第05話 開封された封筒と狂った灯台
「彼らも混乱している。こちらの動きを捉えきれていない」
「ならば、まだチャンスはある」
端末を布に包む。電気的信号を遮断する。
「これ以上の解析は外で行う。ここはもう長居できない」
「移動先は?」
「まず佐藤と連絡を取る。そのために、新しい手段が必要だ」
鞄に端末をしまう。重さが増す。しかし重みは希望に変わった。
最後に机を見渡す。何も残さない。
「出発だ」
林が頷く。彼の目にも、同じ決意が灯っている。 机の上に、白い封筒が一つ。伊達からの連絡だ。
糊付け部分が、微妙にずれている。
指で撫でる。感触が滑らかすぎる。糊が再塗布された跡だ。
封筒の折り目に、微かな皺が寄っている。力づくで閉じ直した証拠だ。
「開封されている」
声が低く響く。林の息が止まる。
スマートフォンを取出す。カメラを起動する。
接写モードで焦点を合わせる。糊の不均一な盛り上がりを捉える。
シャッター音がしない設定だ。音も光も立てずに撮影する。
一枚、また一枚。角度を変えて証拠を記録する。
次に封筒の皺。光の当たり方を変えて、影の濃淡を写す。
折り目の歪みが、急いで閉じた慌てを語る。
全ての写真に、日付と時刻が刻まれる。
証拠保全の第一歩だ。
「中身を確認する」
林がナイフを差し出す。俺は首を振る。
指先で封筒の端を摘む。ゆっくりと、糊の部分を剥がす。
紙が破れないように。慎重に。
封筒が開く。中から便箋が一枚。伊達の筆跡だ。
文字を追う。一語一語が重い。
「『明日時、第二連絡点にて。緊急案件あり』」
林の顔が強張る。俺の胃が締めつけられる。
この文面は、伊達が俺に直接伝えるべき内容だ。
それが第三者の目に触れた。
「すべて筒抜けだ」
「連絡点も危険に晒された」
便箋を写真に収める。日付と文面を記録する。
封筒と便箋を、別々のビニール袋に密封する。
「指紋検査が必要だ。伊達以外の痕跡が付いている」
「だが、それ以上に問題がある」
声が乾く。喉がカラカラだ。
「この手紙が届いたのは、いつだ?」
「今朝、郵便受けに入っていた。俺が外出前に確認した」
「その時、封筒は完璧に閉じていたか」
林の目が泳ぐ。記憶を辿っている。
「……気に留めなかった。急いでいた」
「ならば、郵便配達後、俺たちが到着するまでの間に開封された」
時間軸が頭の中で組み合わさる。胃が冷たい塊になる。
「侵入者は、この手紙が重要だと知っていた」
「伊達との連絡経路を、特定している」
外の路地を見る。静寂が重い。
「こちらの動きは、すべて読まれている」
「しかし」
封筒の細かな皺を指差す。
「急いでいた。慌てて閉じ直した」
「だから痕跡が残った」
林の瞳に、かすかな光が戻る。
「彼らも、時間に追われている」
「ならば、こちらの方が先に行く」
証拠を鞄にしまう。記録は暗号化して保存済みだ。
「第二連絡点には、罠がある」
「ならば、第三を用意する。伊達には別途伝える」
「了解した」
机の上の空気が、少しだけ動いた。
河口の灯台が、昨日より二秒早く点滅している。
口の中がカラカラに乾く。舌が上あごに張り付く。左胸の奥で、心臓が一叩き分だけ重い。皮膚がピリピリと疼いた。信号周期が乱れている。これは合図ではない。警告だ。
林の手配した車の陰に身を潜める。手帳を取り出す。ペンの芯は折れている。昨日まで使えた。引き出しの痕跡。鍵穴の金属粉。そして今、この灯台。全部つながる。
「視認、確認できたか」
無線機を口元に近づける。声帯が軋む。返答の空白が、三秒続く。
「確認。点滅間隔、通常より短い」
佐藤の声だ。少し硬い。彼も同じことを考えている。
灯台の光が川面を撫でる。波紋が規則的に広がる。そのリズムが、こちらの呼吸とずれている。光の間隔を暗算する。十五秒。十秒。十五秒。十秒。規則的な乱れ。誰かが意図的に変えている。
「周囲に人影は」
「確認できず。河岸の監視カメラ、三台中一台が角度を変更。向きが北西十五度、ずれている」
佐藤の報告が耳に入る。額に汗がにじむ。冷たい。カメラはこちらの動きを捉えようとしている。灯台は合図システムの一部だ。それが狂うということは、相手がシステムの存在を認知している。乗っ取られたか、あるいは偽装を仕掛けている。
「点検を中断する。第三地点へ移動する」
「了解」
無線機をしまう。指先が震える。深呼吸を一つ。肺が痛い。周囲を見渡す。河岸の散策路に人影はない。だが、遠くのマンション群。窓のいくつかが開け放たれている。黒い穴のようだ。
車のドアを静かに開ける。シートに乗り込む。鍵を差し込む。エンジン音が、不自然に大きく響く。クラッチを踏む。足首に疲労の重さがぶら下がる。
バックミラーに灯台が映る。光がこちらを追いかけてくる。灯台の光が、息を飲む間隔で消えた。
視界の端で再び点灯する。次は早すぎる。脈拍がその速さに合わせて打つ。左手首を握る。血管が走る。十五秒の次が五秒。約束とは違う。
「佐藤、見ているか」
返答が二秒遅れた。無線機から微かなノイズが漏れる。
「見ている。パターンが乱れている。第三地点も危険か」
顎に力が入る。歯を食いしばる。灯台の光が川面を切る。歪んだ帯が揺れる。これは合図ではない。罠の標識だ。
「システムが侵された。使用停止する」
「了解」
無線機を切る。耳朶に汗が伝う。冷たい。背後から風が吹き抜ける。首筋の毛が立つ。
車のエンジンをかける。音が夜に吸い込まれる。バックミラーを睨む。灯台の光が不規則に跳ねる。まるで嘲っているようだ。
ハンドルを握る。手の平が滑る。左胸の奥が重い。計画が一つ、また崩れていく。
文具立ての底が冷たい。秘密の端末が重い。林の目が言う。帰れ。今すぐに。
「道を変えろ。監視は二重だ」
頷くだけだ。ドアノブに手を伸ばす。金属が冷気を帯びる。
廊下の空気が濁る。埃が舞う。法定灯がちらつく。無人の隣戸が隙間から覗く。足音を殺す。階段を下りる。一段ごとに骨が軋む。
外に出た。夜気が肌を刺す。左腕を組む。端末を隠す。路地に入る。
舗道のタイルがずれる。わずかな段差に躓く。体が前に出る。すぐに踏みとどまる。膝が震える。背後に目をやる。影だけが揺れる。
幹線道路に出る。車の流れが早い。ヘッドライトが乱反射する。目を細める。信号待ちで立ち止まる。周囲の人間を数える。五人。皆下を向く。




