【心の中の世界】真っ黒な染み
女子トークはそこで区切られ、三人はお風呂から上がりました。逆上せないうちに、と出たつもりですが、エミルは少々フラついています。フランチェスカが水を出し、サナが介抱していました。三人から漂う雰囲気がどこか変わったような気がしますね。先ほどの会話から、この三人の仲が一層深まったように感じます。
自分の気持ちを素直に伝える事は、時に人との繋がりを深くするのですね。人によっては真逆の効果をもたらすのですが……私にはその辺りの判断が難しいのですよね。フランチェスカも言っていましたが、適材適所。そういったところはオースティンが得意でしょうし、お任せしようと思います。
着替えも終わり、三人が部屋へと戻ると、すでにナオが待っていました。男一人の風呂は時間もかからないでしょうしね。けれど、文句を言うこともなく、ゆっくりできたか? と笑顔で聞けるこの男はやはり、天然のタラシで間違いないですね。先ほどの会話を思い出して、三人とも少し赤面し、慌てて少し逆上せたのだと言い訳していましたが。平和なことは良いことです。
それから、四人で宿の夕食を食べ、明日買うもの、調べることなどを簡単に話し合ってから部屋へと戻っていきます。ナオと同室のフランチェスカはやや微妙な面持ちでしたけれど……順番ですので仕方ありませんね。次はサナの番な訳ですし。
明日出発したのなら、当分同室はなさそうですけれどね。長らく野宿が続きますし、山を越えても宿という建物などのない小さな村くらいしかなかったと記憶していますから。
ナオとはいえ、男と二人で同室など、あの時のあの瞬間しかありませんでしたから、少し心配なのですよね……記憶は封印していますが、根底に刻まれたトラウマが刺激されないと良いのですが。
『エミル、ちゃんと起きるから、早く目覚めても普通に起こしてね? 飛び乗ってこないでね?』
『にゃはは! まっかせるにゃ! 安心するにゃ!』
『ちっとも安心できないんだけど!?』
寝る前、ベッドに入ってから二人がそんな会話をしています。サナは本気で心配していますが、見た感じエミルもわかっていて言っているのでしょう。冗談が言えるのも、仲良くなったからこそ、ですね。
おやすみなさい、サナ。良い夢を。
「……あぁ、生温いですねぇ。あまりにも気持ち悪くて、部屋から出てきてしまいましたよ」
私が幸せな気持ちに浸っていたというのに、その人の神経を逆撫でするような話し方と声を聞いた瞬間、一気に心が冷えていきました。
「お友達ごっこですか。結構な事ですね」
肩口までの黒髪をサラリと揺らし、瞳を閉じたまま迷う事なくこちらに歩いてくるその人物は、着ている服も全て黒く、心なしか黒いオーラも放っているように見えました。
なぜこのタイミングで。もしもサナが今、心の世界にやってきたらと思うと気が気ではありません。どうか、今日ばかりは来ませんように。こんなことを願うなんて初めてですよ、まったく。
「……エーデル」
「久しぶりですねぇ、ジネヴラ。相変わらずごっこ遊びを楽しんでいますか?」
破滅の象徴のような魂。口元はいつも微笑みを絶やさず、それでいてその声に感情はありません。本当に、不気味な存在。
「何しにきたのですか」
「おや、今しがた言ったでしょう。あまりにも気持ちの悪い感情に、じっとしていられなくなったのですよ」
エーデルはそう言いながらソファに座りました。足を組み、腕を組み、背凭れにゆったりと寄りかかってやれやれと首を横に振ります。
「仲間、なんて紙みたいなもんです。少し血を垂らせば滲み、脆く破れていく。薄っぺらい関係を大切にするなんて、意味不明ですよ」
「紙ですか。日常になくてはならないものですね」
エーデルの挑発にはそう簡単にのりませんよ。淡々と、思ったことを返していきます。エーデルは何がおかしいのか声を上げて笑い始めました。
「違いありませんねぇ。日常になくてはならないもの。その通りですよ。……私はね、ジネヴラ」
エーデルは足を下ろし、両肘を膝に乗せて前のめりになって言います。こちらに顔を向ける気はないようです。
「真っさらな紙をグシャグシャにしてやるのが大好きなんですよ」
目を閉じてはいるものの、非常に楽しそうなのがその横顔から伝わってきました。悪趣味極まりないですね。
「あるいはビリビリに破くのもいい。でも何より好きなのは……」
聞いてもいないのにペラペラと愉快そうに語り始めたエーデル。けれどここで遮ってはいけません。経験から、それをすればエーデルの機嫌を激しく損ね、面倒なことになるのを知っているからです。
「黒く汚れた部分を、必死になって消そうとする哀れな存在です。元通りにしようとすればするほど余計に汚れ、皺になり、最終的に穴が空くんですよ。その思いとは裏腹に」
あぁ……悪趣味。だから本当は聞きたくなどないのですけれど。この場には私とエーデルしかいませんし、私だけが我慢すればいい話なのですが。
「美しい紙は、一度汚れたり折れてしまうと、もう二度と元の綺麗な状態には戻らない。ゾクゾクしませんか? ですから私は……その黒い染みになってやりたいのですよ。そして、綺麗にしてやろうともがくあなた方をじっと観察していたいのです。いつまでも……」
心底うれしそうに、恍惚とした表情で語る様は、もう見たくもありません。本当に、なぜこんなにも捩じくれた性格なのでしょう。元は同じ魂だというのに、エーデルだけが特に異質。全く理解できません。しようとも思いませんが。
「それで。ジネヴラはいつまで、目を逸らしているつもりなんですか?」
「……目を逸らす?」
と、唐突にエーデルが話を振ってきました。
「しっかりと、真っ黒な染みに目を向けないと。目を逸らしたって、そこに染みがある事は変わらないのですよ?」
「……見ていますよ」
真っ黒な染み。それは、あの渦のことでしょうか。それともエーデル自身の事でしょうか。渦ならば、エーデルが出てきたことで少々色が濃くなってきています。本当に、迷惑な魂です。今表に出ているサナに、影響を与えていなければ良いのですが……
「本当に頭が固いのですね、ジネヴラ。結構なことです」
そう言って、エーデルはソファから立ち上がりました。強さは私と変わらないくらいの魂です。支配者の席に向かうのでは、と私は身構えました。けれど、そんなこちらの気も知らず、エーデルは背中を向けて真っ直ぐ自分の部屋へと戻ってしまいました。
……何をしにきたんでしょうね、エーデルは。ともあれ、何もせずに大人しく部屋へと戻って行ったことに、安堵のため息を吐きます。
さすがに、緊張せざるを得ない相手ですからね。全知たる私を見透かしているかのような振る舞いに、どうもストレスを感じるのですよね。
……いえ、ダメですね。私が揺さぶられていては。私は統括。魂たちを束ね、導くのが役目。そして……
「サナ。貴女のことは私が守ります。絶対に」
貴女の前にはたくさんの道筋があって、その殆どが不幸へと繋がっています。数少ない、幸せの道。それを私が手繰り寄せてみせます。必ず、貴女を幸せな道へと。
たとえ私が、どうなろうとも。





