第04話 A3待機指令
「侵入者は左利きか。あるいは意図的な偽装だ」
鼻が微かに動く。匂いは二層に分かれる。
「最初に机を開けた。次に書類を確認した」
シュレッダーのゴミ箱を指差す。紙片の量が不自然に少ない。
「処分は急いだ。だが選別は冷静だ」
資金と船舶の書類だけ。名簿の一部は見逃された。
「目標は明確だった。作戦の核心だけを握りたかった」
空気の乾きを思い返す。湿度が十八パーセントまで下がっている。
「空調を操作した。生体痕跡を消すためだ」
窓の結露跡。平行な二本の線。
「窓を開けて換気した。三十分はかかる」
時間軸を頭で組み立てる。胃が重くなる。
「まずピッキング。次に書斎侵入。机の調査と書類選別」
「窓を開け換気。シュレッダー処理。空調操作」
「最後に掃除。埃をかき集めて痕跡を薄めた」
全ての行動に無駄がない。隙がない。
「プロの仕事だ。個人の犯罪者ではない」
林の拳が軋む。俺の歯が噛み締まる。
「組織が動いている。諜報機関だ」
紙片を揃える。期日の「3/5」が赤く飛び込む。
「彼らも時間に追われている。明後日が何かの締切だ」
「我々の作戦より先に動きたかった」
証拠を鞄にしまう。一つ一つが重い。
「つまり、まだ完全には押さえられていない」
「だから焦っている。痕跡を残した」
留め金を閉める。カチリという音が決意を固める。
「逆にこちらのチャンスだ。彼らの焦りを利用する」
「計画を前倒しにする。明日中に動く」
林が顔を上げる。瞳に決断の光が走る。
「連絡網を再構築する。暗号を全て変更だ」
「了解した」
外の路地が静かすぎる。その静けさが、秒読みの始まりを告げている。鞄に証拠を詰め終えた。机の上は空になった。痕跡だけが頭に残る。
「シュレッダー処理量の矛盾は、侵入者の意図を示す」
林が机の埃を指で払う。俺の鼓動が早い。
「大量に処理したふりをしたかった。だが時間が足りなかった」
「選別した書類だけを急いで処分した」
紙片の文字を思い返す。資金、船舶、名簿。
「これらは彼らが最も知りたかったものだ」
「作戦の核心を握れば、我々の動きを封じられる」
冷たい汗が背骨を伝う。肌がざわつく。
「だが名簿の一部を見逃している」
「急ぎすぎた。あるいは見くびっていた」
窓の外を見る。路地は相変わらず静かだ。
「メッセージは明確だ。『お前たちは監視下にある』」
「偽装工作は二重だ。整理整頓で侵入を隠す。証拠隠滅で意図を隠す」
林の息が白く濁る。俺の歯根が疼く。
「彼らの狙いは威圧だ。計画を遅らせることだ」
「しかし焦りの痕跡も残した」
鞄を肩にかける。重さがずしりとくる。
「分析は終わった。次は行動だけだ」
「彼らの思惑を逆手に取る」
林が頷く。その目はもう迷いがない。
「明日だ。すべてを前に進める」
足を踏み出す。床板が軋む。その音が、静止していた時間を破る。 書斎に戻る。ドアの蝶番がきしむ。\
机の上の空気が重い。証拠は鞄に収まったままだ。
「調査の続きだ。侵入者の輪郭を描く」
林が椅子に腰掛ける。俺は壁にもたれる。背中が冷たい。
「目的は証拠隠滅と威圧。組織的背景は諜報機関」
「能力は高い。しかし焦りがある」
指が机の表面を叩く。リズムが思考を駆る。
「侵入経路は玄関。特殊工具を使用。時間は六時間前」
「行動順序は完璧に近い。だが掃除に粗があった」
埃の分布を思い描く。一部分だけ不自然に薄い。
「最後の工程を急いだ。時間的制約があった」
林が拳を握る。俺の顎が締まる。
「総合判断:敵は組織的。我々の計画の核心を把握している」
「内部の敵の可能性は高い。情報漏洩の経路が複数ある」
吐息が深くなる。胸の奥が疼く。
「特徴の推察:男性。左利きか偽装。軍の訓練を受けたプロ」
「目的は作戦の阻止か乗っ取り。期限は彼らも明後日」
窓の外、路地に光が揺れる。車のライトか。
「侵入者は一人ではなかった。外に監視役がいた」
「あの路地の人影だ。連絡を取りながら動いた」
林の目が鋭くなる。俺の肩の力が抜けない。
「つまり、今も外にいる可能性がある」
「こちらの分析中も、じっと待っている」
鞄の留め金に手をかける。金属が冷たい。
「分析は終わった。後は決断だけだ」
「計画を前倒しにする。すべてを明日に賭ける」
立ち上がる。膝の関節が鳴る。重い足を引きずる。
「移動先の連絡は、新しい暗号で」
「了解だ」
林も立つ。彼の背筋も、同じ緊張で張り詰めている。文具立ての底が少し浮いている。板の継ぎ目に隙間だ。
指先で押す。カチッと音がする。底がスライドして開く。
薄い金属板が現れる。スマートフォンより小さい端末だ。
「これは……?」
林が息を呑む。俺の喉が乾く。
端末を取り出す。表面は無機質な黒。ボタンもポートもない。
裏面を撫でる。微かな凹凸。極小の文字が刻まれている。
「製造番号だ。軍用規格の形式」
「通信記録を調べられるか」
「直接接続は危険だ。追跡される」
窓の外を見る。路地の影がまだ動かない。
端末を懐中電灯で照らす。側面にほこりのない部分がある。
「最近まで使われていた」
「誰が?」
「林、お前は知らないのか」
彼は首を振る。目に疑いの色が浮かぶ。
「この家にはそんなもの、置いていない」
「ならば侵入者が持ち込んだ。あるいは以前から仕掛けられていた」
端末を慎重に揺する。中で微かに何かが動く。
「SIMカードかメモリだ」
「データを抜き出せるか」
「時間がかかる。専用のツールが必要だ」
だが待て。考えが走る。
「この端末は置き去りにされた。急いでいた証拠だ」
「あるいは囮か」
背筋が凍る。可能性は両方ある。
「一度だけ、電源を入れる」
「危険だ!」
「通信記録が残っていれば、相手が分かる」
指が震える。端末の側面を探る。極小のスイッチを見つける。
押し込む。何も起こらない。
三秒待つ。端末の中央がかすかに青く光る。
光のパターンが変わる。短く、長く。三回繰り返す。
「モールス信号だ」
「何と?」
「『待機』……『A』……『報告』」
光が消える。端末は再び無機質な黒に戻る。
「最後の通信は待機指示だった」
「A3は場所かコードネームだ」
「報告を求めている。つまり、まだ完了していない」
林の顔が緩む。俺の胸の塊が少し軽くなる。




