第24話 第三の連絡点起動
「第三の連絡点、起動させた」
「了解だ」
私の喉がひりつく。舌が上顎に張り付いたまま離れない。
胸の奥で鼓動が肋骨を打つ。十秒、二十秒。
端末の画面が青く光る。一行の文字が浮かぶ。
『受信確認。72時間。待機』
「……繋がった」
佐藤の肩の力が抜ける。一瞬、息を漏らす。
「次の指示を待て。絶対に動くな」
立ち上がる。膝が軋む。足の裏に疲労の重さを感じる。
ドアへ向かう。十五歩の距離が遠い。
ノブに手をかける。冷たい金属が掌に焼き付く。
「支店長」
「何だ」
「林は……味方じゃないのか?」
振り返る。佐藤の目が少年のように揺れている。
「今は、誰も信用するな。俺も含めてだ」
ドアを開ける。廊下の光がまぶしい。
執務室へ戻る道すがら、皮膚が粟立つ。誰かの視線を感じる。
机に着く。モニターのカウントダウンは71:42:18。
ペン立てを手に取る。位置を確認する。三センチ、右へずらす。
次に誰が動かすか。それを見るためだ。
「美咲」
「……はい」
「新光との契約書を、官邸へファクスしてくれ」
彼女の目が一瞬、疑う。
「通常ルートで?」
「ああ。緊急指定でだ」
彼女が頷く。書類を受け取る手が、もう震えていない。
これが餌だ。林か、伊達か、どちらかが食いつく。
窓の外を見下ろす。路上には何もない。ただ、午前の光だけが眩しい。
スマートグラスが震える。新たな文字。
『龍の爪、動く。基隆港に集結中』
指先が冷たくなる。息を深く吸い込む。肺が痛い。
「全員、通常業務を継続せよ」
声を張り上げる。執務室中に響く。
「俺はこれから、サプライチェーンの打ち合わせだ」
誰も疑わない。平穏な顔でキーボードを叩き始める。
私はドアを出る。足音だけを頼りに階段を下りる。
地下一階の倉庫へ向かう。暗く、埃っぽい通路。
その奥に、非常用の通信室がある。
鍵を回す。ドアが軋んで開く。
中は狭い。机の上には、古い無線機が一台。
それを起動する。ダイヤルを回す。特定の周波数へ合わせる。
マイクを手に取る。金属の網が冷たい。
「……こちら、影。応答せよ」
無線から雑音だけが返る。十秒。二十秒。
そして、かすれた声が混じる。
『……影か。遅かったぞ』
その声は、旧知のものだ。もう何年も聞いていない。
「場所と時間を」
『今夜、二十三時。松山の廃工場だ』
「了解した」
『一つだけ伝えておく。龍の爪は、既に台北市内に潜んでいる』
無線が切れる。雑音だけが残る。
部屋の暗闇が、急に重く感じる。
背中を壁につける。コンクリートの冷たさが染み込む。
これで、新しい糸が一本、張られた。
あとは、蜘蛛がどこから現れるかだ。 林の椅子が冷めていた。打ち合わせまで五分。
佐藤が書類を広げる。額に汗が光る。
「最終確認だけ。第六項と第九項」
指先で条項をなぞる。文字が二重に見える。
新光の担当者がうなずく。ペンのキャップを外す。
「了解しました。こちらで修正を」
「時間だ」
立ち上がる。椅子が床を引く。
「詳細は佐藤が対応する」
ドアへ歩く。背中に視線が刺さる。
「支店長?」
振り返らない。手を挙げて制す。
「緊急案件が入った。失礼する」
廊下に出る。ドアが閉まる音が響く。
胸の鼓動が耳朶を打つ。十歩、二十歩。
エレベーター前で立ち止まる。表示板が一階から上がってくる。
ドアが開く。中は空だ。
乗り込む。地下二階のボタンを押す。
鏡に映る自分の顔が青白い。瞳孔が開いている。
下降が始まる。胃が浮く。
地下の冷気がドアから流入する。薄暗い通路が続く。
非常通信室の前に立つ。鍵穴に鍵を差し込む。
回す。錠が滑らかに開く。
中に入る。ドアを閉める。外の音が遮断される。
無線機のスイッチを入れる。ダイヤルが黄色く光る。
周波数を合わせる。雑音の中から声を探る。
「……応答せよ」
呼吸を殺す。五秒。十秒。
『……影か』
声がかすれている。雑音に攫われそうだ。
「報告しろ」
『龍の爪、三時間前に台北入り。痕跡は六箇所』
「具体呢」
『君の自宅。支店。美咲の寮。喫茶店。林の会社。そして──』
声が途切れる。雑音がうなる。
「そして?」
『……佐藤の自宅だ』
無線機のマイクが軋む。握りしめる手の力が抜けない。
「証拠は」
『写真を送る。第三の連絡点経由で』
「了解した」
『一つ忠告する。林はもう使えない』
「わかっている」
『ならば、次は?』
「俺が直接動く。今夜、松山で」
無線が切れる。光が消える。
部屋の暗闇が、急に深くなる。
ドアを開ける。通路の向こうから足音が聞こえる。
規則正しい。二歩、間を置いて一歩。
私は壁に背を預ける。影に溶け込む。
その足音は、通り過ぎて行った。 喫茶店の床板の擦れ跡が頭を離れない。第三の連絡点は稼働中だ。\
支店の会議室に着く。中から声が聞こえる。複数の人影が窓に映る。
「お待たせ。少々遅れた」
ドアを開ける。五人の視線が集まる。林はいない。
「いえいえ、ちょうどいい時間です」
現地スタッフの代表が笑う。名札に李とある。
「では、先週の進捗から」
書類を開く。文字の列を目で追う。
「Aプロジェクト、部品調達は順調です。ただ、Bプロジェクトで……」
李の声が流れる。内容は全て既知の情報だ。
頷きながら、室内を見渡す。佐藤は一番奥に座っている。目を伏せている。
「……以上が今週の報告です」
「ご苦労様」
時計を見る。開始から十分。
「ところで李さん、最近の台北の交通は? 渋滞がひどいと聞くが」
李の目が少し丸くなる。雑談の匂いを嗅ぎ取る。
「ええ、確かに。特に朝の基隆路は……」
彼の話が始まる。他のスタッフも緩む。背もたれに寄りかかる者もいる。
佐藤だけが動かない。机の下で何かを握っている。
「そうか。我々も配送ルートの見直しが必要だな」
相槌を打つ。笑顔を作る。頬の筋肉が硬い。
「それより、李さんのお子さん、もう中学生だったか?」
「はあ、それがもう高校生でして……」
会議室の空気が柔らかくなる。緊張の糸がほぐれる音が聞こえる。
十五分。二十分。雑談が続く。
佐藤がゆっくりと立ち上がる。書類を抱えている。
「失礼します。少々」
彼がドアへ向かう。誰も気に留めない。
ドアが閉まる。三秒。五秒。




