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満月の夜3  作者: 桐生初
16/31

16

何度か呼び鈴を押すと、漸く鶏ガラの様に痩せ細った老婆が出て来た。


「警察って・・・。また恒雄が何かしたんですか・・・。」


「少し上がらせて頂いてよろしいですか。」


太宰はそう言って、半ば強引に屋内に入った。

和室の居間は雑然としており、そこかしこに生活苦が窺える。

老婆同様、痩せ細った爺さんは、朋樹の祖父だろう。


太宰の名刺を眉間に皺を寄せて、睨みつける様にして見ている。


「東京の警視って・・・。そんなお偉いさんが来るような事しでかしたのかい・・・。」


「それはまだ分かりませんが、孫の朋樹君の行方をご存じありませんか。」


「朋樹?。もう随分会ってねえな・・・。というより、朋樹はうちには来させねえんだよ。」


「何故ですか。」


太宰は質問しながら。

甘粕はメモを取る雰囲気を作りながら家の中を観察しているが、朋樹の様な若い子がいる様な気配は無い。


「隣の若奥さんに悪戯しようとしたからだよ。全くあの野郎、変な所恒雄に似やがって・・・。」


老人の話す所に拠ると、恒雄は花梨への強姦未遂事件以降、刑務所に入った原因は全て婦女暴行だったそうで、実際、原田の調査でも逮捕立件され、課せられた刑期の全てが婦女暴行だった。


朋樹の母親と結婚してからは、取り敢えず警察の世話になる事は無いものの、離婚してしまったので女が側に居ない状況では、またやるのではないかと気が気でないらしい。


太宰の中でまたザワザワと刑事の勘が騒いだ。


念の為、家の中を見せてもらったが、朋樹の姿はおろか、滞在していた形跡も証言通り無い。


どう見ても、この老夫婦は嘘をついている様には思えなかった。


「恒雄も朋樹もずっと刑務所に入れておいて欲しいぐれえだよ。」


という台詞は本音にしか思えない。

榊雅代が死んだと言ったのも、この祖父母が流したデマだった。

それくらい、もう関わり合いたくないという事の様だ。


車に戻り、太宰は唸った。


「このまま安部恒雄の所に行きてえ所だが、取り敢えずは、取手絵美子の第一の前夫か。」


「そうですね。課長の読みでは、今回の連続殺人事件と安部恒雄、ひいては安部朋樹が起こしたと思われる大田区連続一家惨殺事件となんらかの関わりがあると?。」


「大田区連続惨殺事件との関わりは分からんが、また北条花梨が発端になって、人生狂ってる人間の登場ってのがな。甘粕はどう思う?。」


「そうなんですよね。勝手に狂ってるだけだとは思いますが、あの人さえいなければとか、あの人が振り向いてくれてたならとか、妙な具合に引っ張って、恨みに思う人間ていうのはいますからね・・・。

このタイミングで事件のキーマンの北条花梨に実害を追わせようとした人物の登場というのは、引っ掛かります。

増して、また北条花梨を好きだった同級生だなんて。」


「そこなんだよな〜。安部恒雄の動向に関しては、張り込みやってくれてる所轄に頼んでみるわ。」


「はい。」




元不動産会社社長である取手絵美子の前夫は、年は15上で、金銭面での苦労もあってか、70以上に見える老人の様になり、年金でアパート暮らしをしていた。


「エリ…。ああ、本名で呼んだ方がいいのか、絵美子は、金目当てだったんですねえ。やっぱり。

苦しくなり掛けた瞬間に、離婚届置いて出て行きましたよ。」


「どういう切っ掛けでお知り会いに?。」


取手絵美子は短大に通いながら、整形費用を集める為か、クラブでアルバイトのホステスをしており、そこで知り合ったらしい。


顔の可愛らしさと男を誘う様な仕草に夢中になったそうだ。


川端が描いてくれた似顔絵を見せると、懐かしそうに微笑む。


「ああ、絵美子です。間違いない。」


この前夫は、未だに未練があるらしく、写真も持っていて、提供してくれた。


「北条花梨、そっくりじゃありませんか…。」


甘粕の呟きに太宰も頷いたが、妙な違和感がある。

川端の似顔絵とは違い、人間離れしているというか、片桐愛の母親が言う様に、丸で人形だ。

絵よりも人間ぽさが無いというのは、尚更不気味に思えた。


「作り物感が凄えけどな…。」


太宰が思わず呟いてしまうと、前夫がボソっと言った。


「まだ足りねえんだって、しょっ中整形手術受けてましたよ…。十分可愛いって言っても駄目だったな…。それに、毎日2時間掛けて、肌の手入れして、スベスベにしてましたよ。

