63-羽ばたく鳥(最終話)
領地邸へ戻ったあとも、仕事は終わらない。
スタンピードの収束を隣接領地へ報告し、領民へは避難解除指示を出す。
被害が大きい地域の住民は引き続き、避難施設を使えるよう手配した。
一夜にして様変わりした領都の様子に、領民たちは愕然としていた。領民に死者が出なかったことは良かったけれど、心のほうはそうはいかない。
特に気にかかるのは子どもたちのことだ。領地邸の中では元気に過ごしていた彼らは、荒らされた領都の様子を見て呆然と立ち尽くしていたという。
これに関しては、辛抱強く付き合っていくしかない。
あまりに仕事が多すぎて、取り急ぎ片付けなければいけない問題以外は明日に回そうと、補佐官たちと頷き合った。
それでもすべてが終わったのは日付が変わる頃合いだ。
ジーク様も同じような時間に戻ってきた。騎士のほうは何人も死者が出ている。治癒師がいても、騎士としては復帰できないほどの怪我をした者もいる。
こちらもしばらくは忙しそうだ。
なんとか身を清めて、夫婦のベッドの上で向き合う。
「レティ」
重苦しい声で呼ばれて、思わず正座した。それも伸びてくる腕に引かれてすぐに崩れてしまったけれど。
そのまま腕のなかに閉じ込められる。ジーク様の胸に頭を預けると、心臓の鼓動する音が伝わってきた。……これから怒られるというのに、落ち着く。
「貴方は本当に、……部屋に閉じ込めたくなるな」
「こ、このたびは申し訳なく……」
まさかの監禁願望に肩がはねたら、腕の力が強くなった。慌てて、背中に腕を回してぽんぽんとあやすように叩く。腕の力が抜けた。
「あのオーガは、いきなり現れたんだ。何もないはずの地面から。レティに向かって行くのに気づいて、本当に恐ろしかった……」
私の肩に頭を乗せて、ジーク様が祈るように呟く。
「俺より先に、死なないでくれ」
ぽたり、と膝に温かいものが落ちた。ぽたり、ぽたり。
背中に回していた手を、ジーク様の頬を撫でるために移動する。濡れた感触。少し力をこめるとあっけないほど簡単に私の肩から頭が離れた。
私の手に両頬を包まれながら、ジーク様が私を見つめている。
手には、新しく流れ落ちる涙が伝う。
殲滅公爵と恐れられた夫が、私を失う恐怖に涙している。
背中がゾクゾクとした。
潤んで美しさの増したアイスブルーに唇を寄せた。しょっぱい。何度か繰り返すと、手首を掴まれた。
「私のすべては、ジーク様のものです。……死なない件は、鋭意努力します」
「そこは、約束してくれないのか」
「病にかかる可能性もありますから。確約できない約束は、泣かせてしまうことがわかったので」
ジーク様の喉がくっと鳴った。
「どこまでもレティらしい……」
「合理的でしょう?」
にやりと笑ってみせると、虚を突かれたような顔をしたあと、ジーク様も同じ表情を返した。
「そうだな。では、合理的に夫との約束を破った重さをわかっていただくとしようか」
どさりと押し倒された。見慣れた天井。見上げる先には、悪い顔をしているジーク様。
「全力で、受け止めますわ」
両手を伸ばして答えると、やっと柔らかい表情が見えた。
私は、約束を破った悪妻のくせに、幸せに満ちあふれながら彼の重さを受け入れた。
※
スタンピード発生から半年。隣接領地や国からの支援で、復興は順調に進んでいる。
ダグラーゼの民はたくましい。
あの日、破壊された領都の姿に膝を折った領民も、今は元気に働いている。
まだまだ完全な復興には時間がかかるが、民の目には力強い光が宿っている。
私はといえば、ここ三か月ほどは仕事にならなかった。
「気持ち悪い……」
立っても座っても寝てても吐き気がつきまとう。これでも少しマシになった。
最初のころは、タライを横に置いておかないと大変なことになった。今は移動するまで耐える余裕がある。
前世の記憶を合わせても、妊娠するのは初めてだ。病気ではない、と言われていたはずのつわりがこんなにもつらいとは思わなかった。
少しずつ、スタンピードに関する報告書を読んだ。ジーク様は渋い顔をしていたけれど、気が紛れると言えばそれ以上は何も言われなかった。
スタンピードの発生要因の一つに、小さな魔物溜まりの発生を加えたそうだ。
私がまとめた過去の覚書、分布図からズレた増殖期。すべては推測でしかない。
これが原因だと確定するのは、何十年、何百年とかかるのかもしれない。気の遠い話である。
妊娠したことに気づく少し前、私たちを襲ったオーガに関する報告も受けた。
「落とし穴……?」
「ああ、結果的に……ではあるが」
ジーク様は先に聞いていたらしく、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
オーガが現れたと思われる場所に、人の背丈の半分ほどの深さの穴が空いていた。周りにも穴の底にも、ゴロゴロと大きめの石が突き出ていたそうだ。
オーガが石につまずき、穴に落ちて底の石に頭をぶつけて気絶。意識が戻った際に獲物を発見して襲いに来たのではないかと推測された。
そんなギャグ漫画みたいなことがある? と思ったものの、それらしき痕跡が残っていたらしい。
もう笑うしかなかった。
つわりがようやく落ち着いたころ、ジーク様が騎士舎の物見塔に登らせてくれた。一度登ってみたいとお願いした後につわりが始まり、延び延びになっていたのだ。石造りの螺旋階段をジーク様に手を引かれながらゆっくり登る。
塔の上からは、魔の森の濃い緑も、領都の石造りの建物が色とりどりに彩られた街並みも一望できた。
お腹を撫でると、後ろからジーク様が手を重ねてきた。
ダグラーゼは、魔の森の脅威に晒されながらもたくましく共生していく地。
それは昔もこれからも変わらない。
魔物の出現を知らせる鐘の音は鳴るし、騎士たちは毎日のように怪我をしながらも街を守る。
私はジーク様が討伐に出れば、領主代行として仕事を片付ける。
「ジーク様、この子が産まれたら姿絵を描きましょうね」
見上げると、ジーク様は嬉しそうに頷いた。
領地邸のホールには、結婚式の衣装に身を包んだ夫婦の姿絵が飾られている。
毎日見上げては頬が緩む、会心の出来栄えだ。
「楽しみだ。飾る場所は足りるだろうか」
「いや、あの、とりあえず一枚でいいのでは……?」
そのうち箱推しでも始めるつもりなのか。……始めそうだ。気をつけないと。
鳥が羽ばたいた。真っ白な鳥は太陽の光を反射しながら大空を自由に飛んでいる。
鳥のように飛べない私たちは、これからもこの大地を踏みしめて生きていく。
ジーク様と、そしてこれから生まれる未来とともに。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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