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【短編】欠け殻の光

 鱗雲が高く連なる秋晴れの空の下、三輪山の麓の海柘榴市(つばいち)を目指して、各地から人が集まっていた。南北を走る上ツ道の街道は、重い背子(しょいこ)を背負った荷丁(かてい)や、荷物を載せた馬が長い列を成し、その最後尾が見えない。

 初瀬川の岸では、船の舳先から伸びる太い葛(くず)の綱を、半裸の男たちが、泥に足を取られ、肩に食い込む綱に全身を傾けながら、獣のような掛け声を上げて曳いている。どの船にも、大王に捧げられる膨大な供物が山と積まれていた。

 その初瀬川の船着き場で、ひたすら算木(さんぎ)を弾き、木簡に記録を刻み続けている男がいた。海柘榴市の物流の一切を任されている秦河勝である。

 河勝は、父から山背(やましろ)の地を統べる「国造(くにのみやつこ)」の座を受け継いだばかりだった。山背の地の神と繋がる祭司として、また強大な富と武力を有する地方王としての顔を持つ彼は、その圧倒的な経済力と算術の才を蘇我馬子に買われた。二十四歳という若さでありながら、大和において財政と物流の要(かなめ)を握っていたのである。

 先行して到着し、荷揚げを終えようとしている巨大な丸木舟から、恰幅の良い船の長が河勝のもとに歩み寄ってきた。

「久しぶりじゃな。秦殿」

「お久しぶりです、火君(ひのきみ)殿。筑紫からですと、一月ほどですか?」

 河勝は算木を動かす手を止めず、視線だけを向けて軽く頭を下げた。

「その通り。月が消えた頃に出て、丁度一月じゃ。波は荒れるし、亀の瀬の川底で岩に擦れて船底が抜けるかと思ったわ」

「無事に間に合って何よりです。新嘗祭は明後日になります。皆の労をねぎらう酒も、十分に用意してございますよ」

「ふう、やれやれじゃ。あんたも大変だろう。これだけの供物を一つ一つ帳面に付けて管理するんじゃから」

「ええ。ですが、更に大変なのは大臣(おおおみ)です。捧げられた供物の質と量を精査し、今度はそれを下賜するために、どの国に何をどれだけ与えるか――こればっかりは、私にはとてもとても……」

「なるほどな」

 火君はニヤリと笑い、河勝の肩を叩いた。

「大臣殿に、よろしく言っておいてくれ。我の分け前が増えるようにとな。はっはっはっ……」

「承知いたしました。火君殿が運んでこられたこの見事な真珠と干し鮑(あわび)を見れば、大臣も自ずと重く報いてくださるでしょう」

 河勝が言葉を返すと、火君は満足そうに顎を撫でた。

「頼んだぞ。うちの若い衆も、死に物狂いで舟を引いたぶん、今夜の宴を待ちきれんようでな。一族の女たちも、大和のええ種を持ち帰ると息巻いとるわ」

「陽が落ちれば、篝火が焚かれます。それまでは、陣を張ってしばしお身体を休めください」

「ああ、そうさせてもらう。……おい! そこ! 絹の包みは濡らさんように下ろせと言っただろうが!」

 火君が怒鳴り声を上げながら人夫のもとへ戻っていくのを横目に、河勝は再び手元の木簡に視線を落とした。休む暇はない。

「秦様、尾張からの馬借りが到着しました! 鉄の延べ棒が三百です!」

「蔵の湿気が少ない上段へ運べ!  計量と検品を急げ、一つでも誤魔化しがあれば跳ね除けろ!」

 次から次へと舞い込む報告を捌きながら、海柘榴市という巨大な生き物が、供物を次々と飲み込んでいく様を感じていた。河勝はそのただ中にいる。

 ――どこまで大きくなるのだろう?

 この制御不能とも言える生き物を飼いならしているのは、間違いなく蘇我の大臣になる。大臣の笑みを思い出し、背筋が冷えた。間違いは許されない――。

「秦様。阿多(あた)の君の供物の検分をお願いします」

 考え事をしていた河勝は、突然の問いかけに我に返った。

「ん……分かった。案内してくれ」

 阿多の君は、南国・隼人(はやと)の一族だ。陸揚げされた供物の大半は、「夜光貝」と呼ばれる巨大な巻き貝だった。大きなものは両手に載せても余るほどだ。殻を削れば美しい杯になる。内側の白く輝く真珠層は、漆器を飾る螺鈿(らでん)の材料として、重宝されており、貴族たちがこぞって求める最高級品であった。

 河勝は一つを手に取った。表面は灰色でゴツゴツとしており、潮の香りが漂った。ただ、積み上げられた貝を幾つか検分すると、元からなのか輸送の影響なのか、端が欠けたりひび割れたりしているものが散見された。

