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第28話 隠しダクトへの再潜入

『了解。手段は?』


「使い捨て端末を、病院関係者の自宅へ。東和物産名義では配るな」


 ガラス張りの支店ビルが近づく。足の裏が重い。


「極秘連絡の確立を最優先にしろ。それ以外は、全て後回しだ」


『はい』


 通信を切る。吐息が白く濁る。\

 ビルの自動ドアが開く。冷房の風が汗ばんだ首筋を撫でる。 執務室のモニターに在留邦人リストが広がる。林経由で回ってきた医療情報が一行、赤く表示されている。\

 その横に、第三の連絡点からの別の報告が浮かぶ。内容が食い違う。


「佐藤」\

『はい』\

「林から入手した医療データを、徹底的に検証しろ。全ての情報源を疑え」\

 指先がキーボードに触れる。冷たい。\

『第三の連絡点経由の情報と、三ヶ所で矛盾しています。特に患者の所在番号が』


「病院への直接問い合わせは?」\

『公式ルートは使用不可と。支店名義での問い合わせは、敵の監視下です』\

 胸の奥で胃が縮む。鈍い痛みが肋骨の下を這う。


「では、新たな医療情報ルートを構築せよ。東和物産の立場は一切使うな」\

『手段は?』\

「現地スタッフの家族を通せ。個人的な繋がりだけを使う」\

 窓の外、黒い車がゆっくりと通り過ぎる。


『了解しました。検証結果が出次第、報告します』\

「急げ。林の情報が罠なら、避難計画の前提が全て崩れる」\

 息を吐く。吐息がモニターの表面を曇らせる。机の上のスケジュール帳に「避難計画の微調整」とある。目を離す。その文字が嘘くさい。\

 今やるべきは調整ではない。破棄と再構築だ。林の床板の痕跡が脳裏を刺す。


「佐藤」\

『はい』\

「午後の業務は、全てキャンセルだ。緊急会議とせよ。表向きはデータ損失の対応」\

 声が平らに出る。喉の奥が砂のように乾く。\

『了解。参加者は?』\

「俺とお前だけだ。場所は第三の通信室。他は一切通すな」\

 立ち上がる。膝が軋む。机の角に手をつく。冷たい木の感触だけが現実を繋ぐ。\

「新たな避難ルートの選定を、今から始める。林の網は一切使わない」\

『基隆港は?』\

「敵のものだ。別の漁港を見つけろ。小さく、目立たぬ場所を」\

 ドアへ歩き出す。背中の皮膚が、見えない監視線にざわつく。林からの医療データがモニターに張り付く。患者番号が第三の連絡点の報告と一致しない。


 胸の下で胃が硬直する。冷汗が背骨を伝う。


「佐藤、医療ルートの偽装業務を開始する」


「東和物産名義で、複数の病院に問い合わせを」


「ああ。だが本命は一つだけ隠せ。林に嗅ぎ取られるな」


 電話機のダイヤルを回す。指先が滑る。


「もしもし、東和物産です。先日の御礼について──」


 声は平然と出る。喉の奥は砂漠だ。


 三件、四件と偽装の問い合わせを続ける。各病院の応対を記録する。


「最後だ。聖心病院へ回線をつなげ」


 受話器を握りしめる。手の平がじっとりと湿る。


『こちら聖心病院です』


「東和物産の結城と申します。在留邦人の緊急時対応について──」


 言葉を選ぶ。一つ間違えば、敵に位置を標される。


『その件は、担当の李医師が承っております』


「連絡可能でしょうか」


 息を殺す。心臓の鼓動が耳を塞ぐ。


『李は本日、出張です』


「……そうですか。では、折り返しをお願いできますか」


『番号をどうぞ』


 偽りの内線番号を伝える。受話器を置く。


「医療ルート、確保した」


「李医師とは」


「第三の連絡点を通じて、今夜、直接会う」床板の擦れ跡だけが白く浮かび上がる。木目の模様は完全に消えている。


「佐藤、喫茶店内の全監視カメラ位置を特定しろ」


 声をひそめて端末に命じる。喉が乾いてひりつく。


『既存のものに加え、三つの隠しカメラを検知。全て隠し通路を視野に収めています』


「録画データの保存先は?」


『不明。店内のサーバーには記録されていません』


 拳が自然と固まる。爪が掌に食い込む。


「つまり、別の場所へリアルタイム送信されている」


『その可能性が高いです』


 しゃがみ込み、隠しダクト扉の継ぎ目を指で探る。金属の冷たさが指先に伝わる。


「脱出ルートの確認を開始する。通路内の構造を記録せよ」


 懐中電灯を点ける。青白い光が狭いダクト内部を照らす。壁には無数の擦り傷。


「幅六十センチ、高さ八十。成人男性がかがんで通れる」


『先方は?』


「まだ見えない。続ける」


 這って進む。膝と肘が金属の床にぶつかる音だけが響く。埃の匂いが鼻を突く。


 十メートルほどで道が二又に分かれる。左は上り、右はさらに奥へ続く。


「分岐点を発見。左は排気ダクトか。右は……」


 右の通路を照らす。暗闇の先に、かすかな外光が見える。


「脱出ルートを確認。先に通用口らしき物がある」


『監視カメラは?』


「ダクト内にはない。だが、出口付近を要確認だ」


 進む。足元に何かが転がる。空き缶だ。新しい。


「使用痕跡あり。最近も誰かがここを通った」


『林か?』


「或いは、林を通した者だ」


 出口に手が届く。金属の格子戸。外から南京錠がかけられている。


「……外から施錠されている。中からは開かない仕様だ」


『つまり、これは脱出路ではない』


「罠だ。もしくは、一方通行の侵入路だ」


 背筋が凍る。汗が一気に冷める。


「全証拠を記録しろ。この通路の構造、監視カメラの位置、そしてこの格子戸だ」


 カメラを構え、シャッターを切る。無音モードの僅かな振動が手に残る。


『記録完了。データは第三の連絡点に直接送信しました』


「よし。ここからは即時撤収だ」


 後ずさりを始める。頭を上げた瞬間、ダクト天井に小さなレンズの光る点を見つける。


「……待て。もう一つあった」


 全く動かず、息を殺す。そのレンズは微かに回転し、こちらを捉える。


「監視カメラ。ダクト内に設置されていた」


『位置は?』


「分岐点の真上。全ての動きを記録できる位置だ」


 歯を食いしばる。顎の筋肉が痙攣する。


「林は、俺がここに来ることを知っていた。いや、期待していた」


 ゆっくりと後退を再開する。レンズが微かに追いかけてくる。


「証拠は全て押さえた。後は、如何に生きてここを出るかだ」


 ダクトの入り口が見える。外から喫茶店の物音が聞こえる。


 林の声がする。近い。喫茶店の床板の擦れ跡が頭を離れない。隠しダクト扉の上だけ、色が薄い。


 私はカウンターの角に立つ。客の視線の届かぬ位置だ。


「ここ最近、仕入れに支障はないか?」


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