08-騎士舎
翌日には私の絵はすべて片付けられていた。
朝食の席でジーク様に何か言いたげに見つめられたけど、私はただ微笑んだ。結局何も言われることはなかった。
ジーク様が気を失わず、私を『レティ』と呼ぶのに数日かかった。
今日は一段階進んで、課題を『エスコートをしながらお散歩』とした。
そのため、いつもの時間とは異なり、昼間に時間を設けてもらった。
「レティ、手を」
ジーク様の手に私の手を重ねる。
ふわりと優しく包み込むのは初日と変わらない。
ゆっくり庭園内を歩く。ジーク様と視線が合う。微笑むと、顔をそらされる。よく見たら頬が少し色づいている。
歩きながら、ダグラーゼ領の話を聞いた。秋に咲く花、収穫祭、領民の暮らしぶり——端的に話すのは変わらなかったけど、初日のような一問一答では終わらなかった。
ふと、庭園の向こうに見える建物が目に入る。それに気づいたジーク様が足を止めた。
「あれは騎士舎だ」
昨日、ラディウスに案内してもらった場所の中に騎士舎は入っていなかった。
「そうなのですね。あちらはまだ案内されておりませんでした」
「あそこは貴方が行くような場所ではない」
有無を言わせぬ強い口調で告げられた。ジーク様の顔を仰ぎ見ると、こちらを見ていた。強い眼光に少し怯む。
「この地を守ってくださる騎士たちの場所です。公爵夫人として訪れる義務があります」
「危険だ」
日々命を危険に晒しながら戦う騎士たちがいる騎士舎は、気性の荒い者も多いと聞く。
「では」
私はジーク様の手に添えた指先に力を込める。ピクリとジーク様の手が揺れた。
「ジーク様が守ってくださいませ。殲滅公爵と謳われたジーク様なら、私を何ものからも守ってくださいますでしょう?」
ジーク様は目をそらし、答えなかった。
今の状態の自分では、守るより前に気を失ってしまうと思ったのかもしれない。
「まあ、それもジーク様が私に慣れてくださいませんと行くことができませんわね」
現実問題、騎士たちの前でジーク様が倒れられでもしたら大問題だ。
ジーク様は騎士団長も兼任されているので、面目丸つぶれになるのは避けたい。
「……慣れても、私は貴方を案内するつもりはない」
……しぶといな。公爵夫人が騎士に好意的なのはプラスに働くはずなのに。
「では私を他の騎士に案内させるおつもりですか?」
「違う」
ゆるゆると首を振って否定された。
「ならば、王太子に下げ渡された私では公爵夫人に相応しくないとお考えですか?」
少し眉尻を下げて、声を落とした。ジーク様から見たら、悲しそうに見えるだろう。
「そんなはずがない! 貴方は私にはもったいないくらい完璧な貴婦人だ!」
言質は取った。私は心の中でガッツポーズをした。
「まあ、嬉しいですわ。それでは、騎士舎へ行くことも問題ありませんわね」
にこりと貴婦人の笑みを浮かべる。それを見たジーク様は『しまった』とでも言いたげな面白い顔をしていた。
散歩を再開する。言い争ったためか、ジーク様のエスコートがぎこちない。
今日はもう終了するべきか。気づかれないように息を吐いた。
しばらく無言のまま道を進む。
柔らかな芝生が目に入った。その先に、屋敷へ繋がる扉が見えた。
「ジーク様」
「すまない」
声をかけると謝られた。何の謝罪かわからず首を傾げる。
「貴方を不快にさせることを言った」
先ほどの言い争いのことのようだ。
「心配してくださる気持ちはわかります。でも覚えておいてほしいのです。
私はダグラーゼ領に嫁いでまいりました。貴方のことも、ダグラーゼの民のことも、すべてを知り愛したいのです」
「愛……?!」
パタリ。
ジーク様が柔らかな芝生の上に倒れる。
……そうか、そこからなのか。ジーク様にはまだ私がジーク様のことを愛したいと考える気持ちが受け止められないらしい。
ジーク様から私への信奉は感じるけど、それは愛ではない。
思った以上に遠い道のりに、私はため息をついた。
「少ししたら、起こしてください」
私は控えていたユーグに声をかけた。
「かしこまりました」
感情を感じさせない表情で、ユーグは了承した。
——カァーン、カァーン、カァーン!!
遠くから鐘の音が聞こえた。その音に驚いたのか、鳥たちが飛び立つ羽音が聞こえる。
すると、気絶していたはずのジーク様がガバッと起き上がった。
「魔物です」
端的に告げられた言葉に、私は身がすくんだ。
パァン、とジーク様が自身の両頬を打つ。
「ユーグ、レティを屋敷へ。俺は出る」
指示を飛ばすと、ジーク様が私に向き直る。騎士の礼をとった。
「レティ、特訓を中断してすまない。屋敷で待っていてくれ」
早口でそれだけ言うと、すぐに背を向けて騎士舎の方角へ歩いていってしまった。迷いのない背中は、それがジーク様にとって日常なのだと実感させる。
なにか言わないと、と思ったのになにも言葉が出なかった。
ここは魔物がはびこる魔の森の防衛線。
そんなこと、資料で読んで知っていたはずなのに。
先ほど飛び立った鳥たちが、落ち着きなく空を旋回している。
まるで、安心できる止まり木を失ってしまったかのように。




