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第22話 整いすぎた支店長室

 声が平らに出る。喉の奥が乾いている。


 執務室に入る。ブラインドは全て上がっている。


 机の上は整然。だが、ペン立ての位置が三センチ左。


「誰かが動かした」


 椅子に腰掛ける。背筋が自動的に伸びる。


 モニターを起動する。ログイン画面が現れる。


「システム監視、作動中」


 佐藤からのメッセージが右下に点滅する。


 ドアがノックされる。二回、間を置いて三回。


「入ってくれ」


「失礼します」


 美咲が書類を持って入る。目が少し腫れている。


「父さん、これ今日の会議の資料」


 書類を差し出す手がわずかに震える。


「昨夜、また連絡したのか」


「……え?」


 彼女の息が止まる。瞳が一瞬揺らぐ。


「陳明輝と。深夜まで話していたな」


「どうして」


「ルーターのログだ」


 彼女の顔が青ざめる。唇が噛み締められる。


「避難計画に関わる以上、監視は当然だ」


「信じてないの?」


「信用は行動で示すものだ」


 ドアが再びノックされる。受付の声がする。


「陳様がお越しになりました」


「直に応接室へ」


 立ち上がる。膝の関節が軋む。


 美咲を見る。彼女の拳が小さく震えている。


「帰宅命令は解除しない。指示を待て」


 ドアを開ける。廊下の冷気が顔を撫でる。


 応接室のドアまで十五歩。足音だけが響く。


 ノブを握る。金属の冷たさが掌に染みる。


 深呼吸一つ。肺が浅くしか膨らまない。


 ドアを開ける。


「お待たせしました」


 中で男が立つ。灰色のスーツ。笑みが鋭い。


「結城支店長。お久しぶりです」


 陳国華が手を差し出す。指輪が鈍く光る。


「ご多忙のところ恐縮です」


 手を握る。握力が計算されて強い。


「とんでもない。いつもお世話になっております」


 椅子に座る。テーブルの向こうに陳がいる。


「早速ですが、先月の貨物遅延について……」


 陳の口元が動く。言葉が滑らかに流れる。


 だが、目が動かない。こちらの胸元を捉えたまま。


「……そのため、追加のセキュリティチェックが必要と」


「セキュリティ?」


「ええ。最近、不審な動きが増えているそうです」


 陳が書類を取り出す。紙の束がテーブルに置かれる。


「これは当社が検知した、『異常な通信』の記録です」


 一番上の紙をめくる。座標の羅列。いくつかが赤丸で囲まれている。


 一つが、昨夜の路地の地点と一致する。


「面白い資料だ」


 声を絞り出す。額に汗がにじむ。


「しかし、我々の業務とは関係ないのではないか」


「関係ないとお思いですか?」


 陳が前のめりになる。肘をテーブルにつく。


「ここは台湾です。何が起きても不思議ではない」


 沈黙が流れる。空調の音だけが響く。


 胸の内側で心臓が暴れる。肋骨に当たる。


「危機管理は商社の生命線ですからな」


「おっしゃる通りです」


 陳がゆっくりと背を戻す。笑みが深くなる。


「それでは、改めて提案を。当社のセキュリティシステムを、貴支店にも導入しませんか?」


 提案書が差し出される。表紙にドラゴンの紋章。


「全てを監視できる、完璧なシステムですよ」


 指先が書類に触れる。紙の質感が異様に滑らか。


「検討させて頂きます」


「早急なご回答を、お待ちしております」


 陳が立ち上がる。背筋が軍人のように伸びている。


「今日は貴重な時間をありがとうございました」


 また手を握られる。今度は長く、強く。


 陳が去る。ドアが静かに閉まる。


 その瞬間、膝が震える。机に手をつく。


 スマートグラスが震える。新着メッセージ。


「林、支店周辺を巡回中。三十分前から」


 窓辺に寄る。ブラインドの隙間から見下ろす。


 路上に黒い車。その傍らで林が立つ。タバコを燻らせている。


 林がふと、こちらを見上げる。


 目が合う。一瞬だけ。


 林が軽く会釈する。それから車に乗り込む。


 車が走り去る。


「……罠か」


 歯を食いしばる。顎の筋肉が痙攣する。


 応接室に戻る。陳の残した書類を掴む。


 一番下の紙をめくる。裏面に、細字でメモが書かれている。


『時間後、基隆港は封鎖されます。龍の爪が落ちるその前に』


 紙を握り潰す。掌の中で紙がくしゃくしゃと音を立てる。


「佐藤」


「はい」


「緊急段階へ移行だ。全データを消去しろ」


「了解。だが、支店の業務は?」


「業務は続ける。全ては表向き通りに」


 ドアを開ける。執務室のスタッフが視線を上げる。


 皆、何も知らない。平穏な顔をしている。


「美咲」


「……何よ」


「陳氏への対応、ありがとう。助かった」


 彼女の目が丸くなる。警戒が一瞬、緩む。


「……え、うん」


「引き続き、インターン業務を頼む」


 頷く。彼女の肩の力が少し抜ける。


 自分の机に戻る。ペン立てを元の位置に直す。


 モニターを見る。カウントダウンのウィンドウが開いている。


 71:59:48


 タイマーの数字が、一瞬、赤く点滅する。


 息を吸う。吐く。


「さあ、仕事を始めよう」


 キーボードを叩く音だけが、部屋に響き始める。 カウンターの角に立つ。客の視線の届かぬ位置だ。


 目を落とす。キッチンとカウンターの境目。床板の継ぎ目。


 そこだけ色が違う。周囲の深い蜜色に対して、薄く白い。


 表面のコーティングが剥げている。木目が露出し、擦り切れている。


 幅は三十センチ。長さは一メートルほど。


 縁が丸みを帯びている。無数の靴底に削られた結果だ。


 しゃがみ込む。指で表面を撫でる。


 感触が滑らかだ。やすりがけされたように、一切の凹凸がない。


 埃も無い。頻繁に踏まれ、磨かれている証拠だ。


「ここ最近、仕入れに支障はないか?」


 声をかける。視線は床から離さない。


「問題ない。ただ、机がきれいになってた。あなたの仕事か?」


 林の声が背後のキッチンから聞こえる。


 立てる。膝が小さく軋む。


「そうだ。整理してみた」


「整理した?理由は?」


 林がこちらの背後に立つ。気配がする。


「机の角が気になったんだ。傷みそうで」


 振り返る。林は手拭いを弄っている。目はこちらの顔を見つめている。


「机の角か。なるほど」


 林の視線が一瞬、床の擦り切れた部分へ流れる。


「君は角を気にするか」


 問い返す。林の喉仏が上下する。


「気にする。特に、長く使ってる机ならな」


 林がゆっくりと頷く。それからキッチンへ戻る。


 再び床板を見下ろす。この擦り切れは、何度も何度も同じ場所を往復した痕跡だ。


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