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蘇我考②馬子の子供たち

 蘇我馬子の妻は、 物部守屋の妹とされています。記録に残されている守屋の妹は太媛であり、聖徳太子物語第1部「巫女が泣くとき」では、彼女が蝦夷を出産する場面から、物語を立ちあげました。ところで、馬子の妻は太媛だけだったのでしょか? 記録に残されていないだけで、古代の常識では複数の妻がいたと考えます。第2部の物語のイメージは、この問いから始まりました。


 丁未の乱以前、馬子と守屋は一族同士の結びつきを強くする為に、婚姻を手段として利用します。しかし、丁未の乱で両者は対立し、物部は敗者になりました。もし馬子に複数の妻がいた場合、その子供たちは母親の違いから確執が生まれたと考えます。


 そもそも蘇我一族には、そのような確執の前例がありました。蘇我堅塩媛と蘇我小姉君になります。二人は馬子の姉で、共に欽明天皇の妃になりました。両者の子供たちの明暗ははっきりしています。堅塩媛の子供からは、用明天皇と推古天皇が誕生しました。しかし、小姉君の子供からは、穴穂部皇子は馬子に暗殺され、初瀬部皇子は崇峻天皇に擁立されたあと同じように馬子に暗殺されました。第2部の舞台は、この崇峻天皇の暗殺になります。


 物語の構成上、資料に残されている馬子の子供たちを、母親の違いから以下のように分けました。

物部系:蝦夷、刀自古郎女(=河上娘)

飛鳥系:善徳、法提郎女、蘇我倉麻呂


 蝦夷の母親は、太媛といい物部守屋の妹になります。刀自古郎女は蝦夷の実の姉で、のちに聖徳太子の皇后になりました。注目したいのは「蝦夷」という名前になります。本来この言葉は、関東以北の縄文的な生活をしていた人々に向けられた言葉であり、蔑称に近い。記紀の編纂段階で、蘇我一族を馬鹿にする為に、わざわざ「蝦夷」という言葉を使ったとの見解があるのですが、実際のところは分かりません。


 第一部では、「蝦夷」と「毛人」の二つの漢字を使い分けました。幼少期は「毛人」、大人になってからは「蝦夷」、ともに「えみし」と読みます。因みに、山岸凉子の漫画「日出処の天子」では「毛人」を採用していました。どちらの漢字も文献に使用されています。


 たかだか漢字の違いだけですが、僕はここに彼の人生遍歴があるような気がするのです。幼少期は「毛人」でした。ところが、丁未の乱で守屋が討たれたことによって、物部の権威が下がり、子供たちの価値も相対的に下がった。同族から煙たがられ、「蝦夷」と蔑まれるようになった。僕は、そのようなキャラクターをイメージしています。そんな彼がゆくゆくは、馬子の後継者になるのです。これって面白くないですか?


 ところで古代における家族のスタイルは、妻問婚でした。現代のように、父と母と子供が、一つ屋根の下で一緒に生活はしません。母親とその一族が子供たちを養育し、父親は妻と子供たちに会うために通うのです。蘇我一族においても、これは同じだったでしょう。飛鳥の母を持つ、善徳、法提郎女、蘇我倉麻呂は飛鳥で生活をしていたと思います。では、蝦夷、刀自古郎女はどこに住んでいたのでしょうか? 


 物語の設定では、現在の天理市にある石上神宮周辺で生活していたことにしています。この辺りは、物部一族の支配地域だったから。因みに、この敷地内には、厩戸皇子の母親である穴穂部間人皇女が住まう穴穂部宮がありました。つまり、蝦夷と厩戸皇子は幼馴染という設定になります。


 次に、刀自古郎女について考えてみます。崇峻天皇は、馬子の娘である河上娘と婚姻を結ばされるのですが、その後、暗殺されます。この河上娘ですが、一説には刀自古郎女と同一人物だったとされています。物語の構成上、僕はこの案を採用しました。刀自古郎女=河上娘だった場合、彼女は崇峻天皇と婚姻し、その後、厩戸皇子の后になるのです。物部の娘として馬子に利用されていく、そんな彼女の波乱万丈な人生が見えてきそうです。


 馬子の長男は、善徳になります。彼の母親は分かりません。彼は元興寺=飛鳥寺の初代寺司になります。蝦夷よりもずっと年上だと考えられていて、本来であれば彼が馬子の後継者だったのかもしれません。しかし、彼の未来は元興寺の責任者止まりでした。ここに、蝦夷と善徳の確執を描くことが出来そうです。


 ところで、善徳の母親は明らかになっていません。ただ、推測は出来ます。元興寺が建造された場所は、飛鳥衣縫造(あすかのきぬぬいのみやつこ)の家を壊して、建設された――と日本書紀には記されています。飛鳥を名乗る豪族の痕跡が、ここに残っているのです。善徳の母親は、この飛鳥を名乗る一族に担わせます。ただ、それ以上の資料はないので、ここからは僕の想像を働かせる必要があります。


 飛鳥という地域は、海柘榴市がある都の中心からは、少し離れた地域でした。この辺りは、もともとは東漢氏をはじめとする渡来人の村があったのでは――と推測されています。古代において渡来人は、大陸の漢字を扱うことが出来ました。蘇我一族が大和王権内で存在感を増したのは、最先端の知識を持った渡来人を上手く手駒として扱えたからです。やがて、この飛鳥が都の中心になっていきました。普通なら、長男の善徳が、後継者として力を振るえたはずです。それなのに後継者は、蝦夷になりました。


 蝦夷は、蘇我でもない物部でもない、中途半端なアイデンティティを持つ少年になります。馬子はそんな息子を、かつて物部が治めていた河内を統治する為の手駒に使った――と考えました。なぜなら、彼の物部の血が、河内を治める大義名分になるからです。戦争で被災した河内でしたが、復興されていき、蝦夷は河内において名実ともに影響力を持つ人物へと成長していくのです。その背景に、四天王寺の建造があると考えました。これに厩戸皇子も協力していきます。


 また、前作「巫女が泣くとき」でヒロインだった善信尼も、この河内に関わっていきます。実は、河内には善信尼が建立した寺がありました。鞍作廃寺と呼ばれています。百済から帰ってきた善信尼は、名実ともに仏教界のアイドルになるはずでした。そんな彼女なのに、それ以降に活躍した痕跡が記されていません。しかし河内には、鞍作廃寺が存在したという痕跡が残されているのです。これも面白い。


 今は、このような世界観をボーッとイメージしています。今後も歴史的なエッセイを投稿すると思います。そうしたイメージが僕の頭の中から溢れ出した時、やっと小説を書こうと思います。

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