交差する死線
「じゃ、早速会いに行く?」
「んーーそうだね、そうするか。けどちょっと遠いから、電車で行こうか」
ガタゴトと規則正しい音を立てて走る車内、リュウは窓の外をじっと見つめていた。少しずつ喋れるようになってきたとはいえ、まだ緊張は抜けない。それでも、胸の奥から湧き上がる確かな熱量があった。
「なんか……ワクワクする。ちゃんと前に、進めてる気がするから」
「そうだね。しっかりネオシス行くぞー!」
ユイは隣の席で、体いっぱいに両手を上げて無邪気な声を出す。車内の乗客が一瞬彼女に視線を向けたが、その圧倒的な美貌に気圧され、すぐに目を逸らした。ユイはそんな周囲の反応など初めから計算に入れているかのように、すぐに完璧なアイドルの笑顔をリュウに向けた。
電車が速度を落とし、終着駅に近づくにつれて、窓外の景色から彩りが消えてっていく。
代わりに視界を埋め尽くしたのは、天を突くようにそびえ立つ、灰色の巨大な構造物だった。
「ここ……壁が、すごく近いね」
駅のホームに降り立ったリュウは、圧倒的な質量で街を見下ろすその『壁』を仰ぎ見た。
街と、野生の龍が蠢く砂漠。人間社会と、剥き出しの地獄を分かつ境界の壁。ネオシスへ行くということは、あの壁の向こう側へと命懸けで突き進むことを意味していた。
「おっきいねー。ま、あんなのただの通過点だけど」
ユイは事もなげに言い放ち、駅前の寂れた路地へと歩き出す。錆びついた鉄臭さと砂埃が混ざり合う、ネクロの最果ての街並み。その一角に、周囲の廃墟に溶け込むような、明らかに異質な雰囲気を醸し出す雑居ビルが佇んでいた。
「……もしかして、ここ?」
リュウが指差したビルの入り口には、赤黒いスプレーでデカデカと『ケイ戦闘事務所』と殴り書きされていた。本能が「入るな」と警鐘を鳴らすような、薄気味悪い佇まいだ。
「よく分かったね、ここだよ。じゃ、入ろうか」
ユイが一歩進み、鉄製の重扉に手をかける。しかし、どれだけ押しても引いても、扉はびくとも動く気配がない。鍵が掛かっているというより、内側から溶接でもされているかのような頑固さだった。
「んー、開かないな……」
リュウが様子を見ようと一歩踏み出した、その瞬間だった。
――ガギィン!
凄まじい衝撃音と共に、鉄扉の中心が内側から爆ぜた。
放たれたのは、人間の頭部を容易く粉砕するであろう大口径の弾丸。初見殺しの容赦ない一撃が、至近距離からリュウの眉間へと殺到する。
普通なら、そこで思考が終わり、肉塊に変わるはずの不意打ち。
しかし、リュウの身体は、弾丸が放たれるよりも「ほんの一瞬早く」反応していた。
引き金が引かれるわずかコンマ数秒前、密閉された室内の空気が不自然に凝縮し、駆動部が『カチリ』と鳴った微音を、リュウの右腕に宿る龍の鋭敏な聴覚が正確に捉えていた。さらに、隣にいたユイが、扉の前に立った瞬間に、わずか数センチだけ自ら射線から身体をずらしていた――その不自然なほど冷徹な動きを視界の端で捉えていたからこそ、リュウは野生の直感で首を傾げ、弾丸の軌道を紙一重でかわすことができたのだ。
「……っ! ユイ、当たってない!?」
「うん、大丈夫」
ユイは眉ひとつ動かさず、自分のすぐ横の壁に穿たれた弾痕を見つめていた。
直後、きぃ、と嫌な音を立てて鉄扉が内側から開く。硝煙の煙の向こうから、一人の男が姿を現した。
「人様が研究してるってのに、いきなり扉を開けようとしてきて死んで……つくづく迷惑な奴らだ」
現れた男の姿に、リュウは背筋が凍るような錯覚を覚えた。
一見すると、病的にやつれている。しかし、肌の奥からは皮膚を突き破らんばかりの強烈な殺気が立ち上っている。痩せ型に見えるのに、衣服の型を歪めるほどの強靭な筋肉の隆起が感じられる。顔立ちは優しげで温和に見えるのに、纏う空気は激しく怒っているように酷く冷たい。何より、その瞳からは一切の生気が感じられなかった。
男の目が、ゆっくりとユイに向く。
「……生きてたのか」
「お久しぶりです、叔父さん」
ユイは営業用の笑みを完全に捨て、親戚に挨拶するような、冷淡で平坦な声を向けた。
「リュウ、この人がケイだよ。叔父さん、こっちは私のボディーガードのリュウ」
「ア、……ボク……ウス」
リュウが消え入りそうな声で頭を下げると、ケイは手に持った魔改造火縄銃の銃口を気怠げに下げ、二人を中に招き入れることもせず言い放った。
「で、何して欲しい? いくら出せる?」
「あのN3について教えて欲しいのと、ネクロとネオシス間の移動ルートを教えて欲しいの」
ユイの要求に、ケイは心底つまらなそうに鼻で笑った。
「いくら出るかって聞いてんだよ。こっちも趣味で狂人をやってるわけじゃねぇんだわ。情報はタダじゃねぇ」
「ん〜〜、可愛い姪っ子に免じて、無料ってのはどう?」
