3.キラキラ星とコロッケ
十月最初の土曜日。
私と紫さんは、近所の学校へポスター貼りをしにいった。
小学校では紫さん作のめちゃくちゃ素敵なポスターを歓迎してくれて、特に星のコロッケや星のどら焼きは、先生がたも「絶対買うね」と笑顔で言ってくれた。
帰りの信号待ちの間に、私は紫さんにぺこりと頭を下げた。
「本当にありがとうございました!」
「こちらこそ。彩佳ちゃんのアイディアのおかげで、いいお祭りになりそう。ありがとうね」
紫さんもペコリと頭を下げた。
「食券の申し込み、楽しみですね。絶対、人気出ると思います!」
「ふふ、忙しくなりそう。……あ、そうだ。彩佳ちゃん、神社にお参りしていこうよ」
こっち、と紫さんは、私を商店街の裏の方に案内してくれた。
細長い鳥居をくぐって、二人でお賽銭を投げ、百葉箱くらいの神社に手をあわせる。
「ここ、はじめて来ました」
「じゃ、いいこと教えてあげる。ここ、縁結びのご利益があるんだって」
「そうなんですか……」
古びた神社に、そんなイマドキなご利益があるなんて知らなかった。
「実はね、青年部の最初のミーティングの時に、私と雅史くんでここに来たの。そのあとすぐつきあうことになったから、ご利益、あると思うな。二人並んでお参りするといいんだって。今度、亮くんと来たらいいよ」
ふふ、と笑う紫さんは、ちょっと頬が赤くなってて可愛い。
でも、言ってる内容は全然可愛いとかそういう問題じゃなかった。
「亮と?」
私が驚くと、紫さんは大きな目をもっと大きくして驚いていた。
「え? 彩佳ちゃん、もしかして、亮くんのこと好きじゃないの?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
なんでこんな話になっているのか。私は混乱した。
「好き……なんだよね?」
「……亮には、好きな人がいるんです」
混乱したまま、私は言うつもりのなかったことを言ってしまっていた。
「亮くんが好きな人って、彩佳ちゃんでしょ?」
「ち、違います!!」
自分でもびっくりするくらい、大きな声が出てしまった。
「違うの!?」
紫さんも大きな声を出した。
「だって、亮は紫さんのこと……コロッケ買いに、夏休み、毎日きてたし……」
私の声は、今度はもぞもぞと小さくなった。
「えぇッ!?」
逆に紫さんは、さらに大きな声を出した。
「な、なんですか?」
「彩佳ちゃん……亮くんが私に会いたくて店に来てると思ってたの?」
私は首を傾げる。
「……他に、なにかあるんですか?」
紫さんは、うーん、と私よりも深く首を傾げたので、私たちは鏡あわせみたいに首を傾げあうことになってしまった。
「……えぇと、うん、がんばってね」
ぽん、と私の肩を叩いて、紫さんは帰っていった。
(どういうこと?)
紫さんの言ってたことは、さっぱり意味がわからない。
そこに、タイミングがいいのか悪いのかわからないけど、自転車で亮が通りかかった。
「あれ、どうしたの? 亮」
亮の家がやってるソバ屋は、この道の反対側だし、自宅も道が違う。
「そこで紫さんに会ってさ。お参りしたらいいって勧められた」
なるほど。どうりでタイミングがいいわけだ。
紫さんは、なにか勘違いして、私たちが縁結びのお参りをしたらいい……と思ったらしい。
(そんなの頼んでないのに……!)
私は、私のことだけが大好きな人が好き。
紫さんのことが好きな人は、好きじゃない。
「今出るよ」
「いいだろ、一緒で」
「イヤだよ」
「は? なにがイヤなんだよ」
神社の幅はそんなに広くない。細い紫さんとだって肩がくっつきそうになったんだから、亮となんて並んだら、ぎゅうぎゅうだ。
それに――
「ここ、縁結びのご利益があるって言うから」
私は、ややふてくされた顔で言った。
「あぁ、なんか聞いたことあるな」
「だから、やだ。残念だったね、紫さんじゃなくて」
余計なこと言ってる。わかってるけど、ムカムカした気持ちがとめられなかった。
「は? なんだそれ。妙なこと言うなよ」
亮は、ムッと口をへの字にした。
「毎日毎日、紫さんに会いたくてコロッケ買いに来てたじゃない。好きなんでしょ?」
私も、口を少しとんがらせた。
「それは、おま……じゃなくて、そうじゃなくて、……コロッケが好きなんだよ」
「へぇ」
あぁ、またムカムカする。
私は狭い鳥居をくぐって、通りに出た。
「なんで怒ってんだよ」
「知らない」
待てよ、と亮は自転車をこいで追ってくる。
「待てってば」
イライラする。モヤモヤする。
私は、その気持ち悪いものを抱えきれずに叫んでいた。
「亮なんて知らない! 紫さんはお兄ちゃんとつきあってるんだから! いくらコロッケ買ったって、ムダ!」
言ってしまった。言ってから、猛烈に後悔したけど、もう遅い。
(……失敗した)
私は、おそるおそる振り返った。
びっくりしただろうか。絶望してるだろうか。怒ってるだろうか。
でも、亮は平気な顔して、
「そんなん知ってるって」
と言った。
(え?)