あ、その髪、カツラでした。」


「えっ…。」


「滅多に外さないけど、1回風呂に入ってる所見ちまった事あるんですよ。男みたいな硬そうな髪のショートカットで、化粧も落としてるし、コンタクトも外してるんで、一瞬、男かと思いました。」


「コンタクト…。この黒目の大きさと輝きはコンタクトなんですか。」


「そう、茶色いでっけえコンタクトでした。そんなの無くても可愛いよって言ったのにさあ。」


本当に惚れていてくれた人は、大事に出来なかったのか。

なんとも遣瀬ない。


太宰はその写真をスマホのカメラで写し、夏目達に送った。




二番目の夫であったお役人の前夫は、絵に描いたように冷たい男だった。


取手絵美子について聞きたいというと、露骨に嫌な顔をする。

出会いは、前夫と同じ、高級クラブであったが、親は死んでいるとか嘘ばかりな上、フワフワの手触りのいい髪もカツラ。

美しい目もコンタクトな上、顔だけでなく、全身整形しており、嫌気が差して、外に女を作り、離婚を要求したのだそうだ。


離婚を切り出したのは、取手絵美子の方では無かった。


写真は気味が悪いから全部捨ててしまったという。


「あの目がいいなと思ったのに、飛んだ詐欺でした。まあ、整形でも黒目だけは直せないんでしょうけど。

愛情?。ある訳ないでしょ。取り敢えず、隣に居て、見劣りしない女だなと思っただけです。

でも、県立C高出て、W大出てるってのも嘘だったし、風呂入ったら別人だし、肌の手入れとメイクで1日3時間。

化粧品代に一月10万も掛かる女なんて、ほんと詐欺だ。

こっちが訴えたい位ですね。」


念の為、写真と似顔絵を見せると、前夫とは対照的に鼻で笑った。


「3時間かかって、漸くこうなるんですよ。まあ、でも、正直この絵ほどじゃ無いですよ。こっちの写真だって大分昔のでしょ?。

確かに出会った頃はこんな感じだったけど、開けてびっくり。

男にしか思えないし、整形崩れて来始めてたし。ほんと詐欺。」




「今の元旦那もいけすかない奴でしたけど、C高出て、W大って、北条花梨の経歴じゃないですか。ほんと詐欺だな…。」


「確かになあ…。まあ、金とエリート官僚の妻って座が欲しいだけだったんだろうから、どっちもどっちに思えるけどなあ。」


「そうですね。課長の読み通り、取手絵美子は、北条花梨に似せて整形を重ねて、作り物になって行った…。

で、この後ですよね。」


「そうだな…。3年前、あのエリート官僚に離婚されてから、榊雅代に北条花梨の居所を聞き出して、それからだ。」


その先の取手絵美子の足取りは、原田も手を焼いており、一課や所轄に頼んではいるが、未だ出ていない。

料理教室を開くマンションを借りて住み、1年経ったら引っ越しているのだろうという推測しかできない。

料理教室の講師では偽名を使っていた事から、偽名を使いまくって転々としている可能性が高いのも、捜査を難航させていた。

整形外科医も一課に応援要請して当たって貰っているが、未だ判明していないのも、そのせいだろう。


「片桐愛として生きてんだよな、多分…。」


「片桐愛の失踪も3年前ですね。」


「だな。状況は帰ってから、夏目と霞ちゃんの聞き込みと合わせてやるとして、篠原和彦の家に行っておこう。」




篠原和彦は、目黒のマンションに息子と2人で暮らしていた。

如何にも学者の家の様な、薄高く積まれた専門書の山があったが、何故か整然として見える。


「離婚調停中なんです。コーヒー位しかお出し出来ませんが。」


取手絵美子について聞くと、真顔で答えた。


「誰ですか、それは。」


本気で覚えていないらしい。


「この方です。」


