第2話「背景という名の主役」
◇
生徒指導室という場所は嫌いだ。
いや、好きな高校生がいたら、ぜひ会ってみたい。たぶんそいつは生徒指導ではどうにもならない種類の厄介を抱えている。
ともかく、あの部屋には独特の空気がある。入る前は人生が終わった気がして、出た後は「思ったより終わってなかった」ことに気まずくなる。
まるで、病院の診察室だ。ただし、診断結果は大体いつも「様子見」で、根本の解決はしない。
俺――佐藤悠真と白峰アリアは、その淀んだ空気を背中に貼り付けたまま、廊下を歩いていた。
窓の外では運動部がまだ走り続け、吹奏楽部は同じフレーズを何度も失敗しながら繰り返している。
青春というのは、一直線に突き進む熱病かと思っていたが、どうやら同じ場所をぐるぐる回りながら進むリハビリらしい。少なくとも俺より、よほど健康そうに見える。
「クラスの中に、動画を拡散した奴がいるって言われてもなぁ」
俺は制服のポケットに両手を突っ込んだ。
「俺、ただ動画を見ただけで、目撃者ですらないんだが」
「あなたが目撃者でも共犯者でも、私には関係がない事なのだけど」
夕陽が窓から差して、アリアの銀に近い髪だけが、洋画のワンシーンみたいだった。
こういう時だけ思う。
神様はたぶん、「白峰アリア」の外見を作った後、性格の調整で面倒になったんだろう。
「……転校早々、災難ね」
足が少し止まった。
まあ、災難ではある。転校して一ヶ月。
拡散犯扱いされたわけじゃないが、事情を聞かれる側には回った。
歓迎イベントとしては治安が悪い。
「まぁな。普通、転校イベントってもう少し平和で、心躍るものだろ」
アリアは首を傾ける。
「そう?」
「歓迎会とか」
「歓迎されたじゃない」
一瞬、意味が分からなかった。歓迎会なんていつあった?
「学校に」
話を整理しよう。
今日あったことは、放課後に担任が来て、生徒指導室に連行され、事情を聞かれただけである。
どこに歓迎要素があった。
どこかで俺は、クラッカーの火薬の匂いをスルーしたか。
「……待て」
アリアが首を傾ける。
「何、転校生くん」
「お前は、今の担任からの事情聴取を歓迎会だと言いたいのか?」
「そう」
即答だった。
「十分イベントでしょう」
歓迎会という文化に、俺とアリアで致命的な認識の差があるらしい。
「転校して一ヶ月。ようやく学校側から接触してきた」
刑事ドラマか。担任の顔が急に公安に見えてくるだろ。
アリアは前を向いたまま続ける。
「歓迎って、結局、『来たことに気づいてもらう儀式』なのよ」
歓迎って、仲良くなるための儀式じゃなくて、教室に登録するための手続きだったのか。
……言われてみれば、そんなものかもしれない。
「歓迎された記憶って残る?」
そう言われて、俺は少し考えた。
自己紹介した気はする。
拍手もあった。
好きな食べ物を聞かれた気もする。
でも、その先が出てこない。
歓迎会って、案外保存期間が短いらしい。
「……まあ」
とだけ返した。
アリアは階段を下りる。
「最初だけ、みんな親切なの」
それはそうだと俺も思う。
珍しいものを見ては、それに慣れる。人類はたぶん昔からその繰り返しだ。
「だから苦手なの」
吹奏楽部がまた同じところからやり直した。
「歓迎って、思ったより雑なのよ」
アリアは続ける。
「どうせ後から勝手に分類するんだから」
ーー転校生。
静かな奴。
面白い奴。
分類が終わったら、元の棚に戻す。教室って案外、物流センターだったのかもしれない。
「何かあったのか」
口に出したつもりはなかった。
でも出ていた。
「何も」
即答だった。
どうやら俺は盛大に地雷を踏み抜いたらしい。
こういうのは分かる。
別に顔色が変わったわけでもないし、声が低くなったわけでもない。
ただ、返事が綺麗すぎた。
いつでも取り出せる場所に置いてあった答えを、そのまま渡された感じ。
こういう時、人は何か気の利いたことを言うべきなんだと思う。
俺でも知ってる。
大変だったな、とか。
嫌だったな、とか。
そんな感じの、人類が長い時間をかけて発明した会話用の定型文。
でも出てこない。
出てきても違う気がした。
たぶん今ほしいのは慰めじゃない。
というか、こいつは慰められる側に立つこと自体を嫌いそうだった。
だから結局、俺は黙った。
昇降口に着く。夕方の空気が冷たい。ローファーの音がコンクリートに響く。
「じゃ、私はここで」
そこで終わるのか、と思った。
別に当たり前だ。
ただ、舞台が終わったあとみたいに、急に照明が落ちた感じがした。
「……そっか」
アリアが首を傾ける。
「何?」
「いや、なんでもない」
説明できなかった。人間、気まずくなると急に語彙が死ぬ。
アリアは少しだけ考えてから言った。
「まだ、その段階じゃないでしょう」
彼女は歩き出した。数歩で止まり、振り返らずに言った。
「佐藤くん」
「なんだ」
「安心して」
何を安心しろと言うんだ。
「背景くんは、呼び出しなんてされないから」
慰めかと思ったが、
「人間観察よ」
それだけ言って、アリアは去っていった。
ただ、『観察中』という評価は、思ったより悪くなかった。いや、良くもない。ただ、あいつなりの基準で「人間扱い」されたような気がしただけだ。
吹奏楽部がまた、最初からやり直す。顧問の声が響く。
青春って案外、前に進まないものだな。
……まあ。
転校して最初に仲良くなった相手が、歓迎会を事情聴取と呼ぶような性格なのに、見た目だけは妙に完成度の高い美少女だった時点で、たぶんもう手遅れだった。
少なくとも俺は、背景のままではいられないらしい。




