50-式と宴
教会の扉が開くと、招待客たちが立ち上がってこちらを向いていた。
そして、誰からともなく拍手で迎えてくれる。
教会の奥の一段上がった場所に、ジーク様の姿が見える。ステンドグラスが色とりどりの光を通し、ジーク様を照らす。
父が腕を私にしかわからない程度に動かす。歩き始めの合図。
父にエスコートされてゆっくりと歩き出した。
ジーク様の前までたどり着くと、父の腕から手を離す。父が私の顔を見て頷き、ジーク様が私に手を差し出した。
私はその手をとって、一段上がった。
ジーク様と目が合った。嬉しそうに目を細めて笑っている。私も同じように笑う。
なぜか招待客からざわめきが起きた。気になったけれど、司祭が話し始めたので前を向く。ざわめきは司祭の言葉が進むにつれて静かになった。
「——では、証明書の記入を」
本来の結婚証明書は、このタイミングで記入するけど、すでに本物は提出されているので、今回の証明書は形だけのものになる。
それでも、貴族の結婚は契約だ。たとえ形だけだとしても、体裁を整えてみせるのは大事なことだ。
ジーク様に続いて、私も署名をする。
書き終わった紙を司祭が確認し、招待客に向けて掲げた。
「ここに新たな夫婦が誕生しました。いかなる困難も、あらゆる幸福も、二人で分かち合うことをレリウム神とこの場のすべての者の前で誓ってください」
新郎新婦が言葉にして誓う必要はない。それよりも強い力のある証明書に署名をしたからだ。
司祭の言葉は誓いのキスの合図。
私はジーク様に向き直った。ジーク様もこちらを向く。喉が上下に動くのが見えた。
ジーク様が私の肩に手を置く。顔がゆっくり近づいてくるのを確認して、目を閉じた。ふわりと柔らかいものが触れる感触。
次いで、拍手が沸き起こった。
唇が離れた瞬間に目を開ける。ジーク様はちゃんと意識がある。恥ずかしさのためか目は泳いでいるけど、硬直もしていない。
私は嬉しくて隣に立つジーク様の指に自分の指を絡めた。
※
屋敷の広間に移動して、披露の宴が始まった。ジーク様が開会の挨拶を終えると、フェリシア様がアルベルト殿下の祝辞を代読した。
こういうのは前世と似たような進行なんだなと思いつつ、ありがたく拝聴する。
祝辞が終わると、今度は私たちが招待客のもとへ挨拶に向かう。
最初に向かったのは、ダグラーゼに隣接する二つの領地であるイグリードとハルグラスの領主夫妻のもとだ。
ダグラーゼはエルデンライヒ王国の最東端に位置していて、その西側で北西にイグリード、南西にハルグラスが接している。
まずは北西側に領地を持つイグリードの領主夫妻のもとへ向かった。
「イグリード侯爵、侯爵夫人。このたびは私たちの結婚式に足を運んでいただきありがとうございます」
「ジークヴァルト様、レティシア様。ご結婚おめでとうございます」
イグリード侯爵夫妻は、ジーク様が幼い頃から交流のある方々だ。柔和な雰囲気の夫人は、ジーク様を見て、嬉しそうに目を細めた。
「ジークヴァルト様がご結婚されるなんて、アリーシャ様もきっと喜んでおられますね」
ジーク様は夫人の言葉に何かを思い出すかのように目を閉じた。口元には笑みが浮かんでいる。
「そうですね、母も妻がダグラーゼへ嫁いでくれたことは喜ぶでしょう」
私がジーク様の顔を見上げると、彼が説明してくれた。
「夫人は母がダグラーゼへ嫁ぐ前から仲の良かったご友人だ。幼い頃は夫人のご息女と遊んだこともある」
「ええ、ジークヴァルト様はうちの娘たちより五つも下だからいいお世話人形になっていたわね」
ジーク様がお姉さん衆からお世話をされる姿……。きっとかわいかったのだろう。
「あの、夫人。今度お茶会を催しますので、ぜひ昔話を聞かせてくださいませ」
「ええ、もちろんよ。楽しみにしているわね」
「聞いても面白いことなどないと思うが……」
そんなことはない。ジーク様だって、私の小さい頃の話を散々聞いて楽しんでいたのだから、私だって聞く権利があると思う。
