認識と想像
東大名誉教授の養老孟司氏のYouTube動画を視聴しました。題名は、「AIや動物には無い人間が持つ唯一の力。この話が理解できた時、自分自身の価値に気づくかもしれません。」になります。その中で、チンパンジーと人間の違いに関しての話がありました。DNA的には、両者は98%以上も似通っています。しかし、チンパンジーは、人間のように話すことが出来ません。その理由について、様々な学者が色々な学説を唱えています。ところが養老氏は、その原因は非常に簡単なことだと、論説を展開しました。以下に数式を示します。
3+3=6
多分、就学前のお子様でも、この数式は理解が出来ると思います。もしかすると、チンパンジーも数を数えることは出来るかもしれません。しかし、「3+3」と「6」を繋ぐ「=」が、チンパンジーには分からないだろう……と、養老氏は論を展開しました。あまりにも簡単すぎて、「=」の意味について意味を説明しようとすると、言葉に詰まります。「=」とは、何ですか?
家族で、回転ずしに食事に行ったとします。テーブルを案内する係の方から、「何名様ですか?」と質問されました。お父さん、お母さん、長男、長女、次男がいた場合、「5名です」と答えます。しかし、厳密に言うと、家族であっても違いがあります。
お父さんは、55歳の長身で頭が禿げています。お母さんは、若くて45歳、長い黒髪を頭の上でまとめています。長男は、20歳の成人で寿司を食べながらお酒を飲むことが出来ます。長女は、17歳の高校生で常にスマホをいじっています。次男は、年が離れた13歳で、寿司を食べることよりデザートに関心がありました。
つまり、何が言いたいかと言うと、家族であっても、全くの別人格で違いがあります。しかし同じ人間として認識していて、係の人に「5名です」と答えることが出来ます。この「同じ」と認識できる能力を、養老氏は注目しました。もう一つ例題をあげてみます。「猫」と問われて、何を思い浮かべるでしょうか? 思いつくままに羅列してみます。
・近所の三毛猫
・豪華な屋敷で飼われているシャムネコ
・インドの密林で徘徊する虎
・サンリオのキティちゃん
・タイムマシンでやってきた猫型ロボット
・夏目漱石の作品「吾輩は猫である」の主人公
・幼稚園の子供が描いた猫の落書き
・「猫好きか、犬好きか」と問われた時の、人格の違い
人間であれば、「へー、なるほど」と思ったかもしれません。しかし、チンパンジーは違います。目で見ることで、三毛猫、シャムネコ、かろうじて虎までは「猫」と認識できるかもしれません。しかし、それ以降はカテゴリーが違います。目で確認できてもキティちゃんは絵でしかないし、「吾輩は猫である」の主人公は物語の産物で姿を見せることが出来ません。しかし、人間なら、全て「猫」というグループで認識することが出来ます。
「グループ」という言葉を使いました。この認識は、「イコール」によって導き出された概念になります。何と何が同じなのか? そのグループ分けこそが知識へと発展します。例えば、以下の10種類の生き物たちをグループ分けしてみます。
・犬
・猫
・象
・チンパンジー
・ライオン
・白鳥
・雀
・蛙
・カブトムシ
・鮫
大きな違いとして、足を参考にして分けてみます。
・四つ足=犬、猫、象、ライオン、蛙
・二本足=チンパンジー、白鳥、雀
・六本足=カブトムシ
・足がない=鮫
生活の場で、分けてみます。
・陸上=犬、猫、象、チンパンジー、ライオン
・水中=蛙、鮫
・空を飛ぶ=白鳥、雀、カブトムシ
他にも、哺乳類か、毛があるか、とか色々ありますが、キリがないのでこれでやめます。要は、条件を付けることで様々に分けることが出来ます。これが、「分かる」の語源になります。つまり、「何と何が同じなのか?」という問いによって、この世界を「分けて」考える行為が、認識なのです。
現代のカメラレンズの性能を考える時、画素数の大きさを参考にします。より大きな画素数は、「解像度が高い」と表現しますが、同じように人間の認識とは、この世界をより細かく分けて理解する行為になります。雑な説明をすると学校で勉強する知識とは、この世界を認識する為に、先人が分けてきたグループ化を勉強することになります。それは、数学や国語といった多くの学問にいえます。
ところで、この世界を認識する行為が「グループ化」だと説明しました。この分ける行為には、具体的な対象があります。その対象は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感を使って認識します。ところが、具体的な対象がない物についても、人間は認識することが出来ました。例えば、「吾輩は猫である」の主人公になります。これは、夏目漱石の想像の産物であり、具現化することが出来ません。それなのに小説を読むことによって、僕たちは猫を認識することが出来ます。これが、認知革命になります。
道具が使える猿人は数多くいました。しかし、認知革命は、ホモサピエンスだけの特徴だったようです。認知革命によって、目に見えない神が創造され、その神によって社会的な秩序が誕生しました。神の存在を、僕は荒唐無稽だとは考えていません。その目に見えない偶像は、宗教、お金、法律、株式会社、ブランドと、様々なものを生み出していきました。それは心にも通じると考えるのです。目には見えない「心」の存在について、現代ではAIにも発現するのでは――とまことしやかに語られています。科学が発達した現代においても、「心」について明確な解釈は存在していません。この捉えどころのない「心」を扱うのが、物語になります。
聖徳太子の物語をつらつらと創造しています。この時代は、漢字という文字が本格的に使われ始めました。冠位十二階や十七条憲法が制定され、焼失しましたが国記や天皇記といった書物を聖徳太子が記したとされます。これは認識を考えるうえで、日本における大きな時代の変化でした。その原因として、仏教の伝来が大きい。なぜなら、仏教が人間の心を説いていたからです。そのような変化を描いてみたい。