アルバムを取り出して見せるが、首を捻ったまま、全く思い出せないらしい。


そして笑い出した。


「すみません。女の子で覚えてるのは、彼女と精々彼女位で。」


と、北条花梨と榊雅代を指差した。


「そうですか。ではこちらはどうでしょう。」


と、スマホ画面の10年以上前の取手絵美子を見せると、怪訝な表情になった。


「気持ち悪いな…。花梨の蝋人形みたいだな…。」


蝋人形という表現は、確かにピッタリな気がした。


北条花梨本体を知っている人ならではの見方な気がした。


「どこかでご覧になった事はありませんか。」


「うう〜ん…。こう不気味なら覚えていると思いますが、生憎無いですね。」


「何か、不審な電話や、見られている様な感覚は。」


「それはありませんが…。これ関係あんのかな。」


「何でしょう。」


「妻が3年程前に、背後に気を付けてくれと、酷く慌てた様子で電話を掛けて来ました。」


3年前というと、丁度第一被害者が出た頃だ。


「何を言ってるんだ。訳分かんねえ事言ってないで、ちゃんと説明しろと言ったら、料理教室の先生に、俺との事を相談したら、100万で請け負うと言われたと。

てっきり、離婚調停を辞めさせる方かと、金を払いに行ったら、人を使って殺すんだと言われたので、払わずに戻って来たが、何かあったら困るからと言っていました。」


「ーそれで!?。あ、奥様の連絡先を教えて下さい!。」


勢い込んで聞く太宰に冷静に連絡先を教えながら、篠原は言った。


「でも、その直後、その女は行方を晦ましていますよ。俺が乗り込んだ時には、料理教室にしていた自宅マンションももぬけのカラでしたから。」


「乗り込んだって、何故警察に仰って下さらなかったんですか!?。」


「妻の馬鹿さ加減にはほとほとうんざりしていたから、離婚しようとしているのに、この上それを周知の事実にしろと仰るんですか。それに、私に被害はありません。」


「しかし、何かあったらどうなさるおつもりで…!。」


「警察官程度の護身術なら心得があります。でも、捕まえられてたら、細田達は死なずに済んだんですね…。」


篠原は急に沈痛な面持ちになった。

北条夫婦とは対照的に、篠原はそこそこ被害者とは交流があった様だ。


「かもしれないという段階ですから…。それに、取手絵美子が主犯というのは、未だ確定事項ではありません。」


「いや、ほぼ確定かもしれない。妻が口走ってた中に気になるワードがありました。」


「なんですか。」


「その女が、『貴方の浮気相手に似ている。』と言いました。つまり、花梨です。」


太宰はなんとか堪えたが、甘粕はひっくり返りそうになっている。


しかし、篠原は笑っている。


「してませんよ。妻の誤解です。花梨はいくら頑張っても、あの禿げから靡いてくれません。まあ、生徒の保護者でもありますしね。」


「は…はあ…。」


これでは、夫の北条尊が未だに嫌ってしまうのも分かる気がする。

未練ありすぎだ。


「中学から、ずっと思っていらっしゃる…?。」


「そうですねえ…。まあ、本気で諦めた期間も何度かありましたが…。中学だけじゃないんでね。」


含みがある。


「すみません。一見関係無いと思っても、職業上不明瞭な事は避けたいので、お聞きします。

勿論、他言しません。

北条花梨さんとお付き合いをされていた事がおありですか。」


「はい。浪人時代と大学時代に。」


それなら、分からなくは無い。

少なくとも、取手絵美子の様に、陰湿に拗れた物では無いのは確かだが、他の男たちと立場が明らかに違う。

第一被害者というのは、連続殺人犯にとって、特別な事が多い。

