59-スタンピード
——ガン、ガン、ガン、ガン、ガン!!!!
天にその音が響いたのは、ちょうど朝食をとり終えたばかりの時間だった。
魔物の出現を知らせる鐘が、乱暴に打ち鳴らされている。
避難訓練で鍋の底で代用したときとは、比べものにならないほどの不協和音を響かせるそれに、思わず耳を塞いだ。
耳を覆いながら、別の場所からもカチカチと音が鳴っているのに気づいた。
……自分の、歯の根が合わない音。
気づいた瞬間、歯を食いしばった。おびえている場合ではない。
「ジーク様!」
向かい合わせに座っていたジーク様が立ち上がり、大股で私のほうへ近づいた。
「ここは任せる」
まだ座っていた私は、一瞬だけ抱き寄せられる。私がそれを認識するころには、すでにジーク様は扉を開けて騎士舎へ向かっていた。
「改めて全地域に避難指示を出します! ユーグは、二領地へスタンピードの発生を知らせてください!」
「かしこまりました!」
私の声に、食堂にいた使用人たちがはっとした表情を浮かべたあと、すぐに動き始めた。
心臓が痛い。服の上から動きがわかりそうなほど、激しく鼓動している。
一度目を瞑ってから深く息を吸って、吐く。
落ち着け。避難訓練をやったのだから私こそ、そのとおりに動かないと。
「レリウム教会に連絡を。治癒師の派遣を要請します」
「備蓄庫から騎士舎に回す兵糧を移動するので、人員の振り分けをします。ええ、遠征用にわけていたものから運んでください」
執務室に移動して、緊急時用の資料を引っ張り出す。
各地域の主要な避難施設に備え付けられた擬似巣の魔石のおかげで、避難状況の確認はできるはずだ。
あと半刻、鐘が鳴るのが遅ければ、各担当者たちの出仕時刻だったのに。
口惜しく思いながらも、使用人たちに次々に指示を飛ばし、確認をする。
少し経つと、可能な限り急いだ様子の担当者たちが出仕してくる。一番早く出仕した担当者は寝癖がまだはねていた。私は彼らに引き継ぎをし、騎士舎へ向かった。
騎士たちはすでに戦闘準備を終えていた。
「ああ、間に合ったか」
ジーク様の声がした。鎧を装着し、長剣を腰に着けている。
「準備が完了次第、出るところだった。レティの顔を見れてよかった」
手甲を身に着けた手で、私の頬に触れようとして直前で止まる。私はその手を取り、自分の頬に押しつけた。金属の冷たさ、間を繋ぐ革のざらつき。いつも感じるジーク様の手の温かさは感じられない。
そっとジーク様の手が離れる。彼は一歩後ろへ下がると、領主としての顔に切り替わった。
「レティ、万一のとき、領地邸の閉門は貴方が指示を出してくれ」
領地邸の門は、魔石で強化された強固な守りだ。騎士舎と魔の森側を繋ぐ門、領地邸と領都側を繋ぐ門の二か所。
騎士舎を含めた領地邸は周りを水堀に囲まれている。扉を閉じれば、領地邸の安全は確保される。
しかし、それは同時にジーク様や前線に出た騎士たちの退路を断つことを意味している。
ジーク様の顔を見た。
強い眼光。冷え冷えとする眼差し。その瞳が私を見て、柔らかく細められるのを見るのが好きだった。
今は、鋭く私を見据えている。
「承知いたしました。必ず、正しい選択を」
震えるな。笑え。目に力を込めろ。
ジーク様の目に、自信たっぷりの笑顔を浮かべているように見えているだろうか。
私は、ジーク様の妻だ。ダグラーゼの地を守る、守りの要。
私欲のために、領民を危険にさらすことなど許されない。たとえ騎士たちの梯子を外すことになったとしても。
ジーク様たちが出陣し、騎士舎側の門前は騎士たちが守りにつく。
領都側の門では補佐官や使用人たちが領民の受け入れを行っている。
それぞれが自分の仕事を全うしている。
騎士たちが後顧の憂いなく戦うために、私は私の戦い方で彼らを支える。
独り言のように、自分に言い聞かせるように声を出した。
「私の仕事は、優先順位をつけて適切に物資や人員を配置すること」
騎士舎の入り口、急遽設置された机のうえには走り書きのメモが何枚も置いてある。
私はそれらに素早く目を通して、補佐官たちに笑いかけた。
「——さあ、私たちの『トリアージ』を始めましょう」
※
ぽつぽつと避難状況の報が入ってきた。
混乱はある。
それでも、パニックに陥っている施設は思ったほど多くはなかった。
意外なことに、子どもたちが走ろうとする大人に『訓練と同じだよ!』と声をかける場面もあったらしい。普段から子どもたちの避難訓練ごっこに慣れていた大人たちはそれで落ち着きを取り戻したそうだ。
胸をなで下ろしていると、今度はトラブルが舞い込んできた。
「レティシア様、北地区で荷馬車が横転して道を塞いだと報告が入りました。まだ避難も完了していません」
「地図を確認します! よりによってこの通りですか。……騎士を何名か派遣しましょう。回り道になりますが、裏通りからこのルートで避難させてください」
まだ領都側に魔物が現れたという報告はない。しかし、避難に時間がかかればそれだけ遭遇する危険は増す。
指示を出すと、担当者は時間を惜しむように走っていった。
しばらくすると、避難完了の報も届き始めた。
避難の際に転倒したなどの怪我人も出ているそうだけど、ほとんど軽傷だ。
私は地図に書き込みを入れながら、届く報告に優先順位をつけて人員を割り振っていく。
ほとんどの地域で避難が完了したと聞いて、息をついた瞬間、今度は騎士が声を上げた。
「負傷した騎士が戻ってきました!」
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