03-最後の宿
ダグラーゼ領は、王都から馬車で五日の距離にある、魔の森を背にした防衛の要だ。
魔の森とは魔物がはびこる恐ろしい森で、代々ダグラーゼ公爵家が指揮を取り、前線で戦っている。
現公爵であるジークヴァルトは、指揮するだけでなく最前線を駆け回り、幾度となく魔物の群れを殲滅してきた。
鬼神の如き強さで魔物を屠り、返り血を浴びる姿から、いつしか人々の間で『殲滅公爵』と呼ばれるようになった——という噂を、夜会で耳にしたことがある。
さらに、周辺領地や王都とは、最短経路に整備された軍事用の頑丈な石畳街道で繋がっており、万が一の時には迅速に応援を出せるようになっていた。
「レティシア様、そろそろ次の宿に着きますよ」
窓から外を見ていた侍女のアミュレが、私のほうを振り返って言った。
今は侯爵家で一番上等な馬車の中だ。
「もうすぐで着くのね……」
普通の馬車なら五日の距離。しかし、輿入れのための隊列は長く、徒歩で付き従う騎士もいるから通常よりも時間がかかる。休憩もこまめに取ってはいるけど、連日長時間座りっぱなしだ。……お尻が痛い。
前世のデスマとどっちが辛いかなと考えて、いやデスマのほうがしんどいなと、結論づけた。
馬車が止まる。随行していた騎士から声がかかり、扉が開いた。エスコートを受けて馬車から降りると、物々しい三階建ての建物が目の前にあった。万が一魔物が攻めてきた場合に備えて、ダグラーゼ領の高級宿は、優美さよりも堅牢さを優先しているのだと資料に載っていた。
「まるで小さな砦のようですね……」
アミュレが宿を見上げて呟いた。私はそれに頷いて、資料の内容を諳んじる。
「有事の際にはこの宿は避難所になるそうよ。街の要所要所にこのような建物が設置されているのですって」
今回の旅でここが最後の宿となる。魔の森とは反対に位置しているけど、歴代のダグラーゼ公爵はこのような地域でも、有事のための備えを怠ることはなかったと聞く。
「人の雰囲気も王都とはだいぶ変わりますね」
「そうね。数年ごとに魔物が増えやすい増殖期や、何十年かに一度スタンピードが発生するそうだから、建物も人も実利を重んじているのね」
周りを見れば、王都と違って男も女も浅黒く日に焼けて逞しい者が多い。革鎧を身に着けている者も多くいる。
国内でもずいぶんと様子が違うのだと、少しワクワクしてくる。
ぜひ、領史などを読んで王都の歴史と比べてみたい。
宿に入ると外観とは異なり、落ち着いた装飾が施されていた。
部屋も上級貴族を迎えるに相応しい内装だった。部屋の壁紙にはこの地域でよく使われるという模様が描かれていた。王都で伝わる伝統的な紋様とは異なるそれに気づいて、遠くへ来たことを改めて実感する。
アミュレにお茶を入れてもらって一息ついた。
「とうとう明日なのね」
ぽつりと呟く。アミュレは荷物を片付けていて席を外している。私の呟きは誰にも拾われずに済んだ。
今さらだけど、動悸がしてくる。
前世で恋人はいたものの、いつも仕事に忙殺されていたから、結局フラれてしまった。
『俺と仕事、どっちが大事なんだよ?!』
という言葉を聞いて、本当にこんなこと言う人間がいるんだ、と感心したあたり、本気で好きではなかったんだろう。
寂しさを埋めるための存在。そんな気持ちで付き合ってしまって申し訳なかったなと今でも思う。
今世では幼い頃から、貴族ならば家のため、国のために結婚するのだと言い聞かされて育ってきた。ユリウスとの結婚も、仕事だと思えば割り切れ……いや、かなりムカついていたな。よく殴らなかったと褒めてあげたい。
ともかく。自分のための結婚ではなかった。
この結婚もそうだ。
相手からすれば、王太子から押し付けられた元婚約者。私は、王太子妃教育を施された侯爵令嬢だし、耳聡い貴族であれば利用価値があることに気づくと思う。今世の私は自分で言うのもなんだけど、とても有能だ。
そこまで考えて、公爵様から受け取った手紙の内容を思い出す。
端的な文章。一見すると、まるで嫌われているかのような忠告の数々。
父とのやりとりの内容を聞かなければ、公爵様がこの結婚を断りたいがためにネガティブなことばかり書いたと思っただろう。
「お優しい方のような気がする……」
手紙の筆跡を思い出す。武骨な角ばった字。端的な言葉選び。
実利を重んじる辺境の地を治める者らしい無駄のない手紙だ。
きちんと内容を読めば、資料だけではわからない細やかな気遣いがにじんでいた。
夜会の時に見た威圧感のある横顔、アイスブルーの瞳がとても美しかったことを覚えている。それに、……たくましい身体。
って、何を思い出しているのかしら。
慌てて首を振って、脳裏に浮かんだ記憶を打ち消す。
「レティシア様、お食事の用意が整いました」
ちょうどアミュレに声をかけられて、これ幸いと先ほどまで考えていたことを頭の隅に追いやった。
「ありがとう、では行きましょうか」
用意されていた食事は、新鮮な野菜や肉が使われた豪勢なものだった。
手紙のとおりに、王都の食事に比べると味が濃い。
けれど、これくらいならばソースをあとがけにしたり、淡白な味付けの副菜を増やしてもらえば問題なく食せるだろう。
また手紙の筆跡を思い出し、そのまま公爵様の相貌まで頭に浮かぶ。顔が熱くなった。
アミュレにわかるほど赤面していたのだろう。体調を心配されて、慌てて否定する。
その後に食べた食事は、味の記憶がなかった。