第一被害者になり掛けた事からも、一番狙われているのは、この篠原ではないのか。


「すみません。他の同級生で、北条花梨さんとお付き合いまで行った方は?。」


「北条以外は私だけですね。」


「ーこれはただのカンではありますが、貴方は第一被害者になり掛けた。

そして、北条花梨さんとの関係性も、他の方とは違う。

非常に狙われる危険性が高い気がします。

警護はつけますが、十分にお気をつけ下さい。

何かあったら、直ぐに警察に。」


「分かりました。今度はちゃんとお知らせしましょう。」




甘粕に本庁に戻る前に、北条家に寄る様言うと、甘粕は苦笑で太宰を見た。


「今度は夕飯時ですよ。大丈夫ですか、あの強烈旦那。」


「何とかならあ。いいから行って。捜査会議は時間関係無えけど、訪問は時間限られてんじゃん。」




そして行くと、矢張り出て来た北条尊は嫌そうな顔で太宰を見た。


「刑事さ〜ん!。今度夕飯なの〜!?。」


「すいませんねえ、召し上がってていいので、お願いします。」


太宰は花梨に言われるままダイニングに着いてしまい、夕飯を一緒にご馳走になる気らしい。


「課長…!。」


「いいじゃん。どうぞって言って貰ったしい、美味しそうだしい。」


夫と息子がクスッと笑った。


「ほんとにどうぞ。但し、覚悟して下さい。料理屋じゃないんで、あの味が食いたいと思っても、2度とお出し出来ませんので。」


夫の台詞の理由は、食べて直ぐ分かった。


見た目もどこぞの料理屋かという程、品数も多く、美味しそうな和食だが、味もプロ並みに美味い。


正直、その辺の料理屋の上を行く。

確かに、金を払ってでもまた食べたいと思う味だし、これが店なら絶対常連になっている。


「お料理の先生とかやっていらっしゃるんですか。」


「いえ、何も。独学で適当な上、目分量なので、人にも教えられません。普通のアマチュアです。」


妻が答えると、夫が得意げに笑って、太宰を促した。


「で、今度はなんです。」


「この人物に見覚えはありませんか。」


太宰がスマホの写真を2人に見せると、尊は露骨に嫌な顔をした。


「うわあ、気持ち悪いな…。これ、ほんとに人間ですか。」


「蝋人形みたいですか。奥様の。」


「ああ、それだ。そんな感じ。不自然だな…。なんだこの目は…。」


「カラーコンタクトだそうです。」


「へえ〜。ああ、見た事無いです。」


「奥様は如何ですか。」


「私も無いです。」


ところが、思ってもみないところから、目撃証言が出た。


スマホ画面を覗き込んでいた息子だ。


「この人に話しかけられた事あります。」


「どこで?。その時のやり取りを正確に教えて貰えるかな。」


太宰が注意深く聞くと、息子の貴也は、特に緊張した様子も無く、冷静に話し始めた。




先週の金曜に、学校から帰宅しようとし、マンションのエントランスに入ろうとしたところで、その人物は不意に現れたのだという。


急にパッと、目の前に現れた感じで、後ろにも前にも居なかったらしい。


「北条貴也君でしょう?。」


女性はやけに甘ったるい声で話し掛けて来た。


しかし、貴也はこの人物を全く知らない。

それに、父と同じく不気味な印象を受けた。

一見母に似た仕草をするのだが、妙に媚びていて、下品で、尚更気持ちが悪い。


だから黙っていると、取手絵美子は笑みを浮かべて、話し出した。


「お母様とC高校で同級生だったの。それで遊びに来て、今帰ろうとしてたところだったのよ。」


「お名前を頂戴できますか。」


貴也が聞くと、

『片桐愛』

と名乗った。


