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第08話 灯台通信の証明

 味噌汁椀を置く手が止まる。箸の向きが違う。いつもは東向きだ。今は北を指す。


「朝食を短縮せよ」


 自分に言い聞かせる。椀を流しに下ろす。箸を並べ直す。飯茶碗の湯気がまっすぐ立たない。


 冷たいご飯を口に運ぶ。咀嚼音だけが響く。味がしない。喉を通らない。


 緑茶の湯呑みに手を伸ばす。陶器の底が軽い。中身が半分しかない。誰かが飲んだか。


 一気に飲み干す。熱さが食道を焼く。痛みで意識が覚める。


 食器を洗う。水が跳ね返る。指先が痺れるほどの冷水だ。洗剤の泡が早く消える。


 秘密端末を鞄から取り出す。金属ケースが冷たい。鍵を差し込む。回す音が鈍い。


「解析を急げ」


 画面が起動する。暗号化されたログが流れる。最後の接続記録が異常だ。深夜二時四十七分。自宅のIPアドレスから。


「ありえない」


 指がキーボードを走る。解析ソフトを起動する。プログレスバーが遅い。常時の三倍の時間がかかる。


 胃が締め付ける。朝食の重みが逆流する。吐息が白く濁る。


「痕跡を消せ」


 データの消去手順を開始する。ディスクの駆動音が唸る。熱がケースから漏れる。


 窓の外で車のクラクション。長く続く。合図か。偶然か。


 解析を続ける。不正アクセスの痕跡が三層に重なる。プロの仕事だ。焦りは見えない。


「時間切れだ」


 端末の電源を強制切断する。基盤の残熱が掌に伝わる。これで遅れる。十分だけ。


 鞄にしまい込む。ベルトの内側に固定する。肋骨にケースが食い込む。


 最後に台所を見回す。全ての物が少しずつずれている。完璧な日常の偽装だ。


「次はこちらの手番だ」


 玄関へ向かう足取りが、地図の上での最初の一手に重なる。 新聞の見出しがいつもと違う。日経の一面が台湾関連で三つ。軍事演習の延期。経済制裁の兆候。在留邦人の安全確保。


「産経はより踏み込む」


 社説のタイトルが目を刺す。「国家の意思なき撤退」。政府の無策を批判する。


 ネットニュースをスクロールする。指先が冷たい。主要メディアの報道方針が分かれる。政府寄りと批判派。真実はその狭間に消える。


 スマホの画面に新しい通知が光る。台湾ソースからの速報。海峡で船舶の異常集結。民間船の偽装が疑われる。


「時間が迫る」


 心臓が肋骨の内側を打つ。鼓動が耳朶に響く。政府の発表は遅れる。メディアの情報は断片的だ。


 地図を広げる。主要避難ルートに赤い印をつける。報道された軍事演習区域が重なる。


「佐藤、見出しを分析しろ」


 無線機のボタンを押す。返答は即座に返る。


「日経は経済的影響を、産経は安全保障を強調。情報操作の可能性あり」


 机の上のペンが転がる。指先が震える。これが前哨戦だ。本番はまだ見えない。


 玄関の鍵穴に光る微粒子を見つけた。指でこすれば金属粉だ。


 林が私の腕を掴む。力が入っている。指先が震えている。


「行き先を変えろ」


 ドアの向こうでエンジン音がする。低く唸る。車が停まる音だ。


 胸の奥で心臓が暴れている。鼓動が喉まで上がる。冷たい汗が首筋を伝う。


「会合場所は淡水河岸だ。事前の合図通りに」


 林が首を横に振る。目が窓を指す。


 暗い窓の外、遠くの灯台が光る。点滅の間隔が早い。消える。また光る。約束のパターンじゃない。


「通信が侵された」


 衛星携帯を取り出す。画面がちらつく。電波マークが消えている。


 足が床に張り付く。鉛のように重い。肩の筋肉が石になる。


「セカンダリ・プランだ。ここで会議する」


 林が机を押す。隠し扉が開く。狭い階段が下に続く。


 下から佐藤の声が聞こえる。早口だ。


「支店長、全ルートが監視下です。動けません」


 階段を降りる。暗い。冷気が肌を刺す。


 地下の部屋に佐藤がいた。画面の光に顔が青白い。


「灯台の点滅は敵の合図です。我々の場所は筒抜けです」


 伊達が壁にもたれる。腕を組んでいる。


「安全保障関係者から連絡が来ない。無断欠席だ」


 歯を食いしばる。顎の筋肉が痛い。


「内部の敵が動いた。計画を止めろ。全員、ここから動くな」


 林が階段を駆け上がる。扉を閉める音が鈍く響く。


 佐藤がキーボードを叩く。画面に地図が広がる。赤い印が点在する。


「代替ルートは三つ。すべて危険区域です」


 手のひらが汗ばむ。冷たいのに湿っている。


「証拠を提示する。灯台の記録と通信ログだ」


 伊達が書類を広げる。紙の端が揺れる。


「本土の協力者も連絡を絶った。孤立している」


 天井から埃が落ちる。微かな振動だ。上の階で誰かが動く。


 皆の目が一斉に上を向く。息を殺す。


「今ここで決める。セカンダリ・プランの実行案だ」


 声が低く軋む。喉がひりつく。


「一、連絡網の再構築。二、避難地点の変更。三、内部の敵への対策」


 林が降りてくる。息が荒い。


「上の廊下に人影があった。窓の外だ」


 佐藤が画面上の監視カメラを呼び出す。雪ノイズだけが映る。


「妨害電波です。完全に囲まれています」


 拳を握る。爪が掌に食い込む。


「会合はここで続ける。全員、証拠を出せ」


 伊達が鞄から書類を取り出す。ページの角が折れている。


「通信侵害の証拠です。すべて暗号化されていたが、解読痕跡あり」


 息を吸う。肺が冷たい空気で満たされる。


「敵は我々の全てを知っている。ならば、知られていない動きをしよう」


 地図を指差す。台北郊外の廃工場だ。


「新たな避難地点だ。今夜中に移動する」


 林がうなずく。佐藤が座標を入力する。


 天井の振動が再びする。今度は近い。


「時間がない」


 書類を鞄に詰める。紙の音だけが部屋に響く。


「一時間後に出発する。それまで沈黙を守れ」


 皆がうなずく。言葉はいらない。


 暗闇の中で時計の針音だけが進む。秒を刻む。 佐藤の端末の写真を確認する。画素が粗い。安全保障関係者の顔が三人映っている。第四者は枠外だ。


「誰だ?」


 佐藤が指で拡大する。腕時計の文字盤が反射している。非売品のモデルだ。


「防衛省製です。限定配布品」


 心臓が一瞬止まる。血の巡りが悪い。指先が痺れる。


 伊達が分析資料を差し出す。ページが一枚多い。


「参加者名簿と食い違う。第四者は記録されていない」


 唇が乾く。舌が重い。


「裏切り者は内部にいる。三人のうちの誰かだ」


 林が拳を机に置く。音が鈍い。


「会合の優先順位を変えろ。証拠の提示から始める」


 資料の写真を指差す。通信傍受の痕跡が並ぶ。


「まずは灯台の点滅パターンだ。敵の合図を証明する」


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