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第55話 一位空白の緊急順位

 路上に出た。直射日光が目を刺す。


 歩幅を均一に保つ。店のガラスに映る自身を監視する。


 信号の手前で左折する。計画した路地裏に入る。


 細い路地が続く。生ごみの匂いが鼻を突く。


 百メートル先で人影が動く。すぐに消える。


 速度を落とさない。指がベストの内ポケットに触れる。現金の束を感じる。


 路地の出口が見える。向こうは大通りの喧噪だ。


 立ち止まる。壁の陰から覗く。


 大通りは軍用車両で埋まっている。検問の列が延びる。


 深呼吸する。路地裏をさらに進む。迂回路だ。


 排水管が頭上を走る。水滴が首筋に落ちる。


 突然、前方で金属音が響く。


 瞬時に身を隠す。ゴミ箱の影に潜む。


 靴音が近づく。二足。ゆっくりとした歩調だ。


「…何もないな」\

「報告通りだ」


 中国語の会話が通り過ぎる。


 息を吐く。五秒待つ。音が遠ざかる。


 再び歩き出す。路地の終わりに東和物産のビルが見える。


 裏口のサービスエントランスを目指す。


 ドアが見える。鍵カードを掲げる。


 読み取り機が緑に光る。ロックが開く音がする。


 中に入る。冷たい空気が皮膚を包む。


 エレベーターではなく階段を選ぶ。一段ごとに耳を澄ます。


 五階のドアに手をかける。ここからが本番だ。 メールの件名がすべて「緊急連絡」に変わっている。十七通が同じタイトルで並ぶ。\

 指がマウスを握り締める。金属が軋む。\

 一番上のメールを開く。本文は一行だけだ。「早期行動に変更された計画を承認しない」\

 送信者は伏せられている。IPアドレスも偽装されている。\

「ふん」\

 次のメールを開く。こちらは本土本社の公式アドレスだ。文章が長い。\

「…台湾支店の独断行動を厳重に注意する…」\

 スクロールする。最後に役員三名の署名が並ぶ。\

 窓の外でクラクションが激しく鳴る。検問所でトラックが止められている。\

 三通目を開く。佐藤からの暗号文だ。表面は通常の業務報告。三段落目の三文字目を拾う。\

「経路C、作動済み」\

 背筋が微かに緩む。一つの歯車が噛み合った。\

 残りのメールを一括で開く。画面が十四枚のウィンドウで埋まる。\

 どれも内容は同じだ。中止命令、非難、脅し。\

 すべてを選択し、削除ボタンを押す。確認ダイアログが現れる。\

「よろしいですか?」\

 カーソルを「はい」に合わせる。クリックする。\

 メールボックスが空になる。未開封の赤い印が一つもない。\

 次に日次報告書のファイルを開く。昨日のデータが残っている。数値、グラフ、考察。\

 すべてを選択する。Deleteキーを押す。文字列が一瞬で白紙に戻る。\

 新しい日付を入力する。今日の日付だ。その下に一行だけ書く。\

「本日、業務継続計画を実行に移す。詳細は後日報告」\

 保存する。ファイル名を「最終版」に変える。\

 USBメモリを挿す。ファイルをコピーする。プログレスバーが右に流れる。\

 窓ガラスがまた震える。低い爆発音が遠くで響く。基隆港の方角だ。\

 コピー完了の音が鳴る。USBを抜く。\

 立ち上がり、コピー機へ向かう。報告書を一枚印刷する。用紙が熱を持って出てくる。\

 その紙を手で三つに折る。縦に一回、横に二回。\

 胸の内ポケットに入れる。紙の角が肋骨に当たる。\

 ノートPCの電源ケーブルを抜く。巻き取り、鞄にしまう。\

 机の上を見渡す。ペン立て、卓上カレンダー、名刺入れ。すべて平常の位置だ。\

 ブラインドを全開にする。午後の光が床を照らす。\

 検問所の兵士がこちらを見上げている。双眼鏡を向けている。\

 目を合わせる。ゆっくりと会釈する。\

 兵士は目を逸らした。\

「さて」\

 鞄を肩にかける。いつもの重さだ。中身は違う。\

 ドアノブに手をかける。一度、深呼吸する。\

 肺の底まで冷たい空気が入る。吐く息に硝煙の匂いが混じる。\

 ドアを開ける。廊下の電気がついていない。\

 足音だけが暗闇に響く。階段を下りる。一階ずつ、明かりを消していく。\

 一階のロビー。警備員の姿がない。受付カウンターの電話が鳴り止まない。\

 その横を通り過ぎる。エントランスの自動ドアが開く。\

 外の光がまぶしい。熱気が顔を覆う。\

 一歩、路上へ出る。背後のビルが静かに見送る。\

 左袖のボタンがもうない。右袖のボタンもない。\

 代わりに内ポケットの報告書が、心臓の鼓動を伝えている。\

 歩き出す。次の約束の場所へ。\

 業務は続く。ただの形でなく。暗号化メールの代わりに、最終チェックが始まる。極秘協力者のリストが手帳に載る。


 リストの端が擦り切れている。最初と最後の名前が最も薄い。


 ペンの先が四番目の名前の上で止まる。佐藤浩一。線で消す。代わりに別の記号を付ける。


 指が次の名前へ移動する。林志鴻。線は引かない。丸で囲む。


 心臓が肋骨を内側から押す。鼓動が耳の奥で響く。


 暗号化通信装置を引き出す。バッテリーを装着する。起動スイッチを押す。


 緑のランプが三つ点滅し、一つだけ赤く光る。


「第四チャンネル、不通」


 声が喉の奥で軋む。第四は林専用の回線だ。


 装置の蓋を開ける。配線を確認する。異常はない。赤は外部要因を示す。


 リストに戻る。林の名の横に「遮断」と記す。


 次の装置をチェックする。これは伊達用だ。電源を入れる。全ランプが青に点く。


 指でキーを打つ。テストメッセージを送信する。


 三秒後、返信が返る。定型文の中に一文字、追加されている。「了」


 装置をしまう。リストの伊達に「活性」と記す。


 最後の装置は複数用だ。起動すると、十のランプが順に点灯する。


 三つが赤。七つが緑。


 赤の番号をリストと照合する。二つは予想内。一つは違った。


「六番が…」


 六番は台北市役所の内応者だ。昨日まで緑だった。


 装置を再起動する。ランプは変わらない。六番は沈黙した。


 リストの六番を二重線で消す。傍らに「捕捉」と走り書きする。


 呼吸が浅くなる。肺が完全に広がらない。


 活性化すべき七つを囲む。それぞれにコード名を付ける。


 机の角に手をやる。指が持ち上がる。叩かない。止める。


 代わりにリストを三つ折りにする。防水ケースへ収める。


 装置類を別の鞄に移す。重さが肩にのしかかる。


 窓の外を見る。検問所の土嚢が胸の高さまで積まれている。


 時間はない。計画は前倒しだ。


 リストの最終ページを開く。緊急連絡順位が記されている。


 一位は空白だ。そこに自分の指紋を押す。


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