04-ダグラーゼ公爵
翌日の昼過ぎ、無事に目的地であるダグラーゼ領主邸へ到着した。
領主邸の手前で一度馬車が止まる。門番の騎士とのやりとりは短く済んだようで、またゆっくりと馬車が動き出す。石畳から一度、木材の上を走る音に変わった。
窓の外へ目をやると、橋の下には水を湛えた堀が見えた。しかし、領主邸の全貌を窺い知ることはできなかった。
馬車が止まる。
扉が開いたので、降りるために差し伸べられた手を取ろうとして、一瞬動きを止めてしまった。
「遠路はるばる、よく来た」
公爵様の耳に心地よいバリトンボイスが耳に届く。考えれば、公爵自身が花嫁を迎えに出るのは当然のことだ。何を動揺しているのか自分でもわからない。
そっと手を重ねると、ふわりと優しく包み込まれた。
ステップを降り、隣に並ぶと頭一つほどの身長差がある。体格差もかなりのものだ。
私は王国の貴婦人の中でも身長は高い方なのに、公爵様の隣にいるとまるで子供に戻ったように感じた。
「改めて、ジークヴァルト・セルシア・ダグラーゼだ。中で皆が待っている。屋敷の皆に紹介したい。来てくれ」
感情の見えない顔で、早口に告げられた。
見上げるが、公爵様は屋敷の方に目を向けて、こちらを全く見てくれない。
私が自己紹介するのを待たず、手を引かれた。
公爵様が自ら出迎えてくれたので、歓迎されていると思ったのに。
手を引かれるまま、屋敷へ向かう。後ろを執事が歩き、少し遅れてアミュレが私たちの後を追った。
屋敷に入ると、使用人たちが並んでいた。彼らの前までエスコートされると、公爵様が使用人たちに声をかける。
「皆、レティシア・エーデル・モルゲンレート侯爵令嬢だ。本日から、この屋敷で暮らす」
『ようこそお越しくださいました』
公爵様の言葉を受けて、皆が一糸乱れぬ動作で頭を下げた。なかなか壮観だ。
「レティシア・エーデル・モルゲンレートでございます。本日よりお世話になります。よろしくお願いいたします」
王妃陛下仕込みのカーテシーを披露する。ほぅ、と息を吐く音が聞こえた。使用人たちの様子をうかがう。瞳には喜色が浮かんでいる。
姿勢を戻すと、執事から応接室に案内すると声がかかる。公爵様にエスコートされながら、玄関ホールの中央に位置している階段を上がる。
階段は、中央の階段から踊り場、そこから左右に分かれる階段がついていた。エルデンライヒ王国ではよく見る建築様式だ。通常は踊り場にはその屋敷の当主や家族などの肖像画が飾られているが、なぜか幕がかけられていた。
二階に上がるとすぐの部屋が内向きの応接室なのだそうだ。その奥には、家族の部屋が連なっている。私の部屋も、公爵様の隣に用意されているらしい。
室内に入ると、壁が寂しく思える。品よく整えられた室内のなかで、まるで飾ってあった絵画が消えてしまったかのように空虚な場所があった。
「こちらは、この地方特産の花茶でございます」
そう言って、良い香りのする茶を用意してくれたのは、マルゴと名乗る家政婦長だ。この花茶は祝い事の時に飲むのだという。
お茶請けは、チーズとスパイスの入ったクッキー。これもダグラーゼ領ではポピュラーなお菓子だそうだ。
まずお茶を飲む。ふわりと華やかな香りが鼻腔をくすぐった。前世でいうハーブティーのような味わいで、とても飲みやすい。
クッキーは一口かじると、チーズの塩気とスパイシーな香りがとてもマッチしていた。
「これは……ワインが飲みたくなりますね」
思わず素直な感想がこぼれる。
「酒呑みの感想だな」
私の言葉を拾った公爵様に呆れたように返された。確かに、完全にお酒が好きな人の発言だ。しかし、今世は残念ながらあまり適性がなかった。一杯も飲まないうちに顔が真っ赤になってしまう。
「あら、恥ずかしいですわ。ワインは嗜む程度ですの」
頬に手を当ててはにかむ。お酒の感想はどうしても前世に引っ張られてしまう。実家で検証を重ねた結果、前世で飲めた量の一割も飲めない身体になっていた。
少しの酒量で酔えるのは、コスパが良いと割り切ることにしたけど。
「本日は、結婚証明書にご署名していただきます」
少し落ち着いてから、執事のラディウスより説明を受けた。
「今回の結婚は証明書が先ですものね」
「左様でございます。通常ならば、結婚式と同日に行いますが、準備期間がほとんどございませんでしたので」
今回の結婚は例外的に、結婚証明書だけを先に王家に提出し、準備が整ってから結婚式を行うことになった。
「公爵様。婚礼衣装の件、お許しいただきありがとうございました」
「うむ……」
「公爵様の衣装にも携わらせていただくことになり、とても楽しみにしております」
「そうか……」
公爵様が全然喋らないけど、男の人は衣装にあまりこだわりがないのかもしれない。前世で友達が結婚するとき、衣装合わせに新郎が十分しかかからなかったと言っていて、とても驚いたのを思い出す。
「レリウム教の者はもう来ているのか?」
「証人の資格を持つ司祭は、当家の教会にてすでに待機しております」
「……そうか。レティシア嬢、手を」
公爵様はすぐに立ち上がり、私に手を差し伸べてくる。無愛想に近い物言いなのに、手つきは宝物を扱うように優しい。
とても不思議な気分だ。
「……行こう」
「はい」
公爵様の言葉に返事をすると、ほんの少し手に力が入った。
その後、教会で司祭に見守られ、無事に私と公爵様は夫婦として認められた。
今日行うべきイベントは、初夜だけになった。