「いいえ、きっと楽しいですわ」
にっこりと笑顔を作ると、ジーク様は「そ、そうか……?」と言いながら大人しく引き下がった。
「ところで、イグリード侯爵夫妻にぜひお願いしたいことがあるのですが」
私は話を切り替えた。
「ふむ、何かな?」
「魔の森で発生するスタンピードについてです」
「スタンピードか……。前に発生したときはこちらにも被害が出たな」
他領の被害が出ていたことは知らなかった。けれど、それならばなおさら今から言うことは真剣に聞いてくれるはずだ。
「今後、スタンピードが発生した際に迅速に行動できるよう連絡網を整えたいのです」
「連絡網?」
イグリード侯爵が首を傾げた。
「はい、スタンピードは災害です。その被害を最小限に留めることは、ダグラーゼとして、ひいてはエルデンライヒの一員として果たすべき務めです」
言い切った私に、隣でジーク様がため息をつく。
「……貴方の自分の晴れの日でも仕事をしたがる癖は、本当にどうしようもないな」
「うっ、ごもっともです……」
よく見ればイグリード侯爵夫妻は表情こそ崩していないものの、明らかに困惑している空気を醸し出している。
「侯爵、スタンピードの件は後日改めて話をさせていただきたい」
「ああ、もちろんだ。ジークヴァルト様はなかなか愉快な方を迎えたな……」
「私の妻は働きすぎるのが玉に瑕ではありますが、とても美しく優秀なのです」
「あらまあ、幸せそうでなによりだわ」
イグリード侯爵夫人が頬に手を当てて、ふふと声を漏らした。
私たちはイグリード侯爵夫妻と別れ、ハルグラス伯爵夫妻のもとへ向かう。
南西側に位置するハルグラス領は、数年前に代替わりをしたばかりらしい。ジーク様は先代から代替わりしたあと、若夫婦の結婚式に招待されたときが初対面だったのだそうだ。
「ハルグラス伯爵、伯爵夫人。このたびは私たちの結婚式に足を運んでいただきありがとうございます」
挨拶をすると、イグリード侯爵夫妻と違ってこちらはずいぶんと緊張している様子だ。
ハルグラス伯爵はしきりにハンカチで額を拭いている。
「こ、こちらこそ、お招きいただきありがとうございます!」
「ダグラーゼ公爵、公爵夫人。おめでとうございます」
ハルグラス伯爵夫人もなぜかジーク様のほうへは視線を向けない。
不思議に思ってジーク様を見上げると、彼は私を見て幸せそうに微笑む。……うん、気にしてないらしい。
雑談を挟んだあと、ハルグラス伯爵夫妻にも連絡網についての打診をする。
「スタンピード、ですか?」
「ええ、二十八年前に発生しましたの」
「そんな昔に? 申し訳ございません、不勉強でしたわ」
私はかいつまんでスタンピードの説明をし、連絡網の必要性を説いた。
二人は一度ジーク様の顔を窺うと、私に頷いた。
「もちろん殲滅公しゃ……あ! ダグラーゼ公爵が必要だと思われているのなら、全面的に協力いたします!」
ハルグラス伯爵が夫人に肘でつつかれている。そういえば、私の夫には物騒な二つ名がついているんだった。
「では、具体的な日程は後日改めて話し合おう」
ジーク様は慣れているのか華麗にスルーしている。ハルグラス伯爵夫妻はジーク様の様子に顔を見合わせていた。
二人と別れ、次の招待客に挨拶しようと背を向けるとハルグラス伯爵が深く息を吐く音が聞こえた。
「殲滅公爵、怖かったー……」
「でも、噂の『眼光で人が殺せる』、は嘘でしたわね。奥様を見る目がとても甘かったですもの」
……うちの夫、どんな噂をされてるんだ。思わず口が緩んでしまった。
「レティ?」
私の様子にジーク様が首を傾げる。私は首を横に振った。ほら、私の夫はこんなにもかわいい。
宴も滞りなく進み、私たちは招待客への挨拶を終えた。
——あとは、仕切り直しの初夜だけ。
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