「これら貝の数を数えて報告しろ。ただし、割れているものがある。それは数には入れるな」

 配下に指示を出し、次の現場に向かおうと踵を返した、その瞬間。一人の女が河勝の前に立ち塞がった。

「あんた、どういうつもり?」

 女を見下ろす。褐色の肌をした女が、腕を組んで鋭い目つきで河勝を睨み上げていた。麻の貫頭衣に赤い帯紐、引き締まった肢体はなめらかな曲線を描いている。露出した腕には黒い入れ墨が掘られており、白い貝の腕輪がはめられていた。黒髪は後ろに束ねられただけで、露出した耳には夜光貝を加工した耳飾りが、七色に輝いていた。

「お前は、誰だ?」

「あたいは、隼人の女。この夜光貝を海に潜って獲ってきたもんだよ。割れているから数に入れないとは、どういうことだ!」

 河勝は眉をひそめ、冷ややかに応じた。

「言葉の通りだ。傷物は大王への供物にはならない」

「ふざけるな!」

 女は、大きく腕をはらった。積み上げられている積荷に近づき、ひときわ大きく欠けた夜光貝の一つを拾い上げる。そして、河勝の目の前に乱暴に突きつけた。

「この貝の中を見ろ!」

 河勝は黙って、その貝の内側を覗き込む。西日の光によって、内部の真珠層が七色に煌めいていた。

「この輝きが螺鈿の命だろ。外の殻が欠けたからって、中の光が減るわけじゃない。ちゃんと数に入れな!」

 河勝は、その女の瞳を見つめた。怒りに燃えるその瞳が、夜光貝の内側と同じ光を放っている。河勝は、ゆっくりと大きく息を吐いた。

「分かった。数えることにしよう。私の認識が誤っていた」

「……分かればいい」

 女は貝を積荷へ戻すと、背を向けた。その場を立ち去ろうとする。その後姿を、河勝は思わず呼び止めた。

「待て!」

 女が足を止める。

「何だ?」

「お前の、名は?」

 女は肩越しに振り返り、鼻で笑った。

「聞いてどうする。お前はただ、私たちが命懸けで獲ったものを木簡に記せばいい。数を読んでいるだけの男に、用はない」

 念を押すように河勝を睨みつけると、女は隼人の群れの中へと消えていった。河勝はしばらく、女が消えた方を見ていた。


 葛城山地が見える西の空が赤く染まった。やがて陽が落ちると、海柘榴市の各所で巨大な篝火が灯され、火の粉が夜空へ舞い上がる。

 その炎を目印にして、はるばる大和へやってきた人々が集まり始めた。広場では酒や食べ物が気前よく振舞われている。長旅と重労働から解放された男たちの顔は上気し、女たちの瞳は熱を帯びていた。

 太鼓を持った翁(おきな)と媼(おうな)がやってきて、篝火の周りに腰を下ろす。撥(ばち)を手にして、太鼓を叩きだした。

 ――ドン、ドン、ドン、ドン。

 一定の拍子で繰り出される音の波が、地響きのように広場を震わせる。それに呼応するように男が立ち上がり、女も立ち上がった。足で大地を踏み鳴らし、その輪が広がっていく。歌垣が始まった。

 遠くから聞こえる太鼓の音と、地鳴りのような足拍子を耳にしながら、河勝は配下の者たちを集めた。

「今日の仕事は終わりだ。存分に飲んでこい」

 任を解く。

「はっ! ありがとうございます!」

 皆が嬉々として、それぞれの思惑を胸に篝火を目指して駆け出していった。河勝は、その背中を見送り微かに笑う。自らも一番近い篝火を目指して歩き出した。

「酒をくれるか」

 河勝が声をかけると、立ち働いていた媼が、甕(かめ)からどろりとした白濁の酒を掬い上げ、素焼きの器に盛って手渡してくれた。

「おや、あんたかい。今年も舞を見せておくれよ。去年は見事だったからね」

 河勝が苦笑し、米粒の残る甘い酒を腹へ流し込む。

「そうだったな。……ただ、今年は探している女がいてな」

「どこの娘だい?」

「隼人なんだが、どの篝火にいるか分かるか?」

「さあねぇ、篝火っていっても幾つもあるからね――」

 媼が悪戯な笑みを浮かべる。

「――急がないと、誰かに奪われてしまうよ」

 河勝は、空になった器を見つめ笑う。

「そうだな。探してみるか。……すまない、もう一杯くれ」

「あいよ。せいぜい気張るんだね」

 器に盛られた二杯目の酒を指で拭うようにして平らげると、河勝は闇の向こうの篝火に足を向ける。太鼓の音と、自分の鼓動の、どちらが先に鳴っているのか分からなかった。

 幾つかの篝火を渡り歩き、隼人たちの噂を聞きつける。そこは、横大路と上ツ道が交わる交差点であり、海柘榴市の中心地だった。他の場所よりもひときわ巨大な篝火が激しく燃え盛っている。炎を挟んで、屈強な男の一群と女の一群が向かい合い、太鼓の音に合わせて大地を踏み鳴らしていた。