びっくりしたのは、私の方だ。
「なんで知ってるの!?」
「雅史さん、顔に出るし。幸せオーラ全開だし。わかるって、さすがに。……っつーか、人の気持ち、勝手に決めるなよ」
亮は、怒っているように見えた。
意味がわからない。
たしかに、亮から直接、誰が好きだ、なんて聞いたわけじゃないから、私の言ってることは勝手と言えば勝手だけど。
「じゃあ、なんで……毎日コロッケ買いにきてたわけ?」
なんであんなことしてるのに、好きじゃない、なんて言えるんだろう。
以前は好きだったけど、今は違う、とか?
「そりゃ、オレは――」
亮は言いかけて、言葉をとめた。
顔が、困ってる。
「え……」
「オレが好きなのは……」
ちょっと、待って。
私はハッとして、自分の口をふさいだ。いや、違う。聞きたくないから、ふさぐなら耳だ。
(なに、この流れ!)
変な空気だ。おかしい。マズい。聞かなきゃよかった。
これじゃあ――まるで告白の前フリだ。
「し、知ってる! 亮、コロッケが好きなんでしょ? おいしいよね! サトウのコロッケ! じゃ!」
耳をふさいだまま、私は走って逃げた。
(これ、最悪のヤツじゃないの!?)
今、もし告白なんかされたら、私は、一生亮を嫌いになってしまう。
紫さんにフられたから、次、なんて、絶対にイヤだ。
絶対、イヤ。
必死で走って、店に戻った。
「彩佳、おかえりー。ポスター貼りにいったんだって?」
お兄ちゃんが奥から箱を運んでくるのに出くわしたけど、なんて答えたか覚えてない。
いろんなことがショックで、意味がわからなくて、すごく混乱していた。なにせ、太陽が落ちるよりもあり得ない、と思っていたことが、起こりそうになっていたのだから。
☆
校長先生は、商店街とのコラボに意欲的で、吹奏楽の演奏だけでなく、美術部や書道部の作品展示まで提案してくれたそうだ。
もう、私と亮の作戦会議も必要ない。
実行委員会で顔は合わせるけど、特に会話もしなくなった。
(このまま、もう離れちゃうのかな)
あの日、私は亮の言葉をさえぎった。
それから、逃げた。
亮の目には、私が亮を嫌ってるみたいに見えたかもしれない。
(……でも、このままの方が、いいのかも)
嫌いになりそうだったのは、本当だ。
私は、そんな中途半端な『好き』はいらない。このまま離れてしまった方がいいような気もしてくれる。
一週間もすると、ムカムカもモヤモヤも、もうしなくなっていた。
ただ、代わりに、ツキツキと胸が痛い。でも、死んでしまうほどの痛みじゃなかった。
☆
そして、あっという間に時間は過ぎて――
文化祭、当日。
私は展示コーナーの担当だったから、当日は全然忙しくなかった。というか暇だった。
どっちかというと、お昼の時間が最大のイベントだ。食券の引き換えが始まると、まっさきに交換しにいって、みんなの反応を見にいった。
星のコロッケを食べてる子たちが、カワイイ! って喜んでて、カワイイ! って声を何度も聞けたのが、本当に嬉しかった。
よかった。本当によかった。
子供になんてなにもできないって思ってたけど、違った。亮が立ち上がって、私も一緒になって。お兄ちゃんや紫さんは本当にがんばってた。それに商店街のみんなも、応えてくれた。
去年は失敗した亮の作戦が、商店街を変えたんだ。
帰り道、横断歩道のところから商店街を見ていた。
お兄ちゃんたちが、パイプ椅子を並べている。吹奏楽部の演奏の準備だと思う。
手伝おうと思って、横断歩道を急いで渡る途中、可愛い小さな花の鉢を持った人とすれ違った。
(あ、プリムラだ)
コバルトブルーの花びらの、中央が黄色くなった小さな花。
お星さまみたい、と子供の頃に言った記憶がある。
店を見れば、通路に面した場所にプリムラの鉢がきれいに並んでいた。
(きっと、お祭りにあわせて仕入れしたんだ!)