母の交友関係は大体聞いているが、そんな名前は聞いた事が無い。

それに、あまりに母に似せて顔を作り替えた様な感じがして、酷く不気味だったので、貴也はその場で母に電話した。


「母さん、片桐愛さんて人知ってる?。」


その途端、片桐愛と名乗った推定取手絵美子は、走り去った。


勿論、母は片桐愛なんて知らない。




「なんで言わねえんだあ!。お前可愛いんだから誘拐でもされたらどおすんだよ!。」


本気で心配する父を、嫌そうに見るお年頃の息子。


「女に誘拐なんかされるか。大体、中3の男を誘拐なんてハイリスク過ぎる。そもそも誘拐はリスクの高い犯罪で、上手く行った試しは無い。

それにうちは俺が誘拐される程の金持ちでも無い。

今この瞬間まで忘れてたんだよ。そう怒るな。」


「詳しいんだね、貴也君。」


「検察官志望なんです。」


「ああ〜、成る程…。でも、君が頭の良い子で、冷静な判断が出来たから、大事無かったけど、過信せず、気をつけてね。

そして親御さんにちゃんと話してね…。」


「すみません。丁度難問の数式が頭の中で解けそうだった時に話し掛けられたので、若干上の空で。

別れた直後に忘れてしまい、母に心配されて聞かれたんですが、思い出せず。」


若干上の空で、その対応とは凄い頭だが、それは置いといて、取手絵美子が片桐愛と名乗り、貴也に近づいた理由はなんだったのか。


謎めき過ぎていて、尚不気味な気がした。


更に太宰は、夕食中にするにはあまりに憚られる様な事も聞かなくてはならない。


北条花梨本人や、年頃の息子に聞かせるのも無神経だと判断した太宰は、甘粕に目配せし、後で北条尊と二人きりで話す事にした。




「ご主人、大変申し訳ないのですが、少々お付き合い願えませんか。どこで写真を撮られたかを確認させて頂きたくて。」


「はあ。いいですよ。」


不思議そうながらも、マンションの外まで一緒に出て来てくれたので、車に乗ってもらい、早速質問をぶつける。


「実は、あの場でお聞きするにはあまりにデリケートな話だったものですから。」


「はあ。なんでしょう。また榊がなんか言ってましたか。」


「安部恒雄という人物を覚えていらっしゃいますか。」


すると、あれ程過去の事は過ぎた事から忘れ去って行っている様にしか見えなかった尊の表情が、みるみる内に鬼の形相に変わった。


「あいつ・・・。未だ花梨に何か・・・。」


素人ながら夏目並みに恐ろしい気迫に感心しながら、太宰はいつも通り穏やかに続けた。


「いえ。今どうこうという訳では無いのですが、先日起きた大田区の事件で参考人として名前が上がり、現在捜査中の男性の父親が安部恒雄その人なんです。

榊さんのお話で、奥様に強姦未遂を起こしたと聞き、大田区の事件の事もありまして、万が一、この一連の同級生殺害事件にも絡んでいたら、奥様や北条さんにも危害が及ぶのではないかと心配になりまして。」


北条尊は大きな溜息をついて、太宰に乞われて座った警察車両の助手席で腕を組み、運転席の太宰の目を、真っ直ぐに見つめて言った。


「あいつ、捕まえてくれますか。太宰さん。」


「何かあったんですね?。」


「ええ。3年前だったと思います。花梨が初めて仕事中の俺に電話掛けて来て。泣きじゃくって、すっごく怖かった、俺の声聞いたらホッとしちゃった、仕事中にごめんなさいって話さない内に切ろうとするから、俺、速攻でうちに帰ったんですよ。

で聞いたら、うちのエレベーターに乗ったら、変なオッサンがドア閉まる直前に乗り込んで来て、『相変わらず可愛いね。』って抱きついてこようとするから、顎に肘鉄、向こう脛に蹴り入れて、全部の階のボタン押して逃げたっつーんですよ。」