ユイがあざとく首を傾げて微笑む。だが、ケイの死んだ魚のような瞳には一ミリも響かない。ケイは銃口の先に取り付けられた鋭利な剣をユイに向け、しっしと手を振った。
「ほら、お引き取り願え。時間の無駄だ」
交渉決裂。ユイが次の一手を冷徹に計算し始めた、その時だった。
「うおぉぉぉーーーーーっ!!!」
静寂を切り裂くような大音声が、狭い通路に響き渡った。リュウだった。
リュウは学ランの袖を乱暴にまくり上げると、自らの右腕にびっしりと生え揃った漆黒の『龍の鱗』へ、左手をかけた。
「――っ、が、ああああっ!」
肉が裂ける生々しい音が響く。
リュウは一切の躊躇なく、自分の皮膚の一部である頑丈な鱗を、力任せに根元から引き剥がした。
ドクドクと鮮血が溢れ出し、床を赤く染めていく。激痛に顔を歪め、荒い呼吸を繰り返しながらも、リュウは剥ぎ取ったばかりの、鈍い光を放つ漆黒の鱗をケイの目の前へと突き出した。
「ほら……っ、上質な、龍の鱗だ……! これをやるから、情報を、くれ……っ!」
命を削り、龍化を促進させるリスクを伴う行為。だが、「ここで引いたらカッコ悪い」というピュアな焦燥感と覚悟が、少年に自傷行為とも言える暴挙を選ばせた。
ケイは突き出された血塗れの鱗と、痛みに耐えながらも真っ直ぐに自分を睨みつけるリュウの瞳を交互に見つめ、信じられないものを見るような目を向けた。
「……こいつは気が狂ってるのか? ユイ」
「気は狂ってないと思うよ。……ただのバカ」
ユイはそう毒づいたものの、その瞳の奥には、隠しきれない驚きと――そして、猛烈な「歓喜」がギラギラと渦巻いていた。
目的のため、自分の『かっこよさ』のためであれば、自分の肉体が壊れることすら厭わない。それは、昨日ユイがステージの上で見せた狂気そのものだった。
ユイの計算を遥かに飛び越えた少年の跳ねっ返りに、彼女の脳内の算盤が、嬉しそうに激しい火花を散らしていた。こいつはただの便利な護衛じゃない。私と同じ側の、狂った相棒だ、と。
ユイは淡々とした口調で、これまでの経緯と、自分たちがネオシスを目指す理由をケイに話し終えた。
「なるほどな」
事情を把握したケイは、足元の鱗を拾い上げると、汚い部屋の奥へと引っ込んだ。ゴソゴソと何かを探す音が聞こえた後、彼は二人の元へと戻り、手にした重々しい塊を乱暴に投げ渡した。
「ほら、これやるよ」
ドサリ、と音を立ててリュウの手に渡ったのは、分厚い埃を被った巨大な本だった。
「俺がネクロとネオシス間を移動するために、実際に自分の足で歩いて作った図鑑兼攻略本だ。そこに、N3に関する詳細な資料も挟んである。持ってけ」
「あ……ありがとうございます……っ!」
リュウは血の滲む右手で、その貴重な資料を大事そうに抱きしめた。
「ありがとう、叔父さん。助かったよ」
ユイが満足そうに頷き、踵を返そうとした瞬間、ケイの身体から、先ほどまでとは明らかに違う「質の変わった殺気」が膨れ上がった。
「――でさ、そこのクソガキ」
ケイの生気のない目が、リュウを鋭く射抜く。
「俺と、ちょっと喧嘩しねぇか? お前のさっきの弾丸のかわし方、悪くはねぇ。だが、経験の甘さが透けて見えんだよ。そんな生ぬるい実戦感じゃ、街の移動どころか、N3の巣にたどり着く前に返り討ちにされて死ぬぞ」
戦術家としての、冷徹なまでの見立て。
経験不足。その決定的な弱点を突きつけられ、リュウの胸の中で、昨日から燃え盛る「本物になりたい」という炎が激しく爆ぜた。
「わ、……分かりましたよ」
リュウは一歩前に出ると、恐怖を押し殺し、不敵な笑みを無理やり作ってみせた。
「……八つ裂きになっても、知らないですからね」
「は、それは面白い」
ケイが口角を上げた、その刹那。
言葉の終わりを待たず、リュウの身体が動いていた。
ノーモーション。文字通りの神速。漆黒の右手が、空気を切り裂く爆音と共に放たれ――しかし、ケイの顎の皮一枚、ギリギリのところでピタリと停止せざるを得なかった。
「……死なないですか?」
リュウが喉の奥から掠れた声を漏らす。その喉元には、いつの間にか、ケイの持つ火縄銃の先端――鋭利な銃剣の切っ先が、すでに皮一枚のところで冷たく突き立てられていた。
リュウが顎をぶち抜こうと踏み込んだまさにその刹那、ケイは一歩も引かず、むしろ自ら距離を詰めてその喉元に刃を『置きに』いっていたのだ。
拳を振り抜けば、相手の顎は砕けるが、自分の喉笛も確実に消し飛ぶ。
お互いに一歩も譲らない技術と覚悟の結果として、その場でフリーズした両者。
コンマ数秒の間に交わされた、肉を切らせて骨を断つ、極限の死線の交差だった。
拳圧でケイの前髪を激しく揺らしながらも、リュウは冷や汗を流しながら笑みを深める。ケイもまた、死んだ目のまま、しかし楽しげに歪んだ声を漏らした。
「……外でやろうか」
二人の間で、本物の死闘の幕が上がろうとしていた。




