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第27話 医療ルートの再構築

「机の角、ありがとな。長く使うものは、手入れが必要だ」


「ああ。そうだな」


 会釈して外へ出る。日差しがまぶしすぎる。


 歩き出す。背中の皮膚がざわつく。林の視線を感じる。


 百歩。二百歩。角を曲がる。


 スマートグラスを叩く。佐藤の顔が映る。


『異常なし。支店周辺は静かです』


「こちらの移動を始める。第三の連絡点で待機しろ」


『了解。避難計画の微調整は?』


「机上の作業は全て中止だ。優先は離脱のみ」


 腕時計を見る。十四時四十分。


 足を速める。心臓が胸の内側で暴れる。


「新しいルートの選定を急げ。林の網はもう使えない」


『代替案は?』


「基隆港の裏手だ。今夜の会合で詳細を決める」


 向かいのビル屋上に光る点が一つ。レンズの反射だ。


「追跡されている。連絡を切る」


 グラスの電源を落とす。視界が普通の街に戻る。


 歩幅を一定に保つ。呼吸を整える。


 東和物産のビルが見える。ガラス窓が夕日に染まり始めている。


 あと三百メートル。


 皮膚が粟立つ。危機が近い。セキュアルームの扉が閉じる音だけが響く。分厚い壁が外界を遮断した。


 椅子に腰掛ける。机の上は何もない。反射した照明が冷たい。


「佐藤、準備は」


「全て完了です。衛星回線、暗号化済み」


「第三の連絡点は」


「林を経由せず、直接構築しました」


 こめかみが脈打つ。皮膚の下を血が駆け抜ける感覚。


「最初の指令だ。在留邦人リストを再暗号化しろ」


「了解。旧鍵は?」


「破棄せよ。林が知る一切を無効にしろ」


 キーボードを叩く音が、密室に反響する。速く、硬い。


「新規暗号鍵、作成完了。転送します」


「受け取った。次に、基隆港以外の全避難ルートを検証しろ」


「全てですか?時間が──」


「ある。七十二時間だ。林が知らない盲点を探せ」


 無線機のスイッチを入れる。周波数を合わせる。雑音だけが返る。


「連絡網、応答なし。敵の電波妨害が始まっています」


「ならば、こちらからは出さない。受信だけ続けろ」


 机の下に手を伸ばす。接着剤で固定された極小端末を剥がす。


「新しい発信機だ。一度限り。今から起動する」


「位置情報は?」


「この部屋からは送らない。移動後に有効化する」


 立ち上がる。足裏が冷たい床に張り付く。


「佐藤、お前の評価を聞く。この部屋の安全性は」


「……九十分。ただし、三十分後には危険域です」


「それで十分だ」


 壁のコンセントカバーを外す。配線の奥に、極細のコードを接続する。


「これが最終手段だ。非常用の発信器。起動したら、あとは運だ」


「発動条件は?」


「俺の心拍が、三十分以上停止した時だ」


 無線機から、かすかな音が混じる。三短、一長。緊急信号だ。


「待て。何か入ってくる」


 耳を澄ます。雑音の中から、か細い声を拾う。


『……影……応答せよ……松山は……危険……』


「声の主は?」


「判別不能。ただし、第三の連絡点の周波数です」


 拳を握る。爪が掌に食い込む痛みで思考を保つ。


「……罠の可能性が高い」


「無視しますか?」


「いや。返信せよ。内容は『了解。ルート変更』とだけ」


「それで?」


「敵の反応を見る。こちらの動きを誤認させられる」


 キーボードを叩く。送信ボタンを押す。一瞬、室内の照明が薄暗くなる。


「電力の微小な乱れを検知。外部からの探査です」


「来たな。では、次の段階へ移る」


 コートの内ポケットから、折り畳み式のタブレットを取り出す。画面を開く。


「これが新しい網だ。構築図を見ろ」


 佐藤の息が止まる。彼の瞳が画面に吸い込まれる。


「全ての連絡を、一点集中から網目状に変更する。一つの点が潰れても、全体は死なない」


「……しかし、管理が」


「管理はしない。自律分散型だ。各邦人グループに、限定的な連絡手段を与える」


「情報の混乱を招きます」


「むしろ、欺瞞の材料になる。敵は真実を見失う」


 タブレットの地図上に、無数の赤い点が広がる。一つ一つが、小さな発信器だ。


「今から配布を開始する。第一段階は、台北市内の百名からだ」


「手段は?」


「お前はここに留まれ。俺が直接、動く」


 ドアへ向かう。手がノブに触れる直前、佐藤の声が止める。


「待ってください。それはあまりに危険すぎる」


 振り返る。彼の顔が青白い。額に汗が光る。


「危険を承知でやる。他に手段はない」


「しかし──」


「林を失った以上、俺が直接、網の節点になるしかない」


 ドアを開ける。廊下の冷気が流れ込む。


「三十分後、必ずここを離れろ。次の指示は、新しい網から送る」


「支店長」


「生きてろ、佐藤」


 足を踏み出す。背後の扉が静かに閉まる音が、最後の合図になる。 胸の鼓動が机の天板を叩く。スケジュールには「避難計画の微調整」とある。\

 今はもう、何も信用できない。林の目が裏切りの証だ。


「佐藤、第三の連絡点のみを使え。他は全て汚染されている」\

 声が低く軋む。喉のひりつきが痛い。


『全データの移行を開始します。新たな避難ルートの選定は?』


「基隆港はもう使えない。敵のシナリオから外れろ」\

 指で地図をなぞる。台北郊外の小さな漁港に印をつける。


「ここを起点とし、別ルートを構築する。林の知らない道だけを使う」


『了解。セキュリティ評価の対象は?』


「全てだ。計画の根幹から見直す。俺とお前、二人だけの新体制だ」\

 机の上で拳を握る。骨が軋む音がする。


『では、午後の業務は?』


「続ける。だが、中身は作り替えろ。表向きは同じ、内実は全て新しく」\

 立ち上がる。窓の外に見えるビル屋上の人影を一瞥する。


「敵が予測する動きを、一つ残らず捨て去る。それが生き残る唯一の道だ」\

 息を深く吸う。肺が冷たい空気で満たされる。


「今すぐ始めろ。七十二時間は、もう始まっている」林の視線が背中に焼き付く。ドアが閉まる音が風鈴を殺す。\

 百歩歩いて角を曲がる。スマートグラスを叩く。


「佐藤、第三の連絡点で待機せよ。新ルート構築は中止だ」


『中止?でも医療情報の収集は──』


「林の網は汚染されている。病院への公式連絡は、今は危険すぎる」


 向かいのビル屋上に光る点。狙撃鏡か。


「東和物産の立場を使うのは、罠だ。敵にこちらの関心を教えるだけだ」


 歩幅を速める。心臓が喉元に跳ね上がる。


「新たな医療ルートは、第三の連絡点のみで構築する。佐藤、お前が直接動け」


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