お母さんは、お客さんと笑顔で話している。
生き生きと仕事をするお母さんが見れて、私も嬉しくなった。
それに、今日はいつになく、商店街がにぎやかだ。
最初に亮に声をかけられた時、頭の中だけに見えた光景が、今ここにある。
(お参りしてこう! お礼言わなくちゃ!)
私は神社に向かって走った。手伝いはしたかったけど、どうしても先にお礼が言いたかったのだ。
それから――亮にもお礼を言いたい。
鳥居の前で、私は「あ」と声を上げていた。
「よ」
ちょうど、亮が出てきたからだ。
お礼を言う用事のある二件が、同時にそろった。
絶妙なタイミングだけど、すごく緊張する。この間鳥居の前で話して以来、ずっと気まずいままだったから。
亮が、ちょっと目をそらす。
また逃げたくなったけど、でも、これだけは言わなくちゃいけない。
「亮! あの……委員会、誘ってくれてありがと。すごく、いい経験になった」
私は勢いのままに、一息に言った。
(よかった。言えた!)
ドキドキしながら亮を見上げる。
「こっちこそ。ありがとな。……そうだ。オレん家も、麩を星型にしてるんだ。食いにこいよ」
亮は、ちょっとだけ笑顔だ。もう怒ったりしてないみたい。
「ほんと? それ食べたい!」
すごくホッとした。
いつも通りだ。亮と、ふつうに話ができるのが嬉しい。
その時だ。
「あのさ、オレ、紫さんとつきあいたいって思ったことないから」
「え……?」
安心して、完全に油断していた私は、亮の言葉にぽかんと口を開けてしまった。
「ずっと、好きなヤツがいる。夏休みも、そいつに――っていうか、彩佳の顔見たくて、コロッケ買いにいってた」
まったくの不意打ちだった。
ふつうに戻れた、と思ったばかりだったのに。
「ちょ……え? 待って」
驚きで、頭が働かない。真っ白だ。
それじゃあ、途中で紫さんにフラれたから、とかじゃなくて、亮は最初から、毎日毎日、私に会いたくてコロッケを買いにきてたってことになってしまう。
(コロッケ毎日食べにくるくらい、すごく好きだった人って……紫さんじゃなくて、私ってこと?)
ドキドキしすぎて、胸が苦しい。
「……言うつもりなかったけど、このまま変な感じに避け続けるのは、イヤだから。オレが好きなのは、ずっと前から彩佳だけだ」
これは夢? こんなことって、ほんとに起こるの?
「ずっとって……いつから?」
「最初は、オレがギプスになれてない時に、上靴、しまってくれた時」
「初対面じゃん!」
私は思わず大きな声を出していた。それは、幼稚園の入園式の話だ。
「だから、そうだって。……お前は?」
亮に聞かれて、私は迷った。この質問に答えるっていうことは、私も亮に気持ちを伝えることになる。
でも、迷ったのは一瞬だけだった。
「……ギプスしてるのに、めっちゃ楽しそうに上靴取ろうとしてて、バカだなって思った時」
だって、亮が私をずっと、私だけをずっと好きだったなら、気持ちを伝えない理由なんてない。
「それ、初対面だろ」
亮が笑った。
私も、笑った。
ドードーソーソーラーラーソー
吹奏楽の演奏が、始まったみたいだ。
「あ! ちょっと待ってて! お参りしてくる!」
私は急いで、神社にお賽銭を投げて、お礼を言った。言ったのはお礼だけで、縁結びはお願いしなかった。私たちには、もう必要ないから。
「演奏、聞きに行こう」
差し出された手を、私はおそるおそる握る。
そして、少し急いで商店街に向かう途中、私はびっくりして足をとめていた。
「わ! キレイ!」
アーケードがキラキラ輝いてる。
「雅史さん、イルミネーションの話したら、探してみるって言ってたけど……まだ残ってたんだな!」
つないだ手を、亮がぎゅっと握った。あったかい。
ソーソーファーファーミーミーレー
商店街から、いろんな食べ物の匂いがしてくる。
「でも、毎日二個もよく食べたよね。コロッケ」
「……キツかったけど、彩佳と一緒に……いいから、その話は。演奏、終わっちゃうだろ」
照れた亮が、加減しながら走り出す。
そうだ。演奏が終わったら、一緒に星のコロッケを食べよう。きっと、いつもよりずっとおいしいような気がする。
風は少し冷たかったけど、商店街に急ぐ私の心は輝いていた。
夜空に光る、キラキラ星みたいに。
【終】