 一人の男が前に躍り出る。向かいで踊っている一人の女に手を伸ばし、太鼓の拍子に合わせて力強く歌い始めた。河勝は、その女を見遣る。河勝の前に立ち塞がったあの隼人の女だった。

  山の端(は)の

  燃ゆるかがり火 消えずとも

  我が胸の火は

  隠(こも)めやも

 ――あなたに対する胸の炎は隠しきれない。

 男の叫びが、炎の揺らめきに舞い上がり、暗闇に消えていく。隼人の女が躍り出た。足首の貝輪を鳴らして大地を踏み鳴らし、妖艶な笑みを浮かべながら歌い返す。

  燃ゆる火の

  熱き心は知らねども

  朝の白霧(しらぎり)

  消えゆくものを

 ――男の情熱なんて、どうせ朝霧と一緒に消えてしまうから。

 女の痛烈な返しに、男たちから野次が飛んだ。女たちから笑い声が上がった。振られた男が顔を赤らめる。でも、男は怯まない。次の歌を捻り出そうと口を開きかける。その時だった。

 ――ダッ!

 河勝は飛びあがり、割って入った。炎の輪の中へ躍り出て、大地を踏みしめる。隼人の女を真っ直ぐに見据えた。ただ足を踏み鳴らすヤマトの男たちとは違い、太鼓の音に合わせて腰を深く沈め、両腕を円を描くようにしなやかに振り回す。腰が沈むたびに重心が地に根を張り、腕が弧を描くたびに空気が唸った。

 突然の乱入者の異様な動きに、広場の空気が一瞬で張り詰める。やがて、その強烈な色気を放つ舞に、群衆からどよめきと歓声が沸き上がった。河勝の舞に、太鼓の音が深く激しく打ち鳴らされる。篝火の紅い炎が呼応して、激しく揺らめいた。火の粉を天高く舞い上げていく。

 隼人の女の顔から笑みが消えた。昼間の「数を数えるだけの男」が、信じられないほどの熱量で目の前で舞っている。女の口は、半分開いていた。

 河勝はしばらく炎を背負って激しく舞った後、ふっと動きを止め、女の目の前まで歩み寄った。そして、囁くような、しかし芯のある低い声で歌を放つ。

  欠け殻(がら)の

  底にきらめく 珠(たま)の光

  汝(な)がまなざしに

  似てぞ狂はし

 ――割れた貝の底の光と、お前の目が同じだった。

 河勝の歌に、女は一瞬動きを止めた。それからゆっくりと、口の端を上げる。

  欠け殻の

  底の光を知るという

  数よむ人の

  底も見んかな

 ――数を読んでいるだけのあなたには何があるのかしら。覗いてあげましょうか。

 挑発的な女の返歌に、河勝は笑った。踊りが更に大胆になる。一度深く沈み、地を蹴った。火の粉が散る中を、体が宙に浮き、まるで猿のように体を回転させた。周囲がどよめきと歓声に包まれる。着地と共に両腕を大きく開き、女に返した。

  言の葉に

  負けし悔しさ 胸にあり

  今宵は肌の

  戦(いくさ)せむかも

 ――言葉では決まらなかった。今夜、別の決め方がある。

 河勝を見る女の目が変った。河勝に合わせて激しく舞い始め、艶やかな流し目を送る。両手をしならせながら、歌を返した。

  欠け殻の

  底を知るとは 言いながら

  アヤという名を

  今宵呼んでみよ

 ――底を知っているというなら、まず私の名を呼んでごらん。

 その瞬間、河勝は大地を強く踏みしめた。迸る胸の熱を爆発させるように両手を広げ、喉の奥からその名を叫んだ。

「アヤ!」

 弾かれたように、アヤが河勝の胸に飛び込んだ。河勝はアヤの引き締まった身体を強く抱きしめる。周囲の男女から、割れんばかりの喝采の嵐が巻き起こった。

 河勝は腕に力を込め、アヤの瞳を覗き込んだ。アヤは睨み返しながら、河勝の背に爪を立てる。その痛みに、河勝が笑った。アヤの唇に、自身の唇をそっと重ねる。アヤの指から力が抜けた。唇を離すと、河勝はアヤの手を取り、炎の輪を抜け出した。篝火の届かない闇の中へと駆けていく。

 燃え上がった炎が天を焼く。太鼓は尚も打ち続けられる。激しく打つ鼓動の数を、今の河勝はもう数えてはいなかった。

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