54-イグリードとハルグラス
イグリードとハルグラスとの会談は、ダグラーゼ領へ出向いてもらうことになっている。
本来なら提案側である私たちが各領地へ説明に赴くのが筋だ。しかし、ハルグラス側からイグリード領がスタンピードで被害を受けた際の話を聞きたいと言われたのだ。
イグリードからも了承いただき、今回の会談を迎えた。
「イグリード侯爵夫妻、ハルグラス伯爵夫妻。ご足労いただき感謝する」
ジーク様が頭を下げるのに私も合わせる。
今回は応接室ではなく、食堂で両領地夫妻を迎え入れた。領主夫妻だけでなく、両領地の補佐官や担当者が同行しているためだ。
彼らの席には事前に用意した資料が置いてある。
お互いの挨拶が終わり、まず茶を飲んでひと息ついたあと、私は本題を切り出した。
「さて、先日お話させていただいたスタンピード発生時の対応についてですが——」
資料に沿って、説明をしていく。
二十八年前のスタンピードによるダグラーゼの被害や、事前に聞いていたイグリード領への被害状況、今後発生した場合の想定被害。
それから、騎士たちの覚書をまとめることで浮かび上がってきた、スタンピードの発生条件。
「ダグラーゼとしては、スタンピードは複数の要因が重なることで起こる複合災害だと仮定しております。これ自体は防ぐことはできません。しかし、被害を最小限に抑えることはできると考えております」
資料を確認しているハルグラス伯爵夫妻の顔がわかりやすく青ざめている。
「そんな……ダグラーゼ公爵がいれば安全だと思っていたのに」
ジーク様の戦闘力について、なぜか絶対の信頼があるようだ。確かに以前、他の騎士を庇い足に怪我を負った以外は、討伐に出ても擦り傷だけで帰ってくる。
「ジークヴァルト様の腕は二本しかございませんから。災害級の事態はお一人では対応できません」
私の言葉にハルグラス伯爵夫妻はうなだれた。隣では、彼らの補佐官が未だ資料を読み込み、前回の被害地域をまとめた地図で手を止めた。
「前回のスタンピードはイグリード側に流れたようですが、これは傾向などはあるのですか?」
「魔物自体は発生しやすい地域というものはございます。ただ、魔物溜まりは不定期に消失したり、新たに発生したりするため確実にイグリード側にしか流れないという確証もございません。実際、先の遠征ではハルグラス領境にほど近い場所で小さな魔物溜まりが発生していたという報告も受けております」
「なるほど……。我々も他人事ではいられないということですか」
補佐官が深く息を吐き出した。
「そのためダグラーゼとしては、資料にあります通り、両領地に対して迅速な連絡手段の構築を提案いたします。今まで早馬で対応しておりました連絡を、伝書鳩へ切り替えます。それに伴う擬似巣の魔石の無償貸与を考えております」
「魔石を無償で? そちらに何のメリットが……」
「こちらが要求するのは相互扶助です。……といっても、ひとたびスタンピードが起きればダグラーゼはどうしても助けていただくことが多くなりますから。これは先行投資という形ですわね」
「ダグラーゼ公爵夫人、こちらの資料には武装した騎士の立ち入りを許可すると書かれておりますが……」
声を上げたのは、イグリード領の補佐官だ。
「はい、そちらはスタンピード発生時など緊急要請を行った際の特別措置ですわね。緊急時に領境を超えないと討伐ができないのでは、かえって被害が大きくなる恐れもありますから」
「それと、この合同訓練とは?」
「両領地では、複数の魔物を相手にするような経験がほとんどないとお聞きしました。魔物は種類によって、強さも弱点もさまざまです。複数種が入り乱れるような戦場では戦い方も変わってきます。事前に訓練していただいたほうが本番での被害も抑えられると思っております」
資料には魔の森に現れる魔物情報も添付した。魔物の絵は騎士のジェイが描いた。彼は『他領にお渡しするならば、確実にご理解いただけるよう、私が描きます』と力強く宣言してくれた。心強い。おかげで私が出る幕はなかった。
「この合同訓練時も武装した騎士の立ち入りと、両領地の騎士が討伐した魔物の獲得物については、持ち帰りを許可します」
「それは、魔石も含めて……ということですか?」
「ええ、そうですわね。訓練とはいえ、実際に討伐を行うことになりますから。危険を冒したのに、報酬がないのでは士気も上がらないでしょう。もちろん、記録は行いますが」
私の言葉に、両領地から驚きの声が上がる。魔石は基本的に魔物を討伐しないと得られない。国内で流通する魔石は、ほとんどがダグラーゼ産だ。
騎士たちが討伐して得たものの他に、冒険者と名乗る者たちが討伐して得た魔石もある。こちらはギルドと呼ばれる組織が厳重に管理し、他領地へ卸される。
生活に欠かせないものになっているのに、仕入れ額が下がることはほとんどない。
「……そんな好条件を、起こるかどうかわからないスタンピードの見返りにするということですか?」
「備えることは大事ですから。代わりに事が起きれば、迅速な討伐支援と復興支援をお願いしたいのです」
そう言って、二十八年前のスタンピードの被害をまとめたページを指し示した。
前回はスタンピードによって壊滅した村もある。働き手が半減した農村は、何年もまともに食べることができなかったと記録に記されていた。当時、支援が行き届かなかったのも、そのような地域がいくつもあったからだ。
両領地の補佐官や担当者たちが、資料を見ながら言葉を交わしている。
やがて、イグリード侯爵が彼らの言葉を受けて私たちに顔を向けた。
「わかりました。一方的に頼られるなら考えものですが、この条件ならば受け入れましょう」
「ハルグラスもイグリード侯爵と同意見です。ダグラーゼ側から好条件を提示していただけるのはありがたい」
イグリード侯爵とハルグラス伯爵が頷いた。細部は補佐官と担当者たちが詰めることになる。
彼らは席を移動し、話し合いを始めた。
残されたイグリード侯爵夫妻とハルグラス伯爵夫妻の前には、新しいお茶とお茶請けが用意される。
「実は、ハルグラスには魔の森に対する防壁があるんです」
ハルグラス伯爵が切り出した。
「とても古い防壁で、現在の領境よりも内側にあります。だから、特別重要視しておりませんでした。しかし、今日改めて領主としてその判断が甘かったと痛感しております」
前回のスタンピードよりも前。下手をすると百年単位の昔に、その防壁は作られたのだと伝えられているそうだ。
「やはりハルグラスにも被害が及んだことがあったのですね」
「そのようです。長らく被害がなかったことで忘れられていたことにぞっとしました」
「今のうちから対策を考えられることはありがたいですわ。ダグラーゼと違って、魔物が押し寄せる経験などありませんもの」
ハルグラス伯爵夫人は自分を抱きしめるように腕を交差させた。ふるふると首を横に振る。想像した可能性が恐ろしかったのか、心なしか青ざめていた。
「最悪の事態を避けるための協定ですもの。イグリード領も万全の対策をしていたとは言えません。お互い助け合いましょう」
イグリード侯爵夫人が優しく微笑んだ。それを見たハルグラス伯爵夫人が少し安心したように頷く。
別のテーブルでは、補佐官や担当者たちの話し合いが続いている。
スタンピードは災害だ。被害をゼロにすることはできない。それでも、この話し合いで救える命が一人でも多くなればいい。そう願うのだ。
面白いと思っていただけたら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】から評価やブックマークをしていただけると励みになります。




