冒頭の書き出し
今回は、現在の進捗状況を報告したいと思います。これまで、僕が考える聖徳太子の世界観をご紹介してきました。この世界観をイメージするために、僕はAIのGeminiとChatGPTに、多くの質問を繰り返しています。その質問の数は、2つのAIを合わせると400を超えていました。僕の質問は単純なものではなく、その質問に対する僕の考察を先に述べていて、その是非をAIに判断してもらっています。そうした問答の内容は今から読み返すのは難しいくらいの分量に膨れ上がっていて、エッセンスだけはUpNoteにまとめています。
聖徳太子の一生はとても長いので、二部形式で考えています。前半は、厩戸皇子の誕生から、推古天皇の擁立まで。後半は、摂政として政治を動かし始める厩戸皇子が、政界から身を引き死ぬまでになります。前半の大きな出来事は、丁未の乱と崇峻天皇の暗殺。後半の大きな出来事は、遣隋使や十七条憲法の成立と、法隆寺建立や法華義疏の執筆になります。
ただ、これら全てを勉強するのは大変。特に50歳を過ぎてからは知識をインプットをしたそばから忘れていくので、全部を俯瞰するのは無理だと諦めました。なので、物語の執筆を始めることにします。
前半の見せ所は、丁未の乱になります。なぜこの戦争が起こってしまったのかということを、丁寧に描きたい。そのためには、古代の世界観を読者に提示する必要があります。そうすることによって、神道的OSと仏教的OSが衝突するカルチャーショックを読者に提示できると考えています。
人類の歴史を、OSという切り口で表現しようとしているのが、僕の物語のアイデアになります。これまでにも述べてきたことですが、認知革命によって人類は大きく発展しました。認知革命の産物とは、人々のコミュニティを管理するOSを生み出したことだと考えています。古代においては、宗教がOSとして機能してきました。その後、この宗教的OSは、様々なものに変化していきます。少し並べてみます。
宗教、貨幣、音楽、様々な学問、哲学、憲法や法律、資本主義社会、社会主義社会、民族主義、株式会社、ブランドetc。
これらOSに共通するのは、実体として目には見えないけれど、特定のコミュニティ内で信じられていて、人々の行動を強く制限してきたことです。その強制力は、人間の幸福感や死生観にまで影響しました。これはとても重要な事実だと考えています。
またこのようなOSによって影響を受けた人間の生き方のアンチテーゼとして、釈迦が誕生したと考えています。ただ、ここで間違ってはいけないのは、「釈迦=仏教」ではありません。仏教もその後、人間の行動を制限するOSに変質していったからです。釈迦が述べた「悟り」とは、OSではなく生命の境地みたいなものだと考えているので、基本的には悟った人にしか分かりません。ロジックで生み出されたOSとは、全く次元が違うと考えています。この僕も、分かったふうに述べていますが、ロジックの域を出ていません。しがいない凡夫になります。それでも分からないなりに、追いかけています。
丁未の乱までのプロットは、ほぼ完成したと思います。後は、具体的に物語を紡いでいく作業になるのですが、ここで技術が問われます。小説の要素を2つに分けるとしたら、アイデアと文章化の技術になります。どんなにアイデアが良くても、それを表現出来る技術がなければ価値がありません。その逆も同じです。
若い頃にカフェを開業したとき、アイデアを駆使して人気店にすることができました。しかし、人を雇い利益を上げて運営するという技術が、僕にはなかった。2年で廃業に追い込まれます。同じ過ちはできない。
文章化の技術は、ある程度は磨くことができます。しかし、読ませる文章となるとセンスも重要です。これが難しい。文章を生成するだけなら、現代はAIが代行できる時代になりました。星真一賞の入選作品の半数がAIを使ったものとのニュースがありました。商業的に効率的に物語を生産するのならそれもありです。僕も、ロジックの構築にはAIを使っています。
ただ、仮にAIに文章を書かせたとして、それを僕が読んだとして、楽しめるのかって話なんです。文章を書く行為は、彫刻にも似ていて魂を削る行為に等しい。その瞬間が面白いんです。最も楽しい瞬間をAIに任せるのなら、最初から書かないほうが良い。僕にとって意味がないんです。
こんなことを考えていると、書くのがちょっと怖くなりました。偉そうなことを言っていますが、いま冒頭の書き出しで止まっています。イメージはそれなりにできています。資料も集めました。それでも書けない。多分、最初の一文を書くために、まだ数日はかかるかもしれません。そこを乗り越えると、スラスラと書けたりするのですが……。




