罪について
不思議なもので、松本清張賞に応募した「巫女が泣くとき」という作品に対しての僕の関心が、段々と薄れています。必死になって書き上げたし、僕の思いを全てぶつけた作品で、僕の分身ともいえる作品だったはずなのですが……過去になってしまいました。実は、僕にはそんな感覚が往々にしてあります。
この間、下読みをお願いしていたお爺さんから「読んだよ」と電話がありました。色々とお褒めの言葉を頂き、とても嬉しかったのですが、実はどこか他人事でした。僕ではない誰かの作品の感想を聞いている様な感覚……と表現すれば良いのでしょうか。
自分で言うのもなんですが「巫女が泣くとき」は意欲作です。日本書紀を読み返し、その事実を下敷きにして、整合性にも注意しました。後から、「ああすれば良かった……」みたいな不具合を感じる部分もありますが、それは些細なことです。面白い作品を紡げたと思っています。ただ、今は第二部の構想に関心が集中しています。「巫女が泣くとき」を思い返すリソースは、もう僕の中にはありません。
前回も述べましたが、人間が犯す「罪」に興味が湧きました。小さな嘘が、人間の幸せにどれほどの影響を及ぼすのかについて、ものすごく関心があります。これまで古代史を勉強してきました。僕のパソコンの周りには、蘇我とか物部、それに古墳といった文言がある書籍が沢山あります。古代を感じる為に読んできたわけですが、今はそれらにもあまり関心がない。
積読の山の中から、「進化と人間行動」という東京大学の書籍が出てきました。関心があったので買ったのですが、まだ読んでいません。古代史は色々と勉強してきました。一定の知識は、僕の中に詰め込まれたと思います。今は、人間とその社会性に関心があります。
例えば、日本の政治では、裏金問題が大きくクローズアップされました。あれって、起こるべくして起こったと思うのです。規制は必要ですが、結果を叩いても、それはイタチごっこ。それよりも、僕はそうした問題の始まりに関心があります。多分、始まりは善意もしくは保険だと思うのです。その何気ない躓きが、後に大きな問題へと発展してく……そのような構造をイメージしています。
第二部は、聖徳太子という世界観を借りて、人間の罪に迫りたい。そのような作品にしたい。そんなことを、ボーッと想像しています。




