第2部の構想
聖徳太子の物語を紡ぐために、これまで僕なりの歴史観をご紹介してきました。教科書で解説されている内容からすると、食い違っている場所がかなりあります。それは、古事記や日本書紀では掬い上げられなかったであろう、古代の人々の生活の息吹を、僕が感じようとした結果になります。それが正しいかどうかは誰にも証明は出来ません。しかし、きっと古代はそうであったであろう――と信じています。でないと、作者の僕は、物語を紡げません。
僕の歴史観の変遷は、「小説家になろう」「ノベルアップ+」「カクヨム」といったサイトでまとめています。題名は、「歴史転換ヤマト」と「続・歴史転換ヤマト」になります。二種類に分かれているのには理由がありまして、勉強してきた歴史のアウトプットが前者、僕なりの歴史観を述べたのが後者の「続・」になります。
最近、そうした記事が少しずつ読まれています。これは意外でした。なぜなら、僕は作品の営業を全くしていないからです。少し脱線しますが、SNSの世界は横のつながりが重要になります。なぜなら、その繋がりが「いいね」に変換されるから。ネットに投稿される小説は数えきれないくらいにあり、そのまま放置していたのでは誰も読んでくれません。作者自身が、他の作者さんと繋がりを持つという営業は必要なのに――僕はしていない。まー、それはともかく、過去に書いた僕の自説を、ちょっと読んでみました。
――へぇ。
自分が述べてきたことなのに、案外と憶えていないものです。面白いことを書いているな――と感心してみたり。ただ、一通り読んでみて気が付いたことがあります。この僕の歴史観は、第一部で描かなかった背景そのものだったのです。第一部「巫女が泣くとき」は、あえて歴史的な説明をせずに、人間のドラマだけを抽出しました。しかし、読者からすると登場人物の行動に対して「なぜ?」という疑問を感じるところが、きっとあるでしょう。それは、古代における思想を背景にした行動になります。
作者の僕は、全ての世界観が分かっています。しかし、読者はそれが分かりません。そのバランスはどうだったのか?――が、僕には全く分からない。ここが、歴史小説の難しいところだなと思いました。第一部「巫女が泣くとき」と「続・歴史転換ヤマト」は、古代社会を表現した、表と裏のような関係になります。このバランスについては、今後も悩みそうです。第1部は松本清張賞に応募したので、そのジャッジを待ちたいと思います。
今は第2部の世界観を考えています。第1部と物語は繋がっていますが、登場人物は入れ替わります。第2部における主人公は、蘇我馬子の子供たちになります。大臣だった馬子の事績はそれなりに資料が残されています。しかし、息子の蝦夷は、聖徳太子が無くなってからしかその存在がクローズアップされていません。また聖徳太子の二番目の妃である刀自古郎女も馬子の娘なのですが、彼女の事績も分かりません。空白なのです。
また、第1部は西暦574年から588年までの14年間という長い期間を描きましたが、第2部は588年から593年までの5年間だけです。第1部は日本書紀に様々な出来事が詳細に記されているのに対し、第2部に関しては、崇峻天皇の暗殺という大事件はありますが、それ以外はあまり情報がありません。つまり、これから描く第2部は、僕がかなり自由に描いても良いのです。
第2部の物語を紡ぐうえで外せないのは、飛鳥に建造された日本初の寺である元興寺(=飛鳥寺)と、難波に建造された四天王寺になります。両者は同じ寺でありながら性質が全く違います。僕の偏見で説明すると、馬子が主導した元興寺は、仏教をこの世に知らしめるためのプロパガンダ装置。対して、四天王寺は丁未の乱によって滅ぼされた物部守屋の鎮魂、もしくは戦争により被災した難民を受け入れるための避難場所――といったイメージを持っています。この四天王寺の建造の中心者が厩戸皇子になります。
面白いのが、馬子の子供である蝦夷と刀自古郎女になります。彼らの母親は物部守屋の妹である太媛になります。つまり、馬子の子供でありながら、物部の血を半分は受け継いでいるのです。また、古代の慣習では、子供たちは母親の影響を強く受けていました。その慣習を妻問婚といいます。これらの事実を並べてみるとかなり面白い。
蝦夷は、馬子の息子ではありますが、母の一族である物部の征伐に加担しました。彼はたかだか14歳の子供です。自身のアイデンティティが大きく揺らいだのではないでしょうか? また、刀自古郎女に関しても、同じことが言えます。歴史の大きな流れにおいて、彼ら二人が厩戸皇子と強く関わります。僕はそうしたドラマを描こうとしています。第1部の「巫女が泣くとき」よりも、面白いものにしたい。主人公は、刀自古郎女になります。ヒロインである彼女の波乱に満ちた物語を描いてみます。