それはさぞや怖かっただろうが、あの奥さん、あんな儚げな容姿でなかなかの腕前である。


「素晴らしい護身術ですね・・・。」


驚きのあまり、思わず言ってしまった甘粕を見て、尊は少し笑った。


「俺が仕込んだんだよ。でも、筋良かったのか、想像以上なんだけど。」


「そうなんですか・・・。あんな可憐な雰囲気なのに・・・。あっ、失礼しました。続きを!。」


北条尊は苦笑し、言われるまま話を続けた。


「で、相変わらずって事は知り合いじゃねえか、誰って話になって、中高のアルバム引っ張り出してじっくり顔見てみたら、安部だったんだよ、その変態野郎。」


「警察には?。」


太宰が聞くと、強く頷く。


「勿論言いました。知らなかったけど、すっげえ前科持ちだったから直ぐに逮捕してくれたけど、抱きつくなんて精々猥褻行為くらいでしょ?。

検事さんも前科があるだけでなく、花梨への未遂事件だってあるんだから、野放しは危険だって頑張ってくれたんだけど、実刑にはならなかったんだよ。

中学生の子どもが居るし、ここ14年間は真面目に働いてた、夫婦仲がうまく行っていないせいだろう、反省の色も濃いとか言ってさあ。」


「なるほど・・・。こちらの調べでは、その件は出ていませんでした。」


北条花梨への猥褻行為に関しての報告が無かったのは、実刑が降りなかったからなのだろう。


「そう。実刑じゃ無いと、記録に残らないものなの?。」


「いえ。残ってはいます。データベース上の分類の問題です。申し訳ありません。」


「太宰さんが謝らなくていいよ。まあ、俺も報復しちゃったしね。」


「と、仰いますと?。」


「法的に罰してくれないんだったらと、先ず本人に会って、殴って投げた。」


宣言通り、武闘派の旦那だ。


「その後、知り合いに左官組合の偉い人が居るんで、その人に話したら、左官の会社全部にブラックリスト回して勤められない様にしてくれた。」


それで恒雄は手に職がある筈の左官業ではなく、道路工事の警備員のバイトで昼夜問わず働き、朋樹が何をしていても全く知らない状態だったという事の様だ。


「で、更に脅した。今度花梨に近付いたら、もっと酷い目に遭わせるって。」


「それが効いてそれ以降はありませんか?。」


「―直接は無いし、花梨も俺も姿は見てねえんだけど、なんか嫌な視線は感じる事はある。中学時代とかに感じてたあの2種類の視線と同じかもしれない・・・と。花梨も言ってました。」


取手絵美子が絡んでいると思われる事件が始まったのは、約3年前。

取手絵美子が榊雅代に北条家の住所を聞いたのも、3年前。

北条夫婦が視線を感じ始めたのも、3年前。

そして、花梨を好いて、強姦未遂まで起こした同級生の安部恒雄が、花梨に接触して来たのも3年前というのは、最早偶然とは言い難いのではないか。


「ご自宅にも警備をつけさせて頂きますね。」


「有難うございます。正直、安部は俺ですら気味が悪いんですよ。」


「それはどういう感じで?。」


「だって、篠原みたいに、花梨と付き合ってたとか、肉体関係があったとかじゃ無いんですよ。それなのに、いくら大嫌いな俺が花梨と付き合ってるって知ったからって、やっとこさっとこ入った高校辞めて、暴走族入って悪さしたり、強姦しようと家の鍵こじ開けようとしたり。

悪さってのも、全部強姦事件でしょ?。

色魔の変態じゃん。

それに花梨がキッカケみたいに強姦魔になるなんて、直接的では無いにしろ、花梨を想像しながらやってるみたいで、殺したい位だよ。」


「そうですね・・・。ほんとそうだ・・・。」


北条尊の類推は当たっている気がした。


ただ、取手絵美子の事件と、何がどう繋がっているのかは、現段階では全く分からない。

だが、太宰には、そして甘粕も、安部恒雄は大田区の一家惨殺事件と無関係では無い気がした。

何故なら、二件の被害者である母親達が、両者共、小柄で長い髪、料理上手で優しい人柄と、花梨と似た傾向だからだ。


「あの・・・。少し関係の無い事をお聞きしてもいいですか。」


甘粕が遠慮がちに聞くと、尊はどうぞと促した。


「所謂、魔性の女ってどういう感じなんでしょうか。」


すると、尊は吹き出す様に笑い出した。


「甘粕さんは、そんなイケメンのくせに、そういうのと付き合ったことねえの?。」


「はい・・・。」


「それはうちのカミさんだよ。まあ、俺はあんまり他の女知らねえから、絶対とは言い切れねえけど、元プレイボーイだった篠原も断言してたから、多分間違ってねえとは思うけど。」


