58-異常
——カァーン、カァーン、カァーン!!
魔物が出現したことを知らせる鐘が鳴る。
「また……」
先月行われた定期遠征でも、いくつかの魔物溜まりで増殖期の傾向が出ているとジーク様から聞いた。
じわりじわりと鐘が鳴る頻度が高くなっている。
玄関ホールに向かうと、ジーク様の姿を見つけた。
「レティ」
私の名を呼ぶ声は、いつもと変わらない。そのことに少し安心する。
「ご武運を」
そう言いながら手を伸ばす。ジーク様が応えるように身を屈めてくれるので、彼の頬に口づけた。
「行ってくる」
ジーク様の背を見送って、執務室に戻る。彼が討伐に出ている間は、私は領主代行。安心して討伐に専念できるように、仕事をするのだ。
※
日が暮れてしばらく、ジーク様が帰還した。私は出迎えるために、玄関ホールへ向かう。
「ジークさ、……ま?」
ジーク様のほかに、副団長のゲオルグとハンスが立っていた。三人とも、騎士舎のほうで一度着替えたようで服の乱れはない。
「レティ、執務室へ向かう」
その言葉に、私はただ頷く。口元が引きつらなかったか気になった。
執務室へ入ると、先に連絡を受けていたのかユーグがお茶の準備をしていた。
ソファへ座ると、すぐにお茶が並べられる。一口飲んだけれど、味がしない。
「ワームが、地上に出ていた」
「え……」
通常、地中に潜って生活する大型の魔物。騎士たちの間でも、実際にその姿を見たことがある者は少ない。
今回発見したワームも、しばらく様子を見ていると地中に潜っていったそうだ。
「偶然、地表に出ていた可能性もある。あれの生態はよくわかっていないからな……」
「ワームのことがなくとも、最近の森は危険です」
「危険……?」
私が首を傾げると、ハンスは頷いた。
「小さな魔物溜まりが増えています。もちろん、それぞれは大した脅威にはなり得ません。ただ、平時よりも数が多い」
小さな魔物溜まりでも、魔物は生まれる。しかし、小さければ早々に溜まった魔力を使い果たし消えるのだという。
「小さな魔物溜まりが生まれている場所は魔素が滞留しにくい場所でした。異常個体がその場所で死んだのかもしれません」
「そうなると、数が多いことが気になるな……。一度調査すべきか」
ジーク様は珍しく判断に迷っていた。
「半月後のハルグラスとの合同訓練のこともありますな」
ゲオルグの言葉にジーク様が頷いた。
「ああ、それは延期にしよう。合わせてイグリードにも警戒の報を入れておくか」
他領地を巻き込む判断には迷いがない。ジーク様は、控えていたユーグに二領地へ伝書鳩を飛ばすよう指示を出した。
「明日は新しい魔物溜まりの辺りを調査する。そこで問題があれば、すぐに遠征できるよう準備だけ整えておこう」
「承知しました」
ゲオルグとハンスが騎士の礼をとる。
方針が決まったので、二人は騎士舎に戻っていった。
彼らが執務室から出ていくと、ジーク様が息をついた。
「私は明日、どちらに転んでも対応できるよう
準備を整えておきます。どうか安心して調査に向かわれてください」
私はジーク様の二の腕に触れた。彼の顔がほんの少しだけ和らぐ。
「ああ、頼む」
ジーク様は私の手に自分の手を重ねた。少し、いつもよりも冷たく感じた。
※
ジーク様は朝から、編成を組み魔の森に向かった。
私は遠征のための兵糧や物資の手配を行う。二領地からの返事が届き、万一に備えること、今日の結果報告を待っている旨が記されていた。
領地代行として、仕事をこなしていたら気づくと窓からの陽が赤く色づいていた。
——コン、コン。
執務室の扉がノックされる。アミュレが対応すると、久々に見るジェイの姿があった。
「あら、ジェイ。久しぶりね、珍し……」
ジェイの顔を見て、動きが止まる。顔がこわばっている。
「奥様、軍議室までお越しください。私がご案内いたします」
私の絵を褒めてくれたときの優しい声とは似ても似つかない硬い声。
急に喉が渇いたかのように、言葉が詰まる。
「ア……アミュレ、呼び鈴を。マルゴを呼んでください。交代次第、騎士舎へ向かいます」
「かしこまりました」
アミュレを呼びに行かせるとこの場には、男性の補佐官とジェイだけになってしまう。それはできない。
一度呼び鈴でほかの使用人を呼び、マルゴを呼びに行かせなければならない。
その時間すら惜しいのに。私が直接呼びに行きたい。けれど、公爵夫人の私にそれは許されないのだ。
「今回の調査、皆は大事ないですか?」
「ええ、魔物が少なかったので……」
また、異常。昨日までは、魔物の出現数は増えていた。
少しして、マルゴが執務室に到着するとすぐに騎士舎へ向かった。
日はすでに隠れ、その残滓を空に赤く残すのみとなっている。中空には星のきらめきが見え始めていた。
「遅くなりました」
「ああ、よく来てくれた。席に着いてくれ。——緊急軍議を始める」
私を出迎えた夫の優しい微笑みは、軍議が始まるとすっと表情ごと消える。アイスブルーの瞳に怜悧な光が宿る様は、まさに防衛の要たる騎士の姿。
調査報告は、すでに楽観視できる段階を過ぎていた。
「まずは、私が見た事象の報告をします。先日発見された魔物溜まりですが、育ちました」
口火を切ったのはハンスだ。いつも柔和な物腰の彼も、今日ばかりは険しい顔をしている。
「育つ? 魔物溜まりは成長するものなのですか?」
地形的に魔素が溜まりやすい場所に、魔物溜まりはできる。環境が変われば、流れ込む魔素が多くなったりするのかもしれない。
「いいえ、普通は育たないのですよ。魔の森は魔素に満ちてはいますが、濃度は安定しているので……」
「普段からある魔物溜まりも……?」
「そちらは普段通り……いえ、いくつかの魔物溜まりで小型の魔物の増殖期が始まっていたので、よくはないのですが、ともかく大きさに変わりはありませんでした」
ぽろりと別の悪い報告まで出てきた。え、やだ聞きたくない。
「新しい魔物溜まりの近くに、ホーンラビットの異常個体の死体があったのですが、……魔物溜まりが死体の魔石を吸収しました」
「それは、あり得ることなのですか?」
「いいえ、奥様。今まで聞いたことがありません」
ハンスの返答にゲオルグの方を見た。私の視線を受けて、彼は首を横に振る。
「私もありませぬな」
「この事象の検証をしたいところですが、それよりも調査中に見た異常個体の数が気になります。小型とはいえ、多すぎる」
ハンスの言葉に、ジーク様が険しい顔で副団長たちに告げた。
「緊急遠征を行う。同時に領内に警戒指示を。隣接二領地には調査の報告を送る」
「「承知しました」」
すぐさま二人が動き出した。
そして、翌日。
——騎士たちが、遠征に出ることはなかった。
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