ユグドリアの王
「……しかし、どういう偶然なんですかね?」
クアンの屋敷の応接間で待つアディンが言うのに、「バッシュ陛下がこの町にいるって事?」と彼の前のソファに腰かけているリティア。
「はい」
「我らとしては手間が省けてありがたい事だ。 それに本当に幸運な偶然なのだろうし、気にする事ではないな」
レイトの言う通りではある、一国の王が呑気に各地を観光する程に暇でもないだろうし、本当に必要な仕事があって滞在していたのだろうから。
「いずれにしても、私達にとっては大事な局面という事です」
レイトとの隣に立つスレイが言った直後に扉の開く音がし、一人の男性が入ってきた。 現在の状況を考えれば彼がバッシュ・ドラグナとは分かるが、予想より若いのに思わず驚きの顔でバッシュを見てしまっていた。
「……ん? ああ、俺がバッシュ・ドラグナだ。 こう見えても六十年は生きているんだがな?」
アディン以外の三人は、ユグドラ人がリティア達の倍以上の寿命を持ち、若い肉体を長い間維持するとは聞いてもいたが、流石にここまでとは思っていなかった。
バッシュはリティアの向かいに座ると、彼女らの顔を一人一人見ていく。
「ふむ? そっちの剣士とメイドは覚えがあるな? 確かリティアと一緒にいた子供か……そうか、そういうわけか?」
聞くまでもない、目の間にいる少女がクロウの娘のリティアなら、その傍にいるのは彼の傍にいたダンとリリムの子供なのだろう。 しかし、当のレイト達には何のことやらさっぱり分かず、困惑しするしかなかった。
「……えっと……バッシュ陛下?」
「……ああ、すまんな。 お前さんは覚えていないか? 俺は昔ソレイユでお前さんに会ってるんだよ」
リティアは「え?」と驚き記憶を手繰ってみると、確かに目の前の人物に見覚えがあるような気がした。
「あの時の子供が野盗レベルとはいえ俺達ユグドラ人を倒しちまうか、人間の子供の成長は速いってこったな」
思っていたユグドラ王のイメージと違ってとにかく困惑するしかないリティア達であが、一方のバッシュはその反応を分かっていてやっていた。
「まあ、いい。 それよりリティアはいいとして後ろの三人の名前は?」
アディン達が名乗ると、「ヴィヨンドにチコットか、やはりな?」と納得する。
「……しかし、ランディールは知らないな? お前さんはどういういきさつで彼女らと一緒にいる?」
「それなんですけど……」
自分が説明していいのかアディンが迷っていると、「それはあたしから話します」とリティアがバッシュをしっかりと見据えた。 それでバッシュもその事情こそか本題なのだと悟り表情を引き締めた。
「彼の……アディンの中にはマナの種子が存在するんです……」
空から墜ちてきた星に始まり、アディンと出会った経緯や月の亡霊と戦った事をリティアは説明した。 話し方としては多少は雑であったが趣旨ははっきり分かるし、何より真剣さがバッシュにも伝わった。
「……以上を、リティア・リュミエーラの名において真実であると誓います」
「……なるほどな? そういう事態か……」
リティアの話を嘘とは思わないが、にわかに信じられないというのも本音である。
「だからマナの大樹の下へといく許可がほしいか……それ自体はいいんだが……」
バッシュが何やら考え込むに、「何か問題があるのでしょうか?」と問うレイトの声には、普段のような格好つけはない。
「そのアディンはいいとしてだ、お前さん達三人まで行く必要あるか? リュミエーラ王家からの要請となればだ、うちの騎士で護衛を付けて彼を送り届けてやってもいいんだぞ?」
「そんな簡単に言えちゃう事な……あ!?」
思わず聞いてしまったアディンが慌てて手で口を押えるのに、バッシュは「別に気にしなくていいぞ?」と苦笑する。
「これは別に公式の会談じゃないし、一般市民でも……いや、一般市民だからこそ為政者にははっきりと意見しなきゃいけないんだ」
きっぱりと言った後に、「……ってまあ、そう簡単にいかないから苦労するんだろうがな……」と肩を竦める。 ニンゲンとは迷う時は誰かに頼ろうとする反面、一度自分が正しいと思えば他者の意見を理解しようという行為を怠り排除しようともしてしまうものである。
そして王の権力を持ってそれをすれば、市民など何も口出し出来ないというのが現実なのだ。
「……ま、ともかくだ。 他の事はともかくな、大樹の危機に関しては国王の裁量で大概の事が出来るってのがユグドリアなんだ」
クアンも肩書は領主ではあるが、実質的にはこの町に駐留する軍の司令官でもある。
国家としては問題も多いが、それでもマナの大樹の守護を最優先としたシステムを構築しているのが、ユグドリア王国なのだ。
「でも……それで間違った判断をしたらどうするんですか?」
世界の運命に関わる事だからこそ、みんなでしっかり相談して動くべきではないかと疑問に思い、アディンはそれを言ってみた。
「ああ、それは正しい。 俺も時間の猶予がたっぷりあるならそうする。 だがそうもいかない場合もあるだろう?」
「はい、そうですけど……」
「そういう時に悠長に会議なんざして手遅れになったら本末転倒だ、なら国王の即決で動いた方がましだろう?」
アディンもそうだが、リティアも信じられないという表情でバッシュを見た。 自分であればその重さで押しつぶされるであろう事を、このユグドラ人の王は簡単に言ってみせているのだ。
「……ま、だからこそだ。 ユグドリアの王になるってのは大変なんだよ、生半可な能力や覚悟、ましてや権力欲しさじゃ絶対になれねえ」
正直に言えばアディンの話のすべてを信じれてもいないが、まさに手遅れになったら世界の終わりが来るかも知れないのなら実際に行かせてみた方がいい。 そして月の亡霊が襲ってくる可能性が高いのなら備えも怠れないという判断だと説明する。
リティアもそれは分かる、野盗のレベルでも自分達が手こずるのだから、正規の訓練を受けた戦士ならその強さは比べるべくもないのだろう。 それに同行を許容して王女たる自分にもしもの事があればユグドリアの責任も問題もあるだろう。
最後まで自分の手でやり切りたいという誓いも、これほどの器の持ち主に言われる正論の間では揺らいでしまう。 子供のわがままなど絶対に許されない程の重責をバッシュ・ドラグナは受け止めての判断なのだから。
「……とはいえだ。 平和なのは良い事なんだが、平和ゆえにうちの連中は実戦経験ってやつがまったく足りていなくてな?」
実戦は訓練や決闘とは全く違う、ましてや月の亡霊といえど能力ではユグドラ人には劣るが、それ故に真っ向から勝負してくるわけもない。 思わぬ姑息な手段に不覚を取るかも知れないのだ。
もちろん、獣や野盗を相手に実戦経験を積んでいる者はいるし、年長者には戦争の経験もある者もいる。 しかし、今すぐに動かせるとしたら自分の護衛として付いてきた者達から戦力を割くしかなく、彼らは職務上はそのような任務をほとんど行わない。
その事情はフェファニルの駐屯軍も似たようなもので、しかも彼はあくまで国家同士の戦争を想定とした訓練は主としていても、少数で誰かを護衛するという訓練はほとんど受けていないのだ。
要するに優れた身体能力と竜化という能力を有していても、それだけで何でもできるというものでは決してないのだ。
「成程、向こうはこちらを全滅させる必要はないという事ですね?」
「……アディン君……もっと言えばマナの種子さえ奪えればよいというわけですね」
レイトとスレイが言うのに、「まあ、そうだな」と頷く。
「だから不安材料がないわけでもないんだな、これが……」
だから、倒しきれなかったとはいえ二度も亡霊の襲撃を凌いだリティア達の力と交戦の経験も無視は出来ない。
「お前らが言った通り、こっちの勝利条件は連中を倒す事じゃない。 大樹へ種子を届ける事だ、それさえ果たせば向こうも戦う理由はなくなる」
その結果何が起こるのかは分からないが、話をすべて真実とするならそういう事になると考えていると説明する。 ついでいいうと、目的を果たした後も亡霊が戦いを止めるとも限らないが、それで仮にリティア達が倒されても全体を見れば負けではない。
もっとも、そこまでは流石に本人を前に言う気にはならない。
「だからだ、決断はお前に任せるアディン」
「…………は? ぼ、僕ですか?」
予想もしなかった指名に驚愕するアディンだ。
「しかし……そのような重責をアディンには……」
レイトが流石に抗議するが、バッシュはそれには耳を貸さずに続ける。
「いきさつはどうあれマナの大樹はお前に種子を託した、ならこれはお前の使命って事になる。 だから、ここはお前が決断するべきだ」
「……僕は……」
アディンが自分を見返す表情は明らかに狼狽えてはいる。 しかし、彼の茶色の瞳には力強さがあり、答えは決まっているとバッシュは感じた。 だが、やはりそれを言葉にするには、この十数年しか生きていない若者には責任が重すぎるようだ。
ならば、自分がユグドリアの王として……いや、その前に大人として助けてやらねばならないようだ。
「安心しろ、責任はすべて俺が持ってやるよ。 例え失敗し世界が滅ぶとしても誰にもお前のせいにはさせないし文句も言わせない」
「……え?」
「はっきり言えばこれはお前がどっちを信頼するかって問題なんだ、いくらうちの騎士が強くてもお前さんが信頼出来なければ必ずいざって時の連携に綻びが生じる、そこを突かれて負ける事だってあるんだ」
それでもまだアディンが迷っているのに、自分の言い方が悪かったと気が付く。
「あー俺達を疑うって事じゃない、どっちの方をより信じれるかって事だ」
その言葉の数秒後に、黒髪の少年から迷いが消えた。
「でしたら、僕の答えは決まっています。 僕はリティア姫と一緒に行きます」
返事を聞いたバッシュは「だろうな?」と満足げに笑った。