取手絵美子はそれを分かって、魔性の女度合いまで真似しようとしていたのだろうか。


「頼まれたら、人殺しちゃう程な感じなんですか・・・?。」


「う〜ん。頼まれなくたって、妙な真似しやがったら殺してやるけどな。」


仰け反る太宰を見て、また笑う。


「それだけ惚れ込まれているというだけでなくなの?!。北条さん!。」


「勿論、惚れてますよ。いまだにね。でも、そうねえ・・・。あの魔性度はそういう判断力には影響してんのかもね。」


「具体的にはどんな感じなんですか。」


「そうだなあ・・・。性格っていうか、キャラで言えば、高級クラブのホステスみたいな感じだよ。

男をいい気分にさせる聞き上手、褒め上手、相槌上手。

新聞や小難しい本も読み込んでて、世事にも通じてるし、知識が豊富で話してて面白い。

あいつはお武家さんの血筋なのもあるかもだけど、男立てるのが上手いし、気遣いがそれとなくで、お仕着せがましくないとかね。

外側で言うと、あいつの場合はあの目がいけない。

吸い込まれそうに澄んで潤んだあの目で、お願いなんかされてみなさいって。」


確かに断りづらいかもしれない。


「後は、肌が吸い付くようにすべすべ。なんかゾクゾクしちゃう感じ。抱いた時、子猫みたいで華奢で壊れそうな感じ。

んで、なんか色っぽいちょっとハスキーで低めの心地いい声。

理性ぶっ飛ぶ感じ。

そしてこっちが押せば押すほど逃げて行く。」


それだったら、努力や整形、メイクでどうにかなりそうな感じだ。

要するに甘粕は、取手がどうやって男をたらし込んだのかを知りたいんだなと、太宰は漸く質問の意図を理解した。。


「後は、奥様の仕草や、独特な目の動かし方とかでしょうか。」


「それもあるね。でも、決定的に持って生まれてなきゃ無い事があるよ。」


「なんですか。」


甘粕が後部座席から身を乗り出している。


「匂い。昔からシャンプーとか香水とかと合わさって、なんかざわつかせて理性吹っ飛ばす様な匂いがする。甘い感じのすっげえいい匂い。」


それが所謂フェロモンで、取手が真似しようとしたとしてもできそうにない事だろう。


「なるほど。納得しました。」


甘粕の疑問が解消された様なので、太宰がふとした疑問を口にした。


「奥様はそのフェロモン的な匂いもあって、モテモテだったんですかね?。」


「そりゃ無いんじゃ無いかなあ。すっげえ近づかないと分かんないもん。ただ、花梨と深く関わった男はみんな引き摺るね。俺も振られてたら、未だに独身だったろうから、わからなくは無いけど。」


「なるほど・・・。」


「だから安部は分かんねえし、気味が悪いんだよ。」




北条尊を送った後、太宰は、眉間に皺を寄せ、携帯片手に甘粕に言った。


「こりゃ、並行してやらねばならんな。」


「そうですね。」


「プロファイラー甘粕はどう見る?。」


プロファイラーと呼ばれる度に、居心地の悪さを感じてしまう甘粕は、今日も苦笑している。


「プロファイラーはやめて下さい。俺はデカですから。

大体、課長が考えていらっしゃることと同じだと思いますが、安部恒雄は、どちらの事件にも噛んでいそうですよね。

息子の朋樹を唆して犯行に及ばせた可能性は高い様な気がしますし、北条尊の言う通り、恒雄は色情狂としか思えない。

だから、同じく色情狂の妻と婚姻関係が続いている間は犯罪を犯さずに済んでいたと考えれば、事件発生との時間軸の辻褄は合います。

3年前にはまだ離婚はしていませんでしたから、北条花梨はやはり特別なんでしょうね。

取手恵美子に唆され、衝動的に猥褻行為に走ったものの、またしても北条尊に阻止された形になり、また仕事も奪われた事で離婚に発展し、恨みは募らせていると思います。

しかし、取手絵美子は何の目的で、恒雄を唆したのか。

これまでの動きを見ていると、取手は近づいて生かしている人間は必ず利用しています。

恒雄には金は無いですしね。」


「うん。俺もそこ。まあ、単純に北条花梨への嫌がらせ要員て可能性もあるが、恒雄にはこのまま監視つけておこう。」


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