素晴らしい景色でした。足元には雲海、見上げるとまだ星が残っている晴れ渡った空。厚い雲を割るようにして、太陽が昇りました。自然と込み上げるものがあり、涙が止まりませんでした。この白山の山頂に白山比咩神社があります。比咩は「ヒメ」と読みます。女神さまでした。


 海の神は男神、山の神は女神。愛しい女神に会いたくて男神が山に登る伝承は、瀬川 拓郎著作「縄文の思想」を参考にさせてもらいました。実は、似たような話が古事記にも記されています。振り返ってみましょう。


 火の神を生んだことで、イザナミは焼けただれ亡くなってしまいました。イザナミのことが恋しいイザナギは、どうしてもイザナミに逢いたい。地下にある黄泉の国に降りていくことにしました。

 再会した二人でしたが、暗闇なのでイザナミの姿がよく見えません。イザナギは「戻ってきてほしい」と懇願します。イザナミは「黄泉の神と相談する間、決して中を覗かないでください」とお願いをしました。イザナギは約束します。

 ところが、待ちきれなくなったイザナギは、火を灯し中を覗いてしまいました。そこには、腐乱した醜いイザナミの姿があったのです。

 驚いたイザナギは逃げました。恥をかかされたイザナミは怒り狂います。化け物に追撃させました。イザナギは、桃を投げるなどして追手を交わし地上にたどり着きます。イザナミは呪いの言葉を吐きました。

「毎日1000人殺す」

 イザナギは返しました。

「毎日1500人の子供を誕生させる」

 あんなにも愛し合っていたのに、イザナギとイザナミの縁は切れてしまいました。


 亡くなってしまった愛する妻に逢いに行く……この構図は同じですが、古代の伝承と古事記では赴く場所が、山の上か大地の下かで違いました。ここで双方の世界観を比較してみましょう。


 縄文時代から弥生時代にかけての世界観は、山と海との二点間の往復運動でした。山の上は女神が支配する国であり、死後に赴く他界でした。因みに、沖縄や奄美地方の民俗信仰の他界は、海の果てにあるニライカナイになります。場所は違いますが、二点間の往復運動であることは違いありません。


 古事記ではこの世界観が、高天原、中つ国、黄泉の国の三種のレイヤーで表現されています。山の上の女神の国は、古事記では他界という概念だけが切り離されて地の下に貶められ、黄泉の国として設定されました。これは道教的世界観になります。黄泉の国は穢れた場所であり、黄泉戸喫よもつへぐいを食べた人間は現世に戻れません。


 これまでにも大王家と道教の関係性を示唆してきましたが、古事記の世界にも道教的世界観が色濃く表現されています。古事記の成立は710年。日本最古級の文献ではありますが、それでも奈良時代になります。古墳時代や弥生時代という更に古い時代を直接に表現したものではありません。


 古墳時代から始まる大王家の歴史とは、巫女と大王との二頭政治だったと考えます。巫女は神からの神託を授かり、大王は実務として人民を束ねた。古代においてこの統治システムが誕生したのは、弥生時代の思想と大陸由来の思想が混ざり合った結果だと考えています。弥生時代の思想は、女性の巫女に宗教的な権威があった。大陸由来の思想は、統治者は男性であるべきという男尊女卑の考え方が根底にあった。


 日本書紀には、神武天皇の婚姻関係が記されています。皇后は、媛蹈鞴五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみことになります。彼女は事代主神の娘でした。つまり、出雲の血を受け継ぐ娘になります。奈良の葛城周辺には、出雲の神を祀る神社が多数あり、出雲と関係するであろう方形周溝墓が135基も発見されました。つまり弥生時代から、奈良盆地の南部は、出雲の影響力が強い地域だったのです。


 これらの事実から類推するに、渡来人であった大王家がヤマト王権を確立できたのは、出雲族の娘と婚姻出来たからだと考えます。出雲の娘は巫女であり、大王の権力を保証する存在でした。巫女のお墨付きなしでは、大王は権力が振るえない。同時に、巫女は大王のブレーキ役でもあったと考えます。


 時代が5世紀に入り、古墳から発掘される埋葬品は、武器や防具それに馬具が多くなりました。巫女の呪術的世界観ではなく、武力による国の統治が行われたと考えます。文献によれば兄弟間の対立が激しさを増し、大王の後継者がいなくなってしまいました。この争いにおいて、巫女の影響力は相対的に低下したと考えますが、価値が無くなったわけではありません。それよりも火種になりました。巫女は、大王の権威を担保するためのお墨付きになります。この大王家内部の対立とは、誰が巫女を奪うのか? だったのではないでしょうか。


 跡継ぎがいなくなったので、継体天皇が担ぎ出されました。淡海の支配者になります。これ以降、急に頭角を現したのが大臣を務めた蘇我稲目でした。彼は、大王家に娘を嫁がせて姻戚関係を作ります。それ以後の蘇我一族は、大王家の外戚として権力を行使し一時代を築きました。現代的なイメージでは、大王家を利用した悪の親玉みたいなイメージになります。ところが、これまで述べてきた巫女の話と関連付けるとしたら、違う景色が見えてきます。


 ――蘇我の娘こそ、正当な巫女の血筋なのでは。


 僕はこれまで、蘇我一族の墓が前方後円墳ではなく方形周溝墓であることが、気になっていました。その理由をずっと考えていました。蘇我一族が出雲由来の正当な血筋であれば、これまでの疑問が解決されます。


 大王家の歴史は、弥生由来の巫女を中心とした思想と、男尊女卑的な道教思想がコンフリクトしたまま、二頭政治を行ってきました。初期の頃はそれでも機能しました。ところが稲目が登場してからは、全国に屯倉を設置して大王家の直轄地が拡大していきます。全国から集まった石高を集計し、倉で米を管理するようになりました。気候的な災害が発生しても、リスクを最小限に抑えることが出来ます。。巫女の神託を信じるよりも、文人に集計させた数字のほうがよほど信頼が出来ました。


 それでも、多くの人々は巫女の神聖を信じていました。蘇我の娘を娶るということは、大王の権威にお墨付きを与えることが出来るのです。ところが、ここに疫病というパンデミックが発生しました。巫女は、この災厄を鎮める使命がありました。なぜなら、神の怒りを鎮める力こそが、巫女の力だからです。ここに仏教と言う新しい思想が登場しました。丁未の乱が起きる前年とは、このような思想的衝突があったのでは……と考えています。


 まとめになりますが、古事記や日本書紀は、大王家の正当性を世に知らしめる為の装置だったと考えます。その一つが「黄泉の国」の挿入によって、巫女の権威を失墜させたことでした。イザナギとイザナミの黄泉の国のエピソードは、意図して改変された内容だと考えています。道教的思想に従えば、男性である大王が国を治めるべきです。その為には「万世一系」という物語が必要でした